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Weilに関するfunaki_naotoのブックマーク (17)

  • シモーヌ・ヴェイユ 1909-1943 鈴木 順子(編集) - 藤原書店

    紹介 今なぜ、思想家シモーヌ・ヴェイユを読むべきか? 善と悪の両面に苛まれる人間を、崇高なるものに思いを馳せながら見つめ続け、哲学者として思索しながら、行動することを辞さなかったヴェイユ。環境破壊と甚大な自然災害、感染症、戦争と、分断と混乱が深まる今、没後八十年を経たヴェイユの言葉から我々は何を汲み取るか。神秘主義、自己犠牲などの従来のヴェイユ像を再検討するとともに、身体への関心、「反ユダヤ主義」との関わりなど、今こそ問うべきテーマに光を当てた画期的論集。 〈寄稿〉稲葉延子/岩野卓司/木崎さと子/合田正人/小林康夫/最首悟/鈴木順子/鶴岡賀雄/渡名喜庸哲/長谷川まゆ帆/柳澤田実/山田登世子/シルヴィ・ヴェイユ(稲葉延子訳)/ロベール・シュナヴィエ(鈴木順子訳)/フロランス・ド・リュシー(西文子訳) 〈附〉最晩年の家族間の書簡/シモーヌ・ヴェイユ著作一覧/略年譜

  • 今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』 - 白澤社ブログ

    今村純子著『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應義塾大学出版会)を読みました。 シモーヌ・ヴェイユといえば、フランスのエリート養成機関である高等師範学校を卒業して教師になりながら、自ら工場労働者として働いた経験をつづった『工場日記』が有名です。そのヴェイユが「労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、詩であり、美である」と言っていたことに著者は注目しています。 「労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、詩であり、美である。」 これには、えっ?と驚く人も多いのではないでしょうか。実は私も驚きました。それって「パンがなければケーキをべればいいのに」(フランス革命時にマリー・アントワネット王妃が言ったと誤って伝えられた言葉)とどう違うの? それが工場労働の辛さを身をもって体験した人の言う言葉か、と首を傾げたものです。なぜ彼女はこんなことを言ったのか? この謎に迫ったのが書です。 第二次世界

    今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』 - 白澤社ブログ
  • 東京新聞:『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』  鈴木順子さん(明治学院大学講師):Chunichi Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi Bookweb > 自著を語る > 記事一覧 > 記事 【自著を語る】 『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』  鈴木順子さん(明治学院大学講師) Tweet mixiチェック 2012年11月6日 ◆矛盾と闘った懐深き思考 シモーヌ・ヴェイユ(一九〇九~四三)の名に出会ったのは、日の作家を通じてだった。森有正、加藤周一、神谷美恵子、須賀敦子、大江健三郎、池澤夏樹、高村薫。尊敬する彼らが、エッセーなどで、彼女の哲学者としての強靭(きょうじん)な思考力、類いまれな行動力、そして糧難の戦時下で自らに摂制限を課し三十四歳で早世するという激烈かつ清らかな最期に、異口同音に関心や敬意を表していた。「一体、どんな人なのだろう?」彼らを通じて興味を抱いたのが研究・執筆のきっかけである。 十年ほど読み続け、彼女がよく用いる「犠牲」という言葉に込められた意味の変化を追っ

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 今週の本棚:鹿島茂・評 『シモーヌ・ヴェイユ−犠牲の「思想」』=鈴木順子・著- 毎日jp(毎日新聞)

  • Amazon.co.jp: 前キリスト教的直観 (叢書・ウニベルシタス): シモーヌヴェイユ (著), Weil,Simone (原名), 純子,今村 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 前キリスト教的直観 (叢書・ウニベルシタス): シモーヌヴェイユ (著), Weil,Simone (原名), 純子,今村 (翻訳): 本
  • 「シモーヌ・ヴェイユ: 哲学者のアンガジュマン」 を観る

  • シモーヌ・ヴェイユの詩学(今村 純子 著)| 推薦文「発光する希望の結晶体」(港 千尋 氏) | 慶應義塾大学出版会

    労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、美であり、詩である(シモーヌ・ヴェイユ) ▼書は、美学・詩学の視点からシモーヌ・ヴェイユの思想を体系的に論じ、その真髄を明らかにするものである。自らの「工場生活の経験」(1934-35年)を遠景にもちつつ発語された 「労働者に必要なのは、パンでもバターでもなく、美であり、詩である」 というヴェイユの言葉は、社会科学と美学・詩学との連続性を問うものであり、書は、「見える世界」 が極度に重んじられる現代にあって、「見えない世界」 が根をもってはじめて 「見える世界」 が豊かに花開くことを提示する。 ▼書ではヴェイユの哲学が、デカルト哲学を基底にしていることに着目し、カントのみならず、デカルトがどのようにしてプラトニズムと結びつき、ヴェイユの思想を開花させたのかを体系的に論じる。一方で、ヴェイユの思想を現実の状況に照らして問い直し、また日思想(

  • 【於 明治大学】シモーヌ・ヴェイユ生誕100年記念シンポジウムのお知らせ (Section Française Komaba)

    Section Française Komaba 東京大学教養学部地域文化研究学科フランス分科および大学院総合文化研究科地域文化研究専攻小地域フランスの公式ブログです。 7月14日に、明治大学においてシモーヌ・ヴェイユ生誕100年記念シンポジウムが開かれるとのことです。パリ第7大学より、マルティーヌ・レイボヴィッシ氏を招いて講演会があります。 また前教務補佐員の鈴木順子さんと、専攻博士課程に在籍している渡名喜庸哲さんも発表をなさいます。みなさま、どうぞ奮ってご参加ください。 明治大学主催 シモーヌ・ヴェイユ生誕100年記念シンポジウム 「シモーヌ・ヴェイユと来るべき倫理 ─パリ第7大学M.レボヴィッシ氏を招いて─」 日時 :7月14日(火) 場所 :明治大学駿河台校舎アカデミーコモン2階会議室 参加自由、通訳あり 第一部(14:00‐16:30) 渡名喜庸哲 : 「エマニュエル・レヴィナ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/07/07
    7月14日
  • 数学は体力だ!

    木村 達雄    数学系教授(当時) 初出: 筑波フォーラム 45, 104-107, 1996年11月 (筑波フォーラム編集室了承済) 1.研究室の様子 私の研究室は代数学,とくに代数幾何学,代数的整数論(及び代数解析学)などの研究をしていますが,特に概均質ベクトル空間の研究者が育っています。 大学院生たちの人数が多いので,上の者は下の者を指導し,同じレベルの者は互いに教え合うという原則でやっています。また頭脳も体の一部という考えから体力をつけるよう注意しています。数学の才能の開き方は人それぞれ実に異なるので,才能とか素質については余り言わず,ねばり強い努力を勧めています。 数学の内容そのものを一般にわかりやすく説明するのは大変難しいので,ここでは研究室で学生や院生を指導する時の考え方のもとになった数学に関する私の経験などを述べてみます。 2. 数学は体力だ(ヴェイユの言葉) 一般に世間

    数学は体力だ!
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  • 中里一日記: 妹の命を救ってくれなかったカントへ

  • 中里一日記: 理解について

    理解について 学校の成績に関する限りはうまくいっていたが、有能な先生の指導にもかかわらず、私は哲学というものを決して「好む」にはいたらなかった。この学問と私の思考法には非両立性が在るようだ。試験ではカントとデュルケイムに関する問題が出題された。私は使っていた教科書はよく勉強していたので、無難な小論文が書けたが、それまでにこのふたりの学者が書いたものを一行も読んだことはなかった。それなのに、私は自分が思ったよりも、はるかに上位の成績がもらえたことが不快だった。 (中略) 自分が話している中身についてほとんど理解していないのに充分やってのけられる学問など、一顧だに価しないと、私には思えたのだ。 『アンドレ・ヴェイユ自伝 上』(シュプリンガー・フェアラーク東京)25~26ページ 逆にいえば、ヴェイユのような数学者は、たとえば高次元の幾何学を、論理的な操作以上のものとして理解できるらしい。想像もつ

  • Blogger

    Google のウェブログ公開ツールを使って、テキスト、写真、動画を共有できます。

  • シモーヌ・ヴェイユのために

    フランスの活動家=思想家、ヴェイユ論。釜ヶ崎に来る前後、ヴェイユを熱心に読んでいた。そして35才になったとき、とうとうシモーヌ・ヴェイユの死んだ歳を越えたんだなあと思って、それまで読んでなかったものも含めて集中的に読み返した。その時の印象がこの文章の出発点になっている。それと同時に、「c.s.l.g」の結果を社会的問題に適用したらどうなるかという試みでもあった。 ついでながら、もしシモーヌ・ヴェイユが現代日に生きていたら、かなりの確率で釜ヶ崎に来ていただろうが、その場合われわれはきっと「あの人、すごい人なんだけど、ちょっとずれてるよねー」(あるいは「ずれてはいるけどすごい」)と評したことだろう。そこら辺が「追跡不可能で追跡不必要」なのだと思う。 この文章の結末は、ただちに「文書・2001年2月7日」に接続している。 シモーヌ・ヴェイユ(1909~1943)はベルナノスへの手紙(1938年

  • シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)の言葉

    ある事象が神に発していることを示す公準は、真理を宣言し正義を愛するという能力 こそ喪失しないが、それらが狂気の性格のいっさいを現しているということである。 「超自然的認識」 自分が死ぬ前には、十字架にかけられて、「わが神よ、どうしてわたしをお見捨てにな ったのですか」といわれたあのキリストと完全に同じ状態にされていたい。その特権を うるためなら、わたしは天国と呼ばれるものは全部よろこんで捨て去ってしまおう。 「超自然的認識」 神がわれわれを愛したもうから、われわれは神を愛さねばならないというのではなく、 神がわれわれを愛したもうから、われわれは自分を愛さなければならないのである。こ の動機がなかったなら、だれが自分を愛することができようか。こうした廻り道を経なけ れば、人間は自分を愛することができないのである。 「愛と死のパンセ」 空想はいつも一つの欲望、すなわち一つの価値に結びついている

  • シモーヌ・ヴェイユ - Wikipedia

    シモーヌ・ヴェイユ シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)(Simone Weil, 1909年2月3日 - 1943年8月24日): フランスの哲学者。『重力と恩寵』が有名。 シモーヌ・ヴェイユ (政治家)(Simone Veil, 1927年7月13日 - 2017年6月30日): フランスの政治家。同国保健相や欧州議会議長などを歴任。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。

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