ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
のデータを使って、 はてブの管理画面(http://b.hatena.ne.jp/自分のユーザーID/config)の、詳細設定の非表示ユーザーのところに「Webから取得」というボタンをつけて、クリックしたら自動的に取ってきてくれるGreasemonkeyスクリプト。 // ==UserScript== // @name GetHatenaBookmarkIgnoreUsers // @namespace http://d.hatena.ne.jp/javascripter/ // @include http://b.hatena.ne.jp/*/config // ==/UserScript== (function() { var [ignore] = document.getElementsByName('ignore_users'); var button = document.cr
こんな記事を匿名で書いてる俺は死ねばいいのに!コメント欄やタグの表現について - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど記事を立ち上げてから24時間が経ったので終了します たくさんの返信を頂き 有り難うございました615名のユーザーが登録されています 適当に追加したり削ったりして ご利用ください最終更新: 2008年7月10日 22時13分 abekameri|abesinzou|activecute|admmey|adole|Agguy0c|aksumi|albertus|alfa156ts|alharascholar|alloreverything|ama2|Amerikan|andalusia|anigoka|ansel|AntiSeptic|antonian|Apeman|API|Archaeopteryx|ariasblog|Arisan|arisia|arkanal
自分は生き延びているから違うかもしれないし、自殺というのは結果であって、プロセスは多様かもしれないし、それをいうなら同じプロセスでたまたまダセーで生きていることもあるかもしれない(俺っぽい)し。 でも。 僕は自殺というのは自己分裂じゃないかと思っている。 「僕は死ぬ」というのじゃなくて、分裂した自分が「死ね」と言っているのだと思う。そのボリュームを下げるとなんとか生きられるというか、そもそも他者が示した死を僕は確信できないんだよね。 分裂した自分というのは、いちおう無意識といってもいいのだろうと思うけど。 けどというのは、ネットとかやっていて、死ね死ねよく言われるのだけど、それも、結果的には自分の無意識と同質のプロセスなんじゃないかと思う。 ある人は別の人の死の分裂を引き受けるというか。 引き受けさせてしまった私のカルマは深いというか。 生きるというのは、してみると、ダセーでなければ、統合
先日、はてなブックマークで硫化水素で自殺する方法を掲載したサイトがクリップされていた。混合する薬品、やり方、ご丁寧にも入り口に貼り付ける注意書きのプリントアウト用原稿まで提供。そして最後に、摘発された場合に「自殺を思いとどまらせるためのリンクもつけてますよ」と言い訳するためだろう、いのちの電話などへのリンクを付けるという反吐が出るようなサイト。有害情報としてフィルタリング?ふざけんな。作った奴を特定して事情聴取しろよ。プロバイダーに削除要請?それで仕事をしたつもりだったら、それこそ犯罪だぜ、警察庁よ。税金窃盗団に改名したらどうだ? 現状、「有害情報」として接触させないというのは次善の策として容認しても良いと思う。まあ、ネットにそういう情報があると一生懸命宣伝している「報道機関」が規制されない限り無意味ですが。そうやって検索ワードまで明示して自殺願望者をネットの「有害情報」に誘導し、それによ
人が自殺して、遺書なりを残すことがある。それが本人の最後の言葉だというのは間違いないが最後の思いであったかどうかはよくわからないと思う。そしてそのわからなさというのはぼんやりと関心を持つ人に、さまざまな憶測というかゴシップが流れ混む。総じて見れば、死者を冒涜したくてたまらないのであり、それは自死へのある自然な嫌悪の表現なのかもしれない。つまり、そうして貶めることで自分の、自殺者への関心への薄暗がりを隠蔽したいのだろう。 自死者が最後に何を思ったのか。そこは究極のところわからない。というか本質的にわからないものがあり、メタ的に見るとたいていは一種の精神疾患であり自己分裂なのではないかと思う。それはすでに書いた。あのおりのぶくまなりのコメントはざっと見たが、あまりそう思う人はいないようであった。私の疑問のコアは伝わってないのだろうとも思うし、伝わる必要もないのだが、自死者に対するある疑問がさら
聖書に詩篇というのがある。 ⇒詩篇 - Wikipedia 『詩篇』(しへん、ヘブライ語:תהלים Təhillīm, Psalm)は『詩編』とも書き、旧約聖書におさめられた150編の神への賛美の詩。日本ハリストス正教会では『聖詠(経)』(せいえいけい)と呼ぶ。 ほとんどの詩が典礼に用いられた詩と神への感謝の詩に分類することができる。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ。ラテン語で詩篇を意味する『Psalmi』は七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。ユダヤ教聖書の配列では「諸書」(ケスビーム)の1つ。 「詩」であるとも言えるし日本や東アジア文化的な意味での「詩」かどうかは難しい。ポエムといったものではない。 詩篇はそれぞれが独立した祈祷文として用いられる。 というわけで、「祈り」に近い。 で。 神よ、わたしはあなたに呼ばわり
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