野外で森林性の野ネズミの台所を子供たちに教えます。 ドングリなどの食痕はきれいに食べているものが多いように見えますが,実際に食べているのを観察すると,食べかけでぽろっと手から落として,別のものに手を出したりします。 これは,不思議でも何でもなく,ドングリそのものを食べるためではなく内部のニセコナラシギゾウなどの加害昆虫の幼虫の方をターゲットにした採餌であったり,ドングリが有り余る場合,栄養分の高いところだけ口にして,次に手を出すのが胃袋の小さな彼らにとっては最適の栄養摂取戦略であったり,あるいは,そこを移動すべく食いかけを放り出して別のところでまた新たに食べ始めるというのが,天敵をたくさん抱える動物としては当たり前だからであったりします。 追記ー子供たちにこのあたりを教えると,結構びっくりして「ヒメネズミ(アカネズミ),ずるーい」と言います。彼らにとって残飯を放り出すと言うことが「悪」にな
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
カリフォルニア州マウンテンビュー発--Googleは、自社のコンピューティングの運用については多くを語らない。しかしGoogleは米国時間4月1日、当地で行われた、注目度が高まっているデータセンターの効率性に関するカンファレンスで、そのインターネットの力の中枢にあるハードウェアを初めて公開した。 ほとんどの企業は、DellやHewlett-Packard(HP)、IBM、Sun Microsystemsのような企業からサーバを購入している。しかしGoogleは、何十万台ものサーバを保有していて、そのサーバを稼働させることが自社の中心的な専門技術の一部だと考えており、自社独自のサーバを設計および構築している。Googleのサーバの多くを設計したBen Jai氏は、高度な技術を持つ、非常に熱心な聴衆の目の前で、現在のGoogleサーバを公開した。 Googleサーバで非常に驚くのは、サーバ1台
ショッピングセンターってさ、店とかいっぱいあっていてて飽きないんだよね。まさに休日の楽しみって感じがしてさ、本当楽しい。 もうショッピングセンターで過ごした休日とか最高。色んな服が売ってるちょっとオサレな所とか、何食おうか目移りしてしまうぐらい多いフードコートとか、中高生でごった返してるゲーセンとか、至高。マジいるだけで幸せって感じぃ~とか思っちゃうよね、そりゃあもう。 んで、本屋でほっと一息本選びに精を出しちゃったりしちゃって入る時は特に欲しくなかったのに、雰囲気に呑まれて買っちゃうの。ああ、僕は今たかが本なんかのために1万円札を使ってしまいます、とか考えるわけ。それがまたいい。金を使うと気持ちいい。 そろそろ夕方に差し掛かってきたところで、スーパーで適当に惣菜を買って帰るの。この時間になると思わずこみあげてくる寂寥感がヤバイ。明日からまた仕事か~とか思いながら、レジ袋に惣菜を入れる。も
よし、じゃあオレの主張を書こう。 「絵の才能は見切れない」 もしもこの命題が正しいとしよう。 であるならば、見切れないものについてどう判断するべきか? 見切れないまま人生を進んでみるべき? 答えは「見切れるもので判断する」だ。 見切れるものは下記のようなものだ。 ・収入はどのくらい必要になるか? ・どのくらいの学校にいけば、どういう職業に就くことができるか ・その職業ではどういう技能が必要で、どのような資格をとっておくべきか ・何歳まで働くつもりなのか。老後のためにはどの程度の蓄えが必要か ・扶養家族はいるか。いるとしたらどのような対処をとるべきか 実に明確だ。 つまり「見切れない要素」はもう「見切れないこと」である時点で要素間の競争力を失っている。 「見切れないこと」に賭けるということは計画性を破棄したということと同義であり、 非常に確率の悪いギャンブルに賭けているようなものだ。 宝くじ
だからそういう覚悟のあるやつは何をいってもやるに決まってる。 そいつには何を言っても無駄さ。 だが世の中には頭の中がお花畑のやつが大量にいるんだよ。 お花畑をそのまま世に解き放つというのか? ニートをこれ以上増やしたいのか。
http://anond.hatelabo.jp/20090409020005 これ書いた増田です。 気持ちが悪いって言う感情論だから、良し悪しは考えてない。 今考えてみたけど、よくないと思う。 才能を全否定するつもりはさらさらない。若くして紛れも無く天才、ってのはいる。 芸術家を目指している時にそういう奴に接した時の無力感はとてもよく分かる。というか、経験してる。 でも、芸術家って最初から芸術家っていう天才型だけではないんだよ。 徐々に覚悟ができていくっていうのかな。そういうしぶとい芸術家もいる。生きてるうちに評価されなかったりするかもしれないけど。 芸術以外のことを(金とか、飯とか、異性とか、家庭とか)ブッちぎる覚悟でじわじわ行く奴。 元増田のやってることは天才型以外の芸術家は認めないってことになるでしょ? そこが気持ち悪さのもとだと思う。 だから、やっぱり元増田は良くない。邪魔つか余
何度か読み直したけど、どうしても気持ち悪いので書かせて欲しい。 元増田、お前は絶対勘違いしてる。 お前は飯が食えないことに怯えて自分の魂を捨てた抜け殻だろうが。 芸術家になれなくて、なりたくも無い教師になって、挙句に夢見るこどもを早く諦めさせたほうが良いと思い込んでる。 余計なことすんな。 お前は、ちょっとデッサンが上手くて、何がしかの絵が描けて、芸大に入ったところで終わっただけの人間だろ。 諦めて降りた奴が何を偉そうにこれからの奴を引き留めるんだよ。ふざけんな。 芸大出てそこそこ食える芸術家だけが芸術家か?ふざけんな。 芸術家には芸術家になる覚悟のある奴だけがなるんだよ。 飢えて死ぬことを恐れて降りた奴が余計な心配するな。 目の前に自分よりも凄い才能を見たから降りた?ふざけんな。 そんなら、ピカソや岡本太郎みたらみんな降りなきゃなんなくなるだろうが。 逆だろ。目の前にどんな作品があろうが
今年はさらに大きな問題になっている保育所不足と待機児童問題。 供給側(行政)もサボっているわけではないけれど、供給以上に需要が増えてるため常に足りていません。 需要が急増してる理由は、「働くことを希望する母親が増えたから」もしくは「働かざるを得ない母親が増えたから」なんだけど、 もう一歩踏み込んで言えば、これっていわゆる「供給が需要を生む構造」がある市場なんで、「永久に足りない市場」とも言えるんです。 この構造は“特別養護老人ホーム”も同じで、預かってもらえないから自宅で介護してるけど、 「公的な施設がリーズナブルな価格で親身になって看てくれるなら(自分も)入りたい、(親に)入ってもらいたい」 と思う家はたくさんあるわけで、供給側が充実すればするほど「じゃあ、うちも」という話になる。 保育所も全く同じ。 「格安で、近所で、安心して、子供を預けられる」なら働きたいが、そうでない現実だから働く
知的障害者をめぐるお題ふたつ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090122/p1 で取りあげられてしまったので、ちょっと適当に書いたエントリの補足。 まず弁解すると、僕が書いたエントリは「知的障碍者の普通科高校入学」という結論のために題材としてAAを持ってきたわけではない(そのように見えるかもしれないけど)。アメリカのオバマ大統領のことを考えていた。彼が実際はハーフだとか、奴隷の子孫ではないとか、そういうことはともかくとして、今まで「ヨーロッパ系白人男性」が独占してきた地位に、有色人種が選ばれたということが、歴史的にどういうインパクトを持つか、ということから書いたものである。それがジョージのおかげだとしても、やっぱりなったもん勝ちだ*1。女性であるとか、ネイティブアメリカンであるとか、イヌイットであるとか、ヒスパニッ
愛媛県の高校入試について家族会が知的障害者への配慮を申し入れる http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000000901160002 1月15日県教委高校教育課へ 特別措置について要望しました http://home.e-catv.ne.jp/palet6/s3-3.htm 知的障害者をめぐるお題ふたつ http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090122/p1 こんな要望をしている方々がいるようである。 http://home.e-catv.ne.jp/palet6/s3-3.htm より。 要 望 書 愛媛県教育委員会 平成21(2009)年1月15日 教育長殿 愛媛・知的障害児の家族と理解者の連絡会 平成21年度愛媛県立高校入学試験には6名の知的障害児が普通高校を受験します。そこで以下のことを要望
何を考えているかわからない、などということをよく言われる。しかしながら、他人が何を考えているかなんて、わかるはずがないではないか。僕自身、いままで出会った人で、何を考えているかわかった人なんていやしない。そんな当たり前のことをわざわざ表明されるというのは、いったいどういうことなのだろうか*1。 変人は「自分が変である」ということにすら気付かない――ある意味ではその通りなのだが、「どうやら自分は他人とズレているらしい」ということを、漠然と感じることはあるのではないかとも思う。どこがどうズレているかが、わからないのだ。そもそも誰だってどこかしら他人とズレている。そして、多少のズレは許容しあっている。自分と違う服を着ている人に目くじらを立てる人はいない。 ズレが問題になるのは、(マイノリティであることをほぼ宿命づけられている)「ズレた人」のふるまいが、マジョリティにとってひどく気になる場合だ。あ
才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか - はてな匿名ダイアリー http://anond.hatelabo.jp/20090408121545 僕自身、絵がうまかったが進路に悩んでいた同級生に、プロになるよう安易に勧めたことがある。別に僕に言われたからそうしたわけではなかろうが、彼はプロになった。しかし現時点で大ブレイクしているわけでもないので、少し良心の呵責を覚えないでもない。 「医者なんて掃いて捨てるほどいるけど、本当に才能のある絵描きは歴史を見ても1000人といない」 あんなことを言って。あれはまったく無責任だった。医者だって貴重だ。 それはともかく、世の中には芸術の女神の衣の裾にも触れることができない絵描き*1がごまんといて、それでも生きている。 親の仕事の関係で、そんな人を何人か見てきた。アルバイトで糊口を凌ぎ、お金をためては海外に行って描いた絵で個展を開く人
はて、才能の有り無しをかたるのは芸術に限った話か否か? 何事につけ才能の有る無しはあると思うんだが。あらゆる分野で。 才能があるからアーティストとして幸せになれるのか。幸せって何?お金? 未だに人に衝撃を与えるゴッホはどう見ても社会的には不幸だったし、自覚的にも幸福にはなれなかった。 彼は才能はなかったのだろうか?それとも才能を見出す人間がいなかったのか? はたまた成功するアーティストはどこから生まれてくるのか? ストリートから生まれて商業的に成功したミュージシャンは才能があったのかなかったのか。 NYのアートシーンから生まれるアーティストは才能があるのか。 大器晩成型のアーティストは存在しないのか。 自分の才能を自分で見切った時点でアーティストとしては失敗なんじゃないのか。 アーティストとは生きている間に評価されるべきものなのか。 人の能力を人が評価することがどれだけ確かなのか。 そこに
大学受験生には論理的思考力のない馬鹿が多すぎる。 とりあえずつっこみやすいところだけつっこんでおこう。 正常な脳なら、誰でも、馬鹿でも。7文字までは一発で覚えられるのに。 『ignws』 ←適当な文字列 一回、丁寧に書いて、よ〜くアタマに刻みこめば、10回も20回も書く必要なんて無いのに。 逆に、よ〜くアタマに刻み込もうとしなければ30回書いたって、記憶になんて残らないのにさ、、、、、、 『それでも数をこなせばカラダが覚える!』なんてウソだから。 まず、7文字じゃなくて7「チャンク」です。いや、っていうか「7±2」チャンクです。なので、人によっては5チャンクだし、人によっては9チャンクです。 チャンクって何かというと、例えば「2 9 8 4 1 4 5 3 6 4」と呈示されたときに覚えられない人でも、「にく はし いし ごみ むし」というのは覚えられる。これは、2と9というふたつのものを
TABLOG:ハーレーの社員に自分は「バイクを作っている」と思っているバカは一人もいない - livedoor Blog(ブログ) 要は「モノ」を売るな!「体験」を売れ!ってことですね。 2時間でわかる!「モノ」を売るな!「体験」を売れ!―エクスペリエンス・マーケティングがあなたの会社を救う! (2時間でわかる!) エクスペリエンス・マーケティングってのは藤村さんが度々強調してることだ。 ちょっと前に読んだのでうろ覚えだけど、たとえばとあるレストランでは、看板に夜景の写真を貼って、「席から見える夜景、無料プレゼント」みたいなフレーズを載せた。売上激増。みたいな。 また例として、ヴィレッジヴァンガードのPOPが紹介されてた。JazzのCDのPOPに、「僕はこれで彼女を口説き落としました」みたいな言葉が書いてあるとか。 要するに、商品を売るんじゃなくて、その商品を通してお客さんにどういう体験を
なんとなくすごい発見をした。 Googleで「〒」で検索してみると・・・ へーそうなのね。 ついでにヤホーでも検索してみる。 わかってるなら検索してくれればいいのに・・・。
ものすごくびっくりした。 札幌市営地下鉄、来月から「携帯マナーモード」の使用を解禁(今すぐ!!北海道のニュースサイト BNN) 札幌市は2000年11月、車内での携帯電話の通話が乗客の迷惑となること、携帯電話を近付けると心臓ペースメーカーが誤作動を起こす恐れがあることを理由に、車内での携帯電話使用を全面的に禁じた。 ところが、最近は携帯電話の安全性が高まり、携帯電話を原因とする心臓ペースメーカーの誤作動は起きていない。総務省の指針によると、携帯電話が心臓ペースメーカーに影響を及ぼす距離は22センチ未満。全国の地下鉄では優先席・専用席付近のみ「電源オフ」とし、メールなどは使用できることが主流になっている。 札幌市交通局は「総務省の指針で携帯電話が心臓ペースメーカーに影響を及ぼす距離が示されていること、携帯電話に通話以外の機能が増えたことなどからルールの見直しを検討していた。昨年行った市民アン
札幌の地下鉄には、「車内では携帯電話の電源を切る」というルールがある。 他の地域にはあまり存在しないルールなんじゃないかと思う。少なくとも東京や大阪にはないようだし、JR北海道にもない。大抵の場合は、「優先席付近での携帯電話の使用禁止」だ。 下手したら、電車内で全面禁止してるのは札幌市だけだったりするんじゃないか。もちろん使用禁止の理由は「ペースメーカーなどの医療機器への影響」である。 でも実際のところ、大多数はこのルールを守っていない。 地下鉄側も、最近は対策のためにわざわざ「見張り」を用意したようで、携帯電話を使っている人に注意をするためだけに電車内を歩いて移動している人がいる。しかし、びっくりするくらいやっつけ仕事である。使っている人を見つけると、手を伸ばしてジェスチャーでとりあえず制止して、すぐ行ってしまう。携帯を使っていた人も、一瞬だけ使用をやめる素振りを見せて、すぐまたメールの
このシーズンになると、就職を目前に控えた学生達が、自由に遊べる最後のチャンスとばかりに、卒業旅行でやれ沖縄だのやれカナダだのと、ごたいそうな大旅行の計画を立て始めるけれど、ちょっと待てといいたい。卒業旅行ってなんなのさ。 卒業旅行に行く目的はなんなのさ。 会えなくなる仲間達と最後の時間を過ごす 就職前に遊び納め 貴重な仲間達と旅の感動を共有 非日常的な体験でリフレッシュ 行ったことのない場所に行ってみたい 普通は下にいくほど優先順位が低くなるもんじゃなかろうか。 つまり卒業旅行が卒業旅行である所以は、学生から卒業すると同時に、現在所属しているそのコミュニティから卒業するための儀式としての意味合いなわけだ。仲間と過ごした時間の貴重さを再認識することこそが最大の目的であり、旅行というのはそのための手段でしかないのである。 そこを見失うから、どうせ旅行なら遠くに行きたいね→カナダなんてどう?イイ
ぬるぽにガッとやるような様子を見て、最近の若者はネット空間で雛形通りのコミュニケーションを繰り返すことによって仮想的な共同意識がうんぬんとおっしゃる方がいるけれど、それってネットでのコミュニケーションに限った話ではないし、もっといえば若者特有のものでもないと思う。 「ぬるぽ」という人に対して決まりきったように「ガッ」とやって、何が面白いのと思うかもしれないけれど、要するにそれって、「ヘクシッ」「ブレスユー」と同じなんじゃないかね。 型どおりのコミュニケーションをすることで、その型を通してつながっているという安心感が得られるというのは社会的なサルの性質として至極自然なものだと思うし、きっとどこの文化にだって見られるものでないだろか。
本ブログ更新。 「サイコロ給」に込められた想い―この「社則」、効果あり。 負けまいとする心でしょう! 「何をやるか」より「誰とやるか」という話。 思えば自分も、就職活動してたとき、アツい感じのベンチャー企業を探していろいろ回ってたんだけど、ある企業でカッチョいい感じの人に出会ったとき、「御社で働くことのメリットって何なんですか?」みたいなことを調子こいて聞いた。そしたらさらっと、「別に、ないんじゃない?」と。 そして、「ここの人と一緒に働きたいかどうかだよね」と言われた。それでなんか、すっごい気が楽になったんだよなー。あそっか、それでいいんだって。 就活生にはほんとに、格好のいい言葉で武装しないで、もっとナチュラルにシューカツしてほしいなぁと思う。「御社は業界シェアが一位で影響力があり、より多くの人に笑顔を与えることができるからです」とか、ウソついてるわけではないんだろうけど、なんか違うん
高校地学を集中的に勉強してみたら、なんかすごい興味を持てる教科だった。なんかおもしろいの。 地球上で見られる諸々の現象をひとつずつ解明していくと・・・結局どれもコリオリに収束してしまうのかっ!みたいなショッキング感(笑) 高校のとき勉強すればよかったなー。いや、今だから楽しめる余裕があるのかな。 思えば高校当時は相当ひねくれものだったな。学校教育へのアンチテーゼとでもいえばかっこいいけど、要するにひねくれてた。 数学で「A = BQ+Rが成り立つ」なんて言われようものなら、そんなの成り立つに決まってるだろ!って思って、それだけでやる気をなくしたりしてたな・・・。なんてめんどくさいガキだ(笑) そうそう、倫理。倫理なんて、紹介される過去の偉人たちの理論に片っ端からイチャモンつけてた(笑)この話はこの部分が評価されたんだとか、このテーゼがあってその後こう発展されていったんだとか、そんなことを一
才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか まず、ちょっと本題とは違う部分かもしれないけれど。 ぶっちゃけると、週数時間の授業で創造的な活動をしたところで、目覚ましく心が豊かになったり感性が育ったりはしない。そういうのを求める子は自ら選ぶ。じゃーあのクソつまらん課題はなんのためにあるかっつーと、単なる才能発掘の手がかりにすぎない。 これは違うと思うなぁ。 学校のカリキュラムに芸術教科がある理由は何なのか。ざっと考えただけでも↓これくらいはある。 生きていく中でできることが増える 視覚世界の対象をスケッチによって平面上に表現できる、木材を切ったり削ったりして実用的な道具にできる、そういう体験をすることは普通に有益だ。 興味・関心の世界を広げる 学校の授業で見た名画、聴いた名曲に衝撃を受けて、すっかりその分野にはまってしまうケースだってままある。また、遠近法やフーガといった技法を
才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか http://anond.hatelabo.jp/20090408121545 面白いなあ。これ。 元増田が、己の才能のなかったことをあっさり認め、 そこらのルサンチマンを抑制して書いてくれたから読みやすかった。 でも、美術や音楽、あるいはスポーツとかだと、 自分の才能の限界、そして他者の凄さとか分かってしまうから、 20歳代のうちに諦めもつくじゃないの。 それだと潰れた後、次のステージへ移ってもまだ何とかなるかも。 「レベルの高い画塾にブチこんで入試前に自分で目を覚まして諦めてもらう」のが最良の解決法 というのもよく分かる。 それよりマズいのは、 文系の大学院生とか、フリライターとか、そこら辺。 ガチンコで勝負する場がないから、 己の才能のレベルに気付く機会が少ない。 挫折するということがないし、打たれ弱い 「レベルの高い」ところ
確かに才能のあるなしは、アーティスト崩れみたいな人の方が分かると思うんだ。 でも、芸大出にとって教職についてる人はわりと成功者の部類ですよ…と。少なくとも全く関係のない職についている人や、プーよりまし。トップ美大でもそうなんだから、下は推して知るべし。 ただ、伝統的な芸術家としての道はムリでも、イラストレーターとかクラシカル・クロスオーバーみたいな方向で頑張れば、セルフプロデュース能力と、戦略と、音科は哀しいことにお顔次第で成功しないこともないよ。千の風の秋川さんとか。あの人はテノール歌手としては特別上手いわけじゃないけど、選曲が上手かったね。そういう形の幸せもあるので、わざわざ思いとどまらせることもないんじゃないかな。
まるっと同意。頑張っていいとこ出ても、末路はなりたくもない高校の教師だぞっていう姿をさ、しっかり見せてやんなよw サリエリみたいなもんで、挫折したやつほど成功しているやつに憧れて足掻いた分、才能を見抜く能力に長けてたりする。それこそが元増田が後進に対して出来ることだ。
>元増田が仕事してないなんてことは、ひとことも書いてないが。 はっきり書いてあるじゃん。 挫折の末、やりたくもないのに教師やってるだけなんで 信念や倫理が足りないけど多めに見てチョ って。 ポロッと出たんだろうがまさに本音だよな。 >勉強と違って、やれば出来るってもんでもないしな。 出来るだろ。 例えば目で見たものをそっくり描けるようにする。 これは才能なくても訓練で出来ることだ。 >高校で足し算引き算習うか? 小中学校で習ってなければしょうがない。 仮にも高校まででも9年間美術の授業があって ほとんどの人間が全く絵が描けない、見たものを写し取ることも出来ない これは才能の問題じゃなくて美術教師の怠慢だわな 数学なら数学者になれない生徒にも足し算引き算方程式までは教えるのが教師の役目で 美術教師に求められるのも本来そういうこと 自分に芸術の才能がなかったことの自覚はあるのに 依然自分の思い
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