あの人の文章ではなくて あの人の生き方にあこがれたけれど まねることはできなかった 僕は僕だから 5歳のときに耳を悪くしてね いったんよくなって 水遊びして悪化させて 小学2年から3年にかけて 耳鼻科に通った 西暦で言うと1947年から1948年にかけてのこと 終戦から2,3年の頃だから 東京都内はまだ焼け跡がいっぱいの頃だよ でも 旧国鉄官舎の我が家があった都下小金井町は 雑木林があちこちに残り 麦畑や サツマイモ畑が広がってのどかだった その耳鼻科の医院は 三鷹駅南口から数分のところにあった 学校から帰ってランドセルを放りだして 電車に乗って三鷹で降りる 南口は暗渠になっていたけれど 北口側から玉川上水が斜めに横切って流れていた すぐ東手に橋の欄干が片側だけあった それが暗渠の切れ目だったの 日が短い冬の日だと 南口に降りたときには夕暮れが忍び寄っていた 正面の通りではなくてね 欄干寄