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ブックマーク / call-of-history.com (106)

  • ジャンヌ・ダルクの生年月日が1412年1月6日になるまでの経緯

    ジャンヌ・ダルクの生年月日は1412年1月6日であるとされるが、史料による直接的な記述に基づくものではない。 1412年生まれなのか?生年についてはジャンヌ・ダルクの処刑裁判での証言に基づいている。 フランス・ノルマンディ地方の主邑ルーアンで行われたジャンヌ・ダルク裁判の、1431年2月21日の第一回審理で、以下のように供述がされている。 『現在何歳かと問うと、十九歳だと思うと答えた。』(注1) 彼女は自身の正しい生年月日を知っているわけではなく、この証言をもとに遡って1412年が彼女の生年であると考えられた。 当時は誕生日を祝う習慣がないので生年月日を詳しく知らないのは一般的なことであり、逆に生年月日を知っている方が、怪しい占星術などにこだわっていると疑われるほどである。当時の農村社会だと、人々は自身の年齢については15歳、20歳などとキリのよい年齢を言うにとどまる(注2)。例えば四十代

    ジャンヌ・ダルクの生年月日が1412年1月6日になるまでの経緯
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/01/07
    “ジャンヌ・ダルクの誕生日を1412年1月6日とするのは史料上確実な根拠に基づいているものではないが、通説として受け入れられている”
  • 「公会議主義」の登場から退潮まで~中世末期教会改革の挫折

    公会議(ラテン語” Concilium Oecumenicum”,英語” Ecumenical council”)は以下のように定義される。 『カトリック教会において全世界の司教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教生活に関して規範となるような議決を行う教会の最高会議。教皇が召集・主宰し、決議を承認すると規定されている』(注1) 325年の第1ニカイア公会議を最初の公会議として、教皇の下で教義の制定や教会行政上の決定、異端の排斥などの機能を担ったが、十一世紀以降の教会改革を経て教皇権が強化されると、教皇の悪政を抑止する機能を公会議が持つとする見解が生じ、十三世紀頃から教皇至上権に対し公会議こそ教皇より高位の権力を持つとする理論が提唱されるようになり、1378年から「教会大分裂(大シスマ)」時代に入ると、公会議が教会における至上権を持つとする「公会議主義(” Conciliaris

    「公会議主義」の登場から退潮まで~中世末期教会改革の挫折
  • 「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争

    【3月21日 AFP】フランス史上最も有名な殉教者ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)のものとみられる指輪が20日、西部バンデ(Vendee)県にあるピュイ・デュ・フー(Puy du Fou)の歴史テーマパークで公開された。 ジャンヌ・ダルクの三つの指輪記録に残る限りでジャンヌ・ダルクにまつわる指輪は三種類ある。 第一の指輪は1429年6月、ジャンヌ・ダルクからジャンヌ・ド・ラヴァルという女性へ送られた金の指輪である。ジャンヌ・ド・ラヴァルはシャルル5世に仕えてフランスの勝利に貢献した名将ベルトラン・デュ・ゲクランの後だった老女で、ジャンヌ・ダルクの戦友としてともに戦っていたギー・ド・ラヴァルとアンドレ・ド・ラヴァルの祖母にあたる。 第二の指輪は兄から送られたという指輪で、ジャンヌ・ダルク処刑裁判の証言によれば裁判中、この指輪は裁判長ピエール・コーションによって保管されている。ジャ

    「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争
  • フィボナッチの登場と複式簿記の誕生が育む十六世紀数学革命

    レオナルド・フィボナッチ『インドの九つの数字は9、8、7、6、5、4、3、2、1である。これら九つの数字とアラビアではzephiriumと呼ばれる記号0でもって、以下に示すように、任意の数字を表すことができる。』 (山義隆著「一六世紀文化革命 1」P318よりレオナルド・フィボナッチ著「”Liber abaci”算数の書」(1202年:未邦訳)冒頭の山による邦訳を孫引き) この一節で始まる1202年の数学書「”Liber abaci”算数の書」の発行が世界史上の画期であることは誰しもが認めるところだろう。商人で数学者のフィボナッチことピサのレオナルドは、書でアラビア数字のイタリアへの導入、同時にそれらを用いたイスラム社会の十進法での整数と分数の計算方法を解説、最初の回帰数列であるフィボナッチ数列の考案、歴史的には修辞代数に分類される代数学の提唱などをまとめ、当時の商業数学の集大成であ

    フィボナッチの登場と複式簿記の誕生が育む十六世紀数学革命
  • アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡

    七王国時代の開幕ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢力争いをはじめた。この時代は有力な七つの王国――ケント(” Kent “)、エセックス(” Essex “)、サセックス(” Sussex “)、ウェセックス(” Wessex “)、イースト・アングリア(” East Anglia “)、マーシア(” Mercia “)、ノーサンブリア(” Northumblia “)――が次々栄え、覇を競ったことから七王国(” Heptarchy “、ヘプターキー)時代(注1)と呼ばれる。ただし七つの王国だけでなく中小様々な王国も存立しておよそ二十の勢力が割拠していた。 ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年の

    アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡
  • ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史

    ブリテン諸島史「五世紀のアングロ・サクソン人のブリテン島移動」 著作権:my work [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)] ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルのローマ皇帝によって承認されるまでの時期を想定している。』(近藤33頁) ブリテン諸島史においては、広義には410年のローマ皇帝ホノリウスによるブリタニア属州放棄から、アングロ・サクソン諸族の侵攻と七王国時代を経て九世紀半ば~十世紀初めのウェセックス王国による統一王権の形成までの約500年の時期を指すが、ここでは狭義のポスト・ローマ期、すなわちローマ

    ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史
  • 古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ

    シュメールかシュメルか「シュメール」という日語表記については、小林登志子『シュメル――人類最古の文明』で以下の通り指摘されている。 『なお、我が国では「シュメル」ではなく、「シュメール」と「長音記号」を入れて表記されることが多いが、これには理由がある。第二次世界大戦中に「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した。そこで、我が国におけるシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生(京都大学名誉教授)が混同されないように音引きを入れて、「シュメール」と表記された。』(はじめにより) 特に古代オリエント史における固有名詞の和訳の問題については小川英雄著『古代オリエントの歴史』でも死語も多い古代語でセム語系や印欧語系を始め多くの言語とも関係している点で、『一定のシステムで音写の仕方を統一することは不可能』(注1)で

    古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ
  • 中世末旅行が始まるぞ!「エーゲ海を渡る花たち 1巻」感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    あらすじ舞台は十五世紀半ば、イタリア北部の都市国家エステ辺境伯フェラーラ候領。オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落直後で、主人公の一人オリハがその影響を受けたことが作中で明かされるので1453年以後ほどないころと思われます。当時のイタリアとフェラーラに関する歴史的背景については前回の記事でまとめたので、詳しくは以下の記事を参照いただければと思いますが、一巻のあとがきでも日之下先生が描かれている通り、丁度イタリアが”奇跡的に”平和な時代が舞台です。 商家ロセッティ家の令嬢ながら旅することを夢見る通称「跳ねる嬢(インペンナータ)」と呼ばれるおてんばなリーザと、クルム(クリミア)からイタリアへと紆余曲折を経てたどり着いた物静かで思慮深そうなスラヴ系少女オリハが出会い、オリハの妹を探してクレタ島へ向かって一緒に旅立つ中世ヨーロッパ地中海旅行記です。 1巻では、出発に難色を示すリーザの姉マリ

    中世末旅行が始まるぞ!「エーゲ海を渡る花たち 1巻」感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 若き米国人女性宣教師マーガレット・バラが見た幕末日本

    神奈川県の歴史について色々調べている過程で、図書館で幕末に日を訪れた女性宣教師の手紙をまとめたを見掛け、読んでみたら結構面白かったので軽く紹介してみる。まぁ、20年以上前ので絶版のようだし、amazon見てもランキング115万位でレビューも無し、google検索結果も約 1,950 件(うち関係するのは三ページ目までで、しかもほぼ全てネット書店)、著者マーガレット・T・K・バラについての日wikipediaページも無し、と殆ど注目されていないものなので興味がある方は図書館なり古書店なりで探してみてください。まぁ版元の有隣堂も神奈川ローカルの出版社なので、他の地域で手に入るかは不明ですが。(注1) 著者のマーガレット・テイト・キンニア・バラ(1840-1909)が夫で同じくプロテスタント宣教師のジェイムズ・ハミルトン・バラとともにアメリカから船旅で日を訪れたのは1861年11月、

    若き米国人女性宣教師マーガレット・バラが見た幕末日本
  • 「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果

    「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を

    「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果
    gogatsu26
    gogatsu26 2018/07/03
    こういう場合の「美しい」は「決して醜くはなかった」という主張でしかないような
  • 「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

    アドルフ・ヒトラー率いるナチス第三帝国はその十二年の統治の間、ドイツ国民の支持を広範囲に得て味方につけ、その維持に力を注いだ。ほとんどの場合、ドイツ国民は自らの意思で、積極的に、戦局が悪化して体制崩壊寸前となってもなお独裁体制を支持し続けた。メディアを積極的に活用したヒトラー政権はさまざまな残虐行為を隠すよりも公開して、その意義を訴える一方で、巧みに情報統制を行い、国民もそれに同意したのである。 『第三帝国の歴史では一貫して、同意と強制とはもつれ合っている。その理由の一部は、国民がほとんど好意を抱いていなかった特定の個人、少数派、社会集団を狙って強制と恐怖の手段が行使されたからだ。』(P2) このでは、そのヒトラー政権を支持し続けた国民たちの姿が当時の公文書や新聞、メディア、その他さまざまな文書を元に生々しく描き出されている。上下二段組み全324ページの大著である。 ワイマール(ヴァイマ

    「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著
  • 「コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき」金水 敏 著

    「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりある。のむよろしい。」 映画、マンガ、アニメ、小説など創作において中国人のキャラクターが描かれるときに特徴的な言葉遣いがある。実際の中国人が使うことはない<アルヨことば>はどのように誕生してきたのか、「役割語」を専門とする著者がそのルーツと歴史的な形成過程を整理したのが書である。 <アルヨことば>の主な特徴<アルヨことば>の主な特徴として以下の四点が整理されている。(P3) A 文末に「ある」がついて断定を表す(「ある」語法と呼ぶ)。 B 文末に「よろし(い)」がついて命令ないし勧誘を表す(「よろしい」語法と呼ぶ)。 C 「が」「を」等の助詞が抜け落ちている。 D 文と文をつなぐ接続詞や接続助詞も抜け落ちて、文と文の関係がつかみにくい。 宮沢賢治作「山男の四月」と中国人蔑視このような<アルヨことば>の初出は宮沢賢治作「山男の四月」(1921年)である

    「コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき」金水 敏 著
  • 「キリシタン大名 (読みなおす日本史)」岡田 章雄 著

    講談社学術文庫やちくま学芸文庫などを始めとして学術書の再刊レーベルは多い。吉川弘文館の「読みなおす日史」シリーズも評価が定まっていながら入手が困難になった歴史書の名著の再刊を行っている。書は1977年に刊行された、当時としては新しい翻訳史料にもとづいて「キリシタン大名」の全体像を描いた名著で、2015年に「読みなおす日史」シリーズの一冊として再刊された。 著者の岡田章雄(1908~82)氏は戦後の中近世日欧交渉史、キリスト教宣教史研究をリードした研究者で、以前紹介したルイス・フロイス著「ヨーロッパ文化と日文化 (岩波文庫)」の翻訳者でもある。同書は丁寧な翻訳と詳細な注釈が実に素晴らしい仕事だった。 キリスト教の平等と戦国大名の統治さて、書は著者の元に送られた中学二年生の女の子からの手紙への回答から始まる。 「私は『キリシタン大名の領地内のキリスト教信者(農民)の統制はどのように行

    「キリシタン大名 (読みなおす日本史)」岡田 章雄 著
  • 欧州の怪火伝承~ウィル・オ・ウィスプとジャック・オ・ランタン

    原因不明の発火現象「怪火」にまつわる伝承は世界中に見られる。日でも狐火や鬼火、不知火などとして知られるが、ここでは主に欧州の「怪火」にまつわる様々な言い伝えを簡単にまとめ。 「怪火」は「愚者の火(ignis fatusイグニス・ファトゥス)」と呼ばれる。その火についていくのは愚か者の所行だからである。「怪火」は大きく分けて「死の予兆」と「旅人を惑わす明かり」がある。前者は「人魂(コープス・キャンドル)」「ウィル・オ・ウィスプ」等、後者には「ジャック・オ・ランタン」等で、いずれも多数の伝説がある。 「人魂(コープス・キャンドル)」主にウェールズ地方をはじめとするブリテン諸島で見られる死の予兆。死が迫っている人の家や場所で地上を上下に飛び回り蠟燭の火のような形をしている。アイルランドとイングランド北部では生霊の蠟燭とも呼ばれる。イングランドでは死者の魂についていくと言われ、ウェールズの伝承で

    欧州の怪火伝承~ウィル・オ・ウィスプとジャック・オ・ランタン
  • 「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著

    「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマ帝国は最大版図五百万平方キロメートルもの広大な領土に十五万キロメートル(うち八万キロメートルは舗装道路)ものローマ街道が張り巡らされていた。ローマ帝国はその広大さ故に隅々まで行き渡る水陸の交易路を使ったヒトと物資の移動流通網があって初めて成り立っていた。書はシビル・エンジニアリング(土木技術、構造工学などの総合的な概念)の観点から、ローマ帝国を支えた陸の道と水の道を解説した一冊である。著者は工学博士。 目次 第一部 すべての道はローマに通ず 第一章 ローマ街道の意義 第二章 ローマ帝国以前の諸外国の道路網 第三章 ローマ街道を使った国家統治・防衛と旅の安全・楽しみ方 第四章 ローマ街道の建設技術 第二部 河川・海上交通がローマの繁栄をもたらした 第五章 何を、どこから運んだのか 第六章 船と運航者 第七章 航海で必要なインフラ(港と灯台、地図

    「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著
  • 「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」大田俊寛 著

    二十世紀のオカルティズムの拡大と浸透の過程で現代日社会にごく当たり前の思想として受け入れられている霊魂観――「肉体が潰えた後も霊魂が存続し、輪廻転生を繰り返しながら永遠に成長を続ける」(P242)ことで、やがて「神的存在にまで到達することが出来る」(P22)という進化・成長する霊魂観――はオウム真理教や幸福の科学などの新新宗教から小説映画ドラマそしてアニメーションなどのサブカルチャーまで幅広く見られる共通の思想であり、ルーツを辿ると十九世紀の神智学に行き着くものだ。 書は日に限らず現代世界に広く行き渡ったこの「霊性進化論」の誕生からナチズムや人種主義、戦後の英米のニューエイジ運動、そして現代日のオウム真理教と幸福の科学に至る展開の過程と幅広い影響を概観する一冊である。 「霊性進化論」を生み出したのはオカルトにちょっとでも興味がある人には超有名人のブラヴァツキー夫人(1831~91)

    「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」大田俊寛 著
  • 「ポル・ポト<革命>史 虐殺と破壊の四年間」山田寛 著

    破壊と殺戮の二〇世紀の百年の中でも殊更異彩を放つのが1975~79年のカンボジアを支配したポル・ポト体制であった。人口八〇〇万人の国家で、約一五〇万人から二〇〇万人が殺され、全ての国民が農地へと送られ、貨幣と市場が否定され、宗教、文学、音楽、ありとあらゆる文化が弾圧され、行政機構が解体され、多くの建造物や社会インフラが破壊された。未だ謎の多いポル・ポトによる革命を整理した一冊。 ポル・ポトとクメール・ルージュ統治下のことについてはわからないことが多い。証拠となる資料があまり残っていないこと、クメール・ルージュ時代の真相解明が政争の道具となりがちなこと、事件を総括する裁判がその後の政治状況もあってなかなか開かれず、開始されたのが2007年とかなり間が空いたこと、当事者の多くが老齢で認知症となった者もいて証言を得にくくなっていること、そしてポル・ポト一人にその責をかぶせて真実に蓋をしてしまう傾

    「ポル・ポト<革命>史 虐殺と破壊の四年間」山田寛 著
    gogatsu26
    gogatsu26 2015/09/29
    “貧農を重視したポル・ポトとその取り巻きであるクメール・ルージュの最高幹部の大半が、富裕層・上流階級出身であったという指摘は興味深い”
  • 「世界を変えた火薬の歴史」クライヴ・ポンティング 著

    三大発明といえば火薬・羅針盤・活版印刷術である。中でも火薬は産業技術から軍事技術まであらゆる面で中近世世界に革新を促すものだった。八~九世紀ごろの中国で誕生し、宋代の中国で一気に実用化されて様々な発明品を生み出し、イスラーム世界を通じて拡大し洗練され、十四~五世紀の欧州へと渡って社会構造を激変させ、やがて近代を生みだす引き金になった。十九~二〇世紀初頭の高性能爆薬の発明によって軍事技術として一線を退くまでの黒色火薬の歴史を概観する一冊。 火薬は、軍事技術として数多の人々の命を奪い傷つけることになるわけだが、皮肉なことに、錬丹術師たちによる不老不死の探求の中で生み出された。 火薬は硝石と硫黄と木炭の混合物だが、それぞれ硝石は延命に硫黄は精力増強に効くと考えられていた。これを混ぜあわせるようになるのが四世紀頃。808年の記録に硝石と硫黄とウマノスズクサ(炭素を含む)による発火作用の記録があり、

    「世界を変えた火薬の歴史」クライヴ・ポンティング 著
  • 「山怪 山人が語る不思議な話」田中 康弘 著

    マタギ・狩猟に関する著書が多い著者がマタギ、猟師、山で暮らす人々や山岳関係者から収集した山にまつわるちょっと不思議な話集。 著者が「こので探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話、そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である、または不思議であるという出来事だ」(P248)と言う通り、物語性の強い怖い話は少なく、語り手の体験の主観がよりくっきりと現れた他愛無い雑談という雰囲気が強い。 語られる不思議な話の多くに共通するのが何につけ狐や狸に化かされたという結論に至る話が多いことで、最近になっても狐に化かされるという話が説得力を持っているようだ。面白いのは、狐に化かされたというオチになる話の多くが、例えば、間違えるはずのない慣れた山道で迷ったとか、待てど暮らせどなかなか来ない待ち人が実は狐に化かされて遅れたとか、姿が見えなくなったのでみんなで探しだしてみたら意

    「山怪 山人が語る不思議な話」田中 康弘 著
  • 「大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー」 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ヨーロッパの中世を「暗黒時代」、すなわち「暴力と狂信と無知と停滞の時代」とする見方はすでに否定されている。確かに絶え間なく続く戦争と、キリスト教的世界観の浸透と、ローマ教会の支配が築かれ、ギリシア・ローマ時代の知識が少なからず一時的ながら失われた時代ではあったけれども、後に近代を切り開く土台となる様々な技術のささやかながら着実な革新が繰り返された、ゆっくりと着実な進歩の時代であった。その中世ヨーロッパのテクノロジーとイノベーションはどのようなものであったのか、緩やかな技術革命の千年を振り返る一冊である。 別に中世ヨーロッパが栄光の時代であったとか、産業革命に比肩する技術進歩の時代だったなどと言う訳ではなく、ただただ、後進地であったヨーロッパで中世の千年間で起きていた地道な技術的革新の歩みを描いているに過ぎないが、そこにドラマがあり、面白さがある。ジャレッド・ダイアモンドとかウィリアム・H・

    「大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー」 | Call of History ー歴史の呼び声ー