未曽有の大規模災害をもたらした「3・11東日本大震災」への初動対応は、日本政府にとって、最も困難な時期だった。被災地救援のための自衛隊派遣、世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原発事故、過酷な移転生活を強いた周辺住民への避難指示、日本政府に疑念の目を向けた米国……。菅直人前首相はそのとき、何を考え、どう行動したのか。前首相の証言をもとに構成した。(肩書は当時、日本時間) 3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の大地震が東日本を襲った。宮城県北部は震度7を記録。東北を中心に太平洋沿岸は津波にのまれた。緊急災害対策本部を設置した菅首相が最初に指示したのは「自衛隊は最大限の活動をすること」だった。 「(95年1月の)阪神大震災のとき、自衛隊の出動要請が遅れた。兵庫県知事から(派遣要請が)なかなか来なくて、出動できなかったことを覚えていたから、とにかく準備に入って