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学問に関するhiroyukiokanoのブックマーク (24)

  • 「ボキャブラリー」の変化が、人間の思考を変化させている――思想を歴史的に研究する意味とは/現代思想・政治思想史 重田園江氏インタビュー - SYNODOS

    「ボキャブラリー」の変化が、人間の思考を変化させている――思想を歴史的に研究する意味とは 現代思想・政治思想史 重田園江氏インタビュー 情報 #フーコー#教養入門#監獄の誕生 人文系の学問は、とにかくを読むのが仕事というイメージがあります。しかし実際には、を読んで、それから何を考えているのでしょうか? 特に抽象的な思想や哲学のは、いったい何の意味があるのでしょうか? 今回お話を聞く重田先生は、「意味はあるかって、そんなのあるに決まってる」と喝破します。 明治大学4年生の私、白石が今までずっと気になっていた先生方にお話を聞きに行く、短期集中連載『高校生のための教養入門特別編』の第7弾。現代思想・政治思想史が専門の重田園江先生に、高齢者問題からトランプ現象の特異性まで、思想家のミシェル・フーコーを経由して熱く語っていただきました。(聞き手・構成/白石圭) ――先生のご専門である現代思想と

    「ボキャブラリー」の変化が、人間の思考を変化させている――思想を歴史的に研究する意味とは/現代思想・政治思想史 重田園江氏インタビュー - SYNODOS
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2020/01/31
    「人間の思考は言葉でできていますよね。そのため、言葉遣いが変わると思考も変わるわけです。その言葉使いがどう変化したのかを調べることで、人間の思考の変化を分析するというのが、今の思想史の研究です」
  • 大学とはなんだ~幡野さんへの返歌|西智弘(Tomohiro Nishi)

    毎週月曜日は、幡野広志さんの人生相談コーナーの日。 毎回、幡野さんのキレのある回答を、昼ご飯をべながら読むのが楽しみだ。 さて、今回の相談テーマは「好きなことを勉強し、好きなことを遊べ」だった。 好きなことを勉強し、好きなことを遊べ | 幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。 | 幡野広志 | cakes(ケイクス)今回の相談者は、就職を控えた大学院生の方です。志望していた大学では上位の成績を取り、大学院では希望の研究室で研究に没頭するcakes.mu 真面目に大学に通って院にまで行った学生が、「真面目に大学に行くより、少しサボったり留年したりするほうが価値のある大学生活だと思う」という発言を目にして、6年間の学生生活が周りにどう思われているのかが怖くて、誇りに思うことができなくなってしまった、という悩みである。 真面目に頑張ってきたことは、間違っていたのか? 価値ある大学生活とは何か?

    大学とはなんだ~幡野さんへの返歌|西智弘(Tomohiro Nishi)
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2020/01/07
    「「よく学び、よく遊べ」って言うけど「よく学び、よく学べ」でいいんじゃないかな。お題目的には。人生そのものが遊びであり学びなんだから。」
  • 大学で学んだ図書館情報学で食いっぱぐれずに済んでいる話 - oscillographの日記

    はじめに この記事はklis Advent Calendar 2019の22日目の記事です。 この記事では「図書館情報学という学問が大学の外の世界でどのように活用できるか」というのをIT系の企業で働いている実体験込みでつらつら書いていこうかなと思います。 この記事の目的は図書館情報学を学んでいる学生の方や、図書館情報学にちょっと興味のある方に対して、ちょっとお先に社会に出ている立場から「(司書にならなくても!)図書館情報学は社会で役に立つので頑張って学んでください!」という応援をすることです。*1 この記事の最後に、学問一般を学ぶことの意義にもちょっと触れてます。 何者? 簡単に自己紹介しておきたいと思います。 自分は2011年に入学したklis11の卒業生で、卒業後5年くらい立った社会人です。(大学院含めると社会人歴3年くらい) 大学院卒業後は新卒でデータ解析職として人材系の会社に入社し

    大学で学んだ図書館情報学で食いっぱぐれずに済んでいる話 - oscillographの日記
  • 「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち|Torus (トーラス)by ABEJA

    「なにかおもしろいことが生まれる可能性はアカデミアのなかにもあるだろうけど、在野や世間にだって同じくらいある。その区別も今となってはどうでもいい。僕はどっちにも存在している。学びはどこでもできる。何度でも始めなおせばいい。僕は楽しいからそうする」 (『在野研究ビギナーズ』逆卷しとね 「第一二章 彷徨うコレクティブ」より) 「大学に属してませんけど、なにか?」 そんな帯文のが話題です。「在野研究ビギナーズーー勝手にはじめる研究生活」(明石書店)。 研究者といえば、大学などの所属が前提。そんな「常識」から自由になった研究者たちは、自らを「在野研究者」と名乗り、それぞれのスタイルで研究に打ち込んでいます。 「読むこと、調べること、話すこと、書くこと、話し合うこと、これらは決して特別な資格が必要な行為ではない。自由にやればいい」 このの編著者で、自身も在野研究者の荒木優太さんはそう言います。

    「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち|Torus (トーラス)by ABEJA
  • 「学歴ロンダ」の話が出るたびに思い出すこと|まつーらとしお

    手元に1冊の小冊子がある。そこにある言葉を引用することから始めたい。 今この大東[文化大学(まつーら・補)]に来ていろいろな学生諸君に接するようになったが,若いのに何と寡欲の人の多いことか,と驚く。この大学の学生は自らの能力に自ら天井を作ってしまうのだ。とんでもないことである。たとい2度や3度入学試験に失敗したからといって,それがその人の能力の限界を示している訳ではない。ましてや暗記暗記を強いられて,それに成功した人間が高得点を取るような時代であるのならなおさらのことである。大東の学生はもっと自信を持つべきだ。いい才能を持っている学生が何人もいることは,1期生・2期生の我がゼミ生を卒業させ,今や3期生・4期生を現役生として共に勉強していて分ることなのである。 これは私が卒業した大東文化大学で指導教員だった先生が学科の冊子に寄稿した文章に書いていたものだ。私が入学した1996年当時の雰囲気で

    「学歴ロンダ」の話が出るたびに思い出すこと|まつーらとしお
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2019/09/28
    「専門の勉強がどれだけ面白いかが分かるのが学部生になってからということは十分にあるし,実際,卒業論文を完成させてから「専門の勉強が面白いことに気付きました」という感想を持つことは珍しくない」
  • 「在野研究」はいまなぜブームなのか? 大学の外から学問する面白さ(荒木 優太) @gendai_biz

    制度においては評価ポイントが低い翻訳に関するアウトプットは、では、研究活動といえないのだろうか。勿論、そんなことはない。そう考えて、『ビギナーズ』では翻訳研究者の大久保ゆうにインタビューを行ったりもした。 門戸は開かれている 総じて、研究観をこのように柔軟にすることによって、ずいぶんと敷居が低くなる。厳密にいえば、高い敷居と低い敷居のあいだにある、様々なハードル設定に自覚的になれる。 ハードルが低い研究的態度というものがありうる。在野でも、というよりも在野だから、はじめられることがある。たとえ恥をかいたって、失うものなどなにもないのだから。 回り道をしたが、これこそが貧しくなった学術環境にとっての長期的なメンテナンスのための一策にほかならない。ビギナーならば誰にでもなれる。ビギナーが嫌ならばファンになってもいい。そのような学問を愛する厚い層を頼りにしなければ、狭い意味でのアカデミズムもろと

    「在野研究」はいまなぜブームなのか? 大学の外から学問する面白さ(荒木 優太) @gendai_biz
  • 人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと(水越 伸)

    東大教授2人に現代新書とブルーバックスの編集者3人がお題エッセイを無茶ぶりする「2×3」シリーズも、いよいよ最終回。 最後のお題は「絵空事」。水越伸教授は「空想的社会主義」と呼ばれた概念から、鮮やかに突破口を開いてくれました。 「ははは、それはジャーナリズムじゃないですから」 ジャーナリズムという言葉を聞くといつも思い出す光景がある。 1980年代半ば、東京大学新聞研究所の大学院に入った僕は、60年代に名を馳せたジャーナリズム論の先生のゼミに出席していた。 ある日のゼミで先生は学生たちに、「ところでみなさんは新聞ジャーナリズムのどこに興味がありますか」と尋ねられた。その時、教室にはたしか5〜6名の大学院生がいて、ナショナリズムと全国紙の関係、明治期ジャーナリストとしての福澤諭吉、テレビ・ジャーナリズムとの比較について、などと答えていたと思う。 僕は「新聞の販売店網に興味がある。新聞がどのよ

    人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと(水越 伸)
  • 人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと(水越 伸)

    ゼロ年代以降にインターネットが格普及するなかで登場した新たなメディア実践者たち、たとえば荻上チキ、東浩紀などは自らウェブサイトを立ち上げ、ブログを更新し、ラジオ番組や出版社を持ち、さまざまなSNSを繰って言論空間を生み出してきた。雑誌『5』は幾多あるうちの一例にすぎない。 オウエンやエンゲルス、マルクスらが当時の紙メディアを通じて得たであろう総合的経験を切り捨て、もっぱら彼らを人文社会系学問上の思想家として扱うことは、出版社、取次、書店などが産業的に分化、確立し、そのうえで物書き然としての振る舞いを当たり前のこととして享受できた時代の大学人だからこそ可能だった絵空事ではないのか。 そう考えると80年代にジャーナリズム論の先生に僕が感じたモヤモヤ感の原因がわかる。 僕が興味があるといった新聞販売店網はたしかにジャーナリズムではい。しかし新聞販売店網が産業的に確立していたからこそジャーナリズ

    人文知を「絵空事」と呼ばせないために大学人が実践すべきこと(水越 伸)
  • 医師・宇良田唯に光を 結婚式から逃走、独で博士号 天草・牛深出身 | 西日本新聞me

    「お許しくださいませ」-。1通の置き手紙を残して結婚式場から出奔。私費で単身ドイツへ留学し、日人女性として初めて医学博士の学位を取得した天草市牛深町出身の宇良田唯(うらたただ)(1873~1936)。その波瀾(はらん)万丈の生涯を顕彰し、生家に残る蔵を保存・活用しようという動きが始まっている。 郷土史家・北野典夫氏の「天草海外発展史」によれば、唯は商いや唐貿易、新田開発を行い、富を築いた大店(おおだな)「萬屋(よろずや)」の7代目、玄彰の次女として生まれた。19歳の時、村の豪商の若旦那と縁談が持ち上がる。 三三九度が交わされ、盛大な宴が催されたが、いつの間にか花嫁の姿が消えていた。残された手紙には「私は花婿さんが嫌いで出奔するのではありません。よそに出て、もっともっと勉強したいのです」と書かれていた。 熊薬学校(現熊大薬学部)で学んだ後、上京。私立伝染病研究所に入り、猛勉強を続けた。

    医師・宇良田唯に光を 結婚式から逃走、独で博士号 天草・牛深出身 | 西日本新聞me
  • 呉座―八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎

    筆者はここ数日、日中世史学者の呉座勇一氏と、歴史作家の八幡和郎氏の応酬に注目してきた。筆者も一応、史学科(近現代史)の学生だったので、今をときめく呉座氏と八幡氏がどのような論争を行うか、興味があったのである。しかし残念ながら、これを「論争」と呼んでいいかどうか、非常に疑問である。 というのも、呉座氏が言葉は厳しいながらも八幡氏の思い違いを逐一指摘し、歴史学の基的な方法論を展開することでさながら簡単な「史学概論」の趣すら漂わせる論考を書くのに対し、八幡氏は最初からズレた事しか書いておらず、最終的には冷静さを失ったとしか思えない感情論をぶちまける仕儀と相成ったからである。 八幡氏は「呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き」において、次のように述べる。 もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだ

    呉座―八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎
  • 大学でいちばん大切なこと/與那覇潤

    学科の最優秀成績者として表彰されたと記憶する学生の、卒業論文が盗用をしていた。濫造された学内雑誌(紀要)の原稿不足もあり、指導教員がぜひにと口説いて掲載した結果、判明した不祥事だった。 私の指導学生ではなかったし、論文審査にも関わっていない。それでも、その学生の真面目さを多少知るところがあったものとして、責任は免れないと思う。あれほどしっかりした若者に対しても、私が一翼を担っていた大学の組織は、一番大切なことを伝えられていなかったのだから。

    大学でいちばん大切なこと/與那覇潤
  • 世界を変えた書物展をより楽しむために。

    9月8日(土)に東京・上野の森美術館で始まった「世界を変えた書物」展。http://www.kanazawa-it.ac.jp/shomotu/index.html コペルニクス「天球の回転」、ニュートン「プリンキピア」、ダーウィン「種の起源」をはじめ、金沢工大が所蔵する2000冊余の科学・技術の稀覯書から選りすぐられた、文字通り「世界を変えた」書物130冊(すべて初版)が展示されています。入場無料、撮影可。9月24日(月祝)まで。 ニコニコ生放送では山貴光さん(文筆家・ゲーム作家)とご一緒に展覧会をご紹介しましたが、その補遺となる情報をまとめました。カバー写真:小学館写真室 藤岡雅樹

    世界を変えた書物展をより楽しむために。
  • マンボウは合成魔獣だった!~学名が Mola mola ⇒ Mola sp. B ⇒ Mola mola と変遷した理由~

    マンボウ・・・西洋では〝月〟属性の名をもち、東洋では〝太陽〟属性の名をもつ、魔術的儀式に使用されそうで使用されない魚。 「マンボウ」という名は日でしか通じない、いわば日ちほーの地域名。 全世界で通じるこの魚の真の名(学名)は Mola mola である。 学名とは、1つの生物に1つしか与えることのできない人類共通の絶対的な名前である。 我らが惑星・地球には推定10000000種以上の生物がいるとされ、これらすべての生物を発見し、各種に個別の学名を与えるため、分類学者は迫りくる寿命と日夜闘い続けている。 しかしながら、世の中は「早い者勝ち」である。 学名はある生物を最初に発見し、新種と証明した者に、名前を付ける権利が与えられる。 学名は日人ならおなじみの「山田 太郎」よろしく、2語で構成される(例:マンボウ Mola mola)。 この分類法の普及者は、分類学の父と称されるカール・フォ

    マンボウは合成魔獣だった!~学名が Mola mola ⇒ Mola sp. B ⇒ Mola mola と変遷した理由~
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2018/06/10
    「これら3つの論文もより古い論文を引用していたので、その引用元の論文をドンドン時代を遡りながら調べて行くと・・・今から1941年前の大プリニウス(77)まで遡ることになった」
  • 「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン

    すこし前の話だが、ツイッターで個人的に関心を引かれた投稿があった。投稿者は、プロフィールによれば外資系コンサルへの勤務経験を持ち、投資やキャリアデザインに関係したブログを運営している方だ。 気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない — シャイニング丸の内 (@shimaru365) 2018年2月20日 このツイート(https://twitter.com/shimaru365/status/965893822512218113)は「春はあけぼの」のせいでギャグになってしまったが、実際のところ「漢文は社会で役に立たない」という主張自体には同意する人も少なくな

    「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン
  • 博士論文を書くとは「自分と向き合い、けじめをつけること」である!? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net

    博士論文を書くとは「自分と向き合うこと」である そして「けじめ」をつけることである ・ ・ ・ 今年度、中原研究室では、博士論文を執筆する大学院生が何人かおられます。 過去1年には、研究室の2名の方々が博士号を取得しました(おめでとうございます! 研究室ができてから4人目になりますね)。現在、2名の方が、まさにアタック中。ぜひ最後まで「完走」していただきたいものだと思っております。 ▼ 博士論文の指導教員(主査)として指導をしていて(たいした指導はしていませんが・・・)、最近、つくづく思うことがあります。それは冒頭のひとこと。 博士論文を書くとは「自分と向き合うこと」である そして「けじめ」をつけることである ということです。 このことは所属する大学院や、学問分野によって違うので一概には言えませんが、少なくとも僕の置かれている状況では、そう思います。 ▼ 以前、このブログでも、書いたことが

    博士論文を書くとは「自分と向き合い、けじめをつけること」である!? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net
  • サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき)

    このエントリーは、経済学を人文科学のひとつにしている人(バカ)がいる、という「驚き」から書かれた。 少し弁護しておくと、人間、自分と近い立場については細かく分けて見るが、自分から遠くなるほど「いっしょくた」に見えるものである。 たとえば理系の人にとっては「文系」はすべからく同じに見えるのかもしれない(逆に文系からは「理系」はすべからく同じに見えるのかもしれない)。 まあ、しかし最初から、そう決めつけるのはあまりに失礼だ。 事実、個人的に意見を交わすことのある「理系の人」は、人文科学や社会科学についても実に多くの知識と見識を持ち合わせている。 では「経済学を人文科学のひとつ」として扱う人間が、特別に知識に欠けアタマが悪く、新聞の論説記事はもとより4コママンガのオチもわからないというのだろうか(論説記事の方はしばしばオチがないけれど)? とりあえず分割図を描いてみた。 (1)理系/文系の区分…

    サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき)
  • 「効率」という考えかたが学問をつまらなくする: 院試塾の現場から

    ぼくから見ると世間の多くの人たちは,勉強・学問というのを「しなくてすむならばしないですませたいもの」と考えているように見える。ぼく自身は学ぶことをとても楽しいと感じてやっているので,このような考えにはどうしてもついていけない。「しなくてすむならばしないですませたい」から,できるかぎり時間と手間をかけずに最大限の効果をえる「効率」という考えかたが出てくるのである。「効率」というのは結果だけを重視し,そこにいたる過程はできるかぎり簡単にすませたい,という考えかたなのだが,学問はそもそも考えたり新しいことを知ったりする「過程」こそが楽しいので,その過程を簡単にすませるというのは実はいちばん楽しい部分を飛ばしてしまうことになるのだ。 たとえば外国語学習では,単語の暗記を行うのが効率がよいとされており,単語集を頭から覚えていくという学習法に頼っている人が多い。しかし,単語の意味がなぜそのようになって

    「効率」という考えかたが学問をつまらなくする: 院試塾の現場から
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2017/10/22
    「学問はそもそも考えたり新しいことを知ったりする「過程」こそが楽しいので,その過程を簡単にすませるというのは実はいちばん楽しい部分を飛ばしてしまうことになるのだ」
  • 数学って、なんで勉強しなきゃいけないの?~「二次方程式なんて、社会に出て使わないじゃん」に答えてみました | 言語化参謀 | 木暮太一

    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2017/08/19
    「数学の問題を解く行動を通じて、社会で直面する課題解決の練習・シミュレーションを行っていた」「練習を積んできた人の方が優れた結果を出せる/より多くの課題を解決できる」
  • 卒業・修了セレモニー式辞 - SKinsui's blog

    文学部・文学研究科卒業セレモニーで、文学部長・文学研究科長として式辞を読みました。急いで作ったので推敲も十分ではなく、また私の人文学観にはさまざま異論もあるかもしれませんが、とりあえず記録の意味で掲載しておきます。 ===== 式辞 金水 敏 2017 年 3 月 22 日 みなさま、日はご卒業・修了まことにおめでとうございます。これから卒業証書、学位記を受け取られるみなさまにおかれましては、これまで大阪大学で過ごされた日々のことを懐かしみ、またこれから進まれる就職、進学等について希望と不安に胸を膨らませていらっしゃることと思います。 さて、ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向をふり返ってみますと、人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう。平成 25 年から 26 年にかけて、全国国立大学で「ミッションの再定義」ということが行われましたが

    卒業・修了セレモニー式辞 - SKinsui's blog
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2017/07/21
    「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」
  • レポートを書く際、自分はまだ研究者ではないので、結局他の人が書いた見解を集める以外にないと思います。自分の考えを書く部分は、それでよいのでしょうか? - 来 る べ き 書 物

    うーん、そうした形を続けていると、いつまで経っても記憶型の勉強から思考型の研究への転換がはかれません。つまり、大学生になれないということです。また、幾つも見解を集めてくるといっても、あるテーマについてすべての見解を網羅することはできません。ならば、どこかで取捨選択しなければいけないということになりますし、ある研究の内容をまとめる際にも、取捨選択は伴います。ならば、その「捨てること」「取ること」の基準は何でしょう。どこで判断をするのでしょうか。結局は、意識的か無自覚かにかかわらず、人は思考しているのです。いま、あなたのなかにある知識や能力を自覚的に用いて、自分の考えを書いてください。Aという研究者のいうことは間違っている、Bが正しい。あるいは、Bにはこのような問題点があるから、このように修正すべきではないか。いろいろな見解が出せるはずです。

    レポートを書く際、自分はまだ研究者ではないので、結局他の人が書いた見解を集める以外にないと思います。自分の考えを書く部分は、それでよいのでしょうか? - 来 る べ き 書 物
    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2017/06/20
    「結局は、意識的か無自覚かにかかわらず、人は思考しているのです。いま、あなたのなかにある知識や能力を自覚的に用いて、自分の考えを書いてください」