新宿の下落合や(城)下町の人々を中心に、街角の物語を想いにまかせて綴っています。主題は「わたしの落合町誌」。記事の利用については一報いただければ幸いです。無断使用はご遠慮ください。 敗戦の翌年である1946年(昭和21)、空襲で焼け野原になった住宅不足を補うため、山手線の西側、上戸塚(現・高田馬場3~4丁目)をはさんで下落合の真南に拡がる戸山ヶ原Click!に、すなわち敗戦までは陸軍技術本部Click!(陸軍科学研究所Click!)があった敷地の北側に、6畳ひと間の小さなバラック住宅や長屋が次々と建てられた。まるでマッチ箱のような粗末な家だが、そこへ入居できたことさえ幸福な時代だった。 ある日、土ぼこりが舞う戸山ヶ原を「乞食」のような格好をし、折れた松葉杖をついて歩く夫婦者の姿があった。中央線・大久保駅から歩いてきた男の松葉杖は、下部でポッキリと折れており、折れた杖をそのまま継ぎ足し縄でグ
新宿の下落合や(城)下町の人々を中心に、街角の物語を想いにまかせて綴っています。主題は「わたしの落合町誌」。記事の利用については一報いただければ幸いです。無断使用はご遠慮ください。 これまで拙サイトには、岡田七蔵Click!のネームが4回ほど登場している。最初は、築地にあった作家で翻訳家の桑山太市朗邸Click!に滞在し、その際、宮崎モデル紹介所Click!からモデルを呼んで、三岸好太郎Click!らとともに裸婦のタブローを描いたエピソードだ。ちょうど草土社が解散して、同社のメンバーが春陽会へ合流した時期と重なり、画家たちは草土社風の画風から脱却しようと試みていた時期にあたる。 次いで岡田七蔵が登場したのは、鈴木良三Click!が証言する『芸術無限に生きて―鈴木良三遺稿集―』(木耳社/1999年)に記録された、吉田博・ふじをアトリエClick!(下落合2丁目667番地)のある不動谷(西ノ谷
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く