第1回で取り上げたダグラス・エンゲルバートというエンジニアは、幻覚剤のLSDを試したこともあった。それは、60年代のカウンター・カルチャーを象徴するドラッグがコンピュータ開発の場にも紛れ込んだことを示しているが、その過程をひも解く前にカウンター・カルチャーについてざっと整理しよう。 ヒッピー、コミューン、ドラッグ、ロック、ビートニク、公民権運動、ベトナム反戦、ゲイ解放……。カウンター・カルチャーとは60年代に米国の若者たちによって隆盛したそれらの総称で、既存の文化や体制に反抗した点で、各運動は共通する。サンフランシスコ・ベイエリアを中心地とするそんなカウンター・カルチャーは、それぞれが連動して67年に“サマー・オブ・ラヴ”というハイライトを迎えた。この時代のアメリカにおけるドラッグやコンピュータについて、『パソコン創世「第3の神話」』(NTT出版)の訳者・服部桂氏はこう話す。 「アメリカは
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