【下司佳代子】卵子が原因の不妊夫婦のために、患者の家族や不妊治療クリニックが14日、無償で卵子を提供してくれる人の募集を始めると発表した。国内では姉妹や知人から卵子を提供された出産例はあるが、第三者からの提供の道はなかった。法整備が進まない中で、親子関係が複雑になりかねないなど、倫理的な課題も指摘されている。 不妊治療医らが設立したNPO「OD―NET」(岸本佐智子代表、事務局・神戸市)が、35歳未満で子のいる女性から提供を募る。提供は無報酬。検査代や交通費、副作用で治療が必要な場合の費用は提供を受ける側が負担する。夫婦には匿名だが、子が15歳になり希望すれば、提供者の名前や住所などを伝える。 受ける側は、無月経などの症状が出るターナー症候群や早発閉経で卵子がない40歳未満の既婚女性。当面は、協力する5カ所のクリニックに通院中の患者20人を対象とする。 続きを読むこの記事の続きをお読み
お正月休みに、録画してあったドラマ「ゴーイングマイホーム」をまとめて観ました。去年の後半はなにかとバタバタしており、5話あたりからリアルタイムで観られなかったので、休み中に最終回までまとめて観ました。 ドラマの中に、郷土料理の「すいとん汁」が出てきます。それを見て「そういえば小さい頃、お母さんがすいとん汁をつくってくれたことあったなー」と思い出しました。 ドラマの中に出てきたすいとんは、ちいさくてまんまるくて美味しそうだったのだけれど、私の記憶にあるすいとんは、なんだかもっと巨大なかたまりで、これすいとんじゃなくて鬼まんじゅうじゃないの、という感じのものでした。しかも「あんまり美味しくなかったなー」という。 けれど、それはけして嫌な思い出ではなく、やはり懐かしい「おふくろの味」のひとつなのでした。 私の母は料理が苦手な人で、炊事に関して「ホントはやりたくないけど仕方なくやってる」感を常に漂
栗コーダーカルテットオフィシャルブログ「フエブロ」Powered by Ameba 栗コーダーカルテットオフィシャルブログ「フエブロ」Powered by Ameba 栗コーダーカルテット(栗原正己、川口義之、関島岳郎)の3人によるブログです。 ということで、川口君の記事に続けてみます。2日と3日の放映を見逃した方は、本日1月6日の16時(=午後4時)から再放送があります。「ちょいむず」「かなりむず」二本まとめて60分です。 一つ前の川口君の記事にもありましたように、今回の特番はいつもの「栗コーダーカルテット+」のサウンドもありつつ、「渋栗オーケストラ」が大きくフィーチャリングされています。 企画が持ち上がった際に制作スタッフから、オープニングを「渋栗」(調べてみて!)でやってみたいと相談を受けたのが最初で、そのCDの音源を使うのかと思ったら「できれば新録で」というお話。渋さメンバーでもあ
【伊沢友之】信販会社大手が、大学などと提携した学費ローンの取扱高を伸ばしている。申し込みや審査の手続きを簡単にしたことで、慌ただしい受験生の親の要望に応えているためだ。景気低迷で、教育費の捻出に苦しむ家庭が増えていることも背景にある。 保護者が信販会社にローンを申し込むと、提携相手の大学や短大、専門学校に学費が直接振り込まれる仕組み。金利は年4%台が中心だ。 オリエントコーポレーションの2011年度の取扱高は145億円で07年度の約4倍。09年度から本格参入したジャックスは3倍強、同じくセディナも約2倍に増えた。3社とも12年度は2けたの伸びを見込む。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料登録で気軽にお試し! サービスのご紹介は こちら 関連記事原発再稼働手続き、変更されないよう希望 佐賀知事(12/18)「最長身」
栃木県警小山署は13日、茨城県結城市結城、会社員大出琢也容疑者(36)を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した。 発表によると、大出容疑者は同日午前6時15分~25分頃、栃木県小山市駅東通りに駐車中の救急車内で、小山消防署消防副士長の男性(29)の右顔面を平手打ちし、さらに消防司令の男性(59)の右下腹部を拳で殴って職務を妨害した疑い。 大出容疑者は現場近くの居酒屋で、客との口論中に嘔吐(おうと)し、救急搬送されるところだった。車内で、救護のための聴取を受けているときに暴行に及んだ。「殴ったことは間違いない」と供述している。
大阪市立桜宮高校バスケットボール部の2年男子生徒(17)が体罰を受けた翌日に自殺した問題で、同高は13日から当面の間、すべての部活動を自粛することを決めた。
作家の谷崎潤一郎、詩人の西脇順三郎の2人が、少なくとも1958年から62年の間に4回にわたってノーベル文学賞の候補になっていたことが、同賞を選考するスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で分かった。 特に60年には谷崎は最終候補の5人に残っており、68年に川端康成が日本人初の同賞受賞を成し遂げる以前に、大きなチャンスがあったことが明らかになった。 選考資料は50年後に公開される決まりで、読売新聞が、1958~62年の資料を請求。62年分は今年に入って初めて開示された。 同賞は当時、各国のペンクラブや既受賞作家などの推薦で40~60人前後の候補を決め、その後、最終候補にまで絞り込んでいった。資料が開示された5年間のうち、谷崎と西脇は58年と60~62年の4回、川端も61、62年の2回、この候補に入った。日米の作家、研究者が推薦書を寄せていた。
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