昨年の『M-1グランプリ』準優勝からはや3か月。爆発的に知名度を上げ、漫才師として躍進した傍ら、彼らは「しんどい1年が始まった」と肩を落とす。2位じゃ満足できない、漫才に貪欲な男たちが目指す頂点とは──? ※こちらのインタビューはDIME5月号(3月16日発売)に掲載されたものです。 芸人 ヤーレンズ 左:楢原真樹(ならはら・まさき) 右:出井隼之介(でい・じゅんのすけ) 2011年にコンビを結成。2度の改名を経て、現在のヤーレンズとなる。昨年『M-1グランプリ2023』で準優勝、2024年2月にビートたけし杯『お笑い日本一』にて優勝を果たす。 「僕らはスベったことがない」2人が秘める打算と自信 Wメガネの実力派お笑いコンビ・ヤーレンズ。『M-1グランプリ2023』決勝戦でその名を知った人も多いはずだ。大阪吉本出身の彼らは2014年に上京。自分たちの笑いを追求するため事務所を移籍し、ひた
やついいちろう、食堂で「君の歯を治したい」と突然スカウト 矢作もノブも同じ歯科医で歯列矯正 2枚 エレキコミックのやついいちろうが30日、テレビ朝日系「アメトーーク」に出演。強烈歯並びだったことから、中華料理店で隣の人から「君の歯を治したい」とスカウトされ、矯正を開始したと明かした。 この日は「歯を矯正している芸人」が集合。やついは15年以上前はガタガタの歯並びで、隙間だらけ。「楳図かずお先生と仕事をしたときに、『君の事、書いたことあるよ、これだよね』って」言われたこともあるというほど。 そのため「いつかは治そう」と思っていたというが、ある日「中華屋でご飯を食べてたら、隣の紳士が話しかけてきて『君の歯を治したいとずっと思ってるんで、ここに電話下さい』」と話しかけられたといい「それが歯列矯正の今の先生」だったという。 「だから僕、路上でスカウトされたんです」というとMCの蛍原徹もびっくり。「
お笑い芸人の今くるよさんが27日、膵がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。28日、所属事務所の吉本興業が発表した。 1970年に高校の同級生だった今いくよさんとともに女性漫才師の今喜多代さんに弟子入り。73年、女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成した。男性中心の漫才界で、お互いの体型や派手なファッションなどをネタにし、体を張ったギャグや軽妙な掛け合いで人気を集め、80年代の漫才ブームに乗って一世を風靡(ふうび)した。 1984年上方漫才大賞の大賞など多くの賞を受賞し、女流漫才のパイオニアとしてテレビや舞台などで活躍、長年にわたって幅広い人気を集めた。くるよさんは「どやさ!」のキャッチフレーズでもおなじみだった。いくよさんは、2015年5月28日に胃がんのため亡くなっており、訃報からちょうど9年で、くるよさんの訃報も伝えられる形となった。 コンビ時代の受賞としては「上方お笑い大賞」第1
お笑い芸人で、俳優の今野浩喜(45)が、唯一無二のキャリアを刻んでいる。1998年にお笑い芸人としてデビューし、2010年には、お笑いコンビ「キングオブコメディ」として「キングオブコント」で優勝。その後コンビ解散を経て、俳優業のオファーが増加。「下町ロケット」や「らんまん」など話題作への出演が途切れない名優の素顔に迫った。(田中 雄己) 少し大きめのキャスケットとサングラス。視線を下げると、半ズボンにサンダル。飾らない姿で現れた今野は、何度か首をかしげた。「うーん、覚えがないというか」。活躍した記憶もないし、取材される意味が分からないという。「何でだろう、何でですか?」。もう一度深く首をかしげた。 自覚はなくとも、「下町ロケット」に「テセウスの船」(ともにTBS系)。NHK大河ドラマ「真田丸」、連続ドラマ小説「エール」「らんまん」。そして、作品の合間には「そこに、愛はあるんか」のセリフで、
月1回の単独ライブでネタを鍛える――優勝した2009年以降もR-1に出場されていたそうですが、チャンピオンになった後に出場するのはどんな感覚ですか? 中山(以下、同) 2009年まではR-1優勝を目標にしていたので、その後は同じような熱量ではできなかったですね。でも、「出場しないんですか?」とマネージャーに聞かれたら「じゃあ出ます」と言ってしまって。よくなかったですね、惰性やから。年によっては3回戦とかで普通に落ちてました。賞レースって「これがウケる」と思うネタでズバっといくか、自分がやりたいお笑いをやるか、そのどっちかやと思うんです。 僕の場合、優勝した年はウケるネタに絞ったんですけど、それ以降はそのどっちでもなかった時期で。それでも、出場しないという選択にどうしてもいけなかったので、苦しかったです。ちなみに、今年は2回戦で落ちました。 ――中山さんが2回戦で敗退ですか。 前日にネタの準
ヤーレンズさんCM初出演!新WebCM「やっぱりマーボといったら丸美屋」篇が完成2024年5月27日(月)丸美屋公式YouTubeチャンネルにて公開「バナナといったら丸美屋」のネタをきっかけにコラボが実現! 丸美屋食品工業株式会社(本社:東京都杉並区、社長:阿部豊太郎)は、6月6日の「麻婆豆腐の素の日」を盛り上げるため、お笑いコンビ「ヤ―レンズ」さんを起用した「麻婆豆腐の素」の新WebCMを制作いたしました。丸美屋公式YouTubeチャンネルにて、2024年5月27日(月)より公開いたします。先日公開した「バナナといったら丸美屋・・・?」篇と合わせてお楽しみください。また、ヤーレンズのお2人は、このWebCMがCM初出演となります。 WebCMの公開に合わせ、抽選で66名様に丸美屋商品詰め合わせが当たるXキャンペーンを実施いたします。 ■新WebCM概要 「やっぱりマーボといったら丸美屋」
マシンガンズが出演しているDVDを(多分)全部見たので内容を軽くまとめました&感想です。発売時系列順。 ※配信はサイトによっては配信期間外の可能性あります。 (2003/12/22追記)ぜんぜん全部じゃなかったので見つけたら追記しています。お芝居の出演作などは入ってないです。 お笑いマングース(2023年12月22日追記) 発売日:2003年9月1日 宝島社から出ていたDVD付きムック本。89組のライブ映像収録。 滝沢さんがはっきりボケて西堀さんがしっかりツッコんでる。頭叩く強めのツッコミ。ボケツッコミが明確なので分かりやすいし客席もウケてる。滝沢さんボケ時代のネタ見たことなかったので嬉しい! 数多く収録されてるのでネタは1分程度のダイジェスト。マシンガンズのネタは「女って口うるせえよな」みたいな内容で今とそんなに変わってなくて面白い。形としては今とは違って、かなりかっちり漫才をしてる感じ
ジュウジマルの解散からもう7ヶ月も経ったらしい。 体感では一年以上過ぎているような感覚だった。コロナ前の2020年2月の事務所ライブが会った最後だったからだろう。 橋口さんは鹿児島でご家族と楽しく暮らしていらっしゃるだろうか、多分橋口さんなら大丈夫だけど。マジで橋口さんのお店にご飯食べに鹿児島に行きたい。今一番の夢かもしれない。こないだちゅえさんに絡まれてて嬉しかったな。一般人になっても変わらず橋口さん節だった。 ひょうろくは独りで東京に残されてどうしていくのだろう、と思っていたけど最近は趣味をどんどん極めて行っているようなので杞憂だった。ラジオもたまに聞いているけど等身大のひょうろくが頑張って30分喋ってて少し安心する。そのまま楽しく生きていって欲しい。 最近ひょうろくを見ると、筋肉隆々なのになよっとしていてメイクはどんどん上手になって、更に得体の知れない「ひょうろくという生命体」になっ
結成16年以上の漫才師が鎬を削る漫才賞レース「THE SECOND」の第2回大会が終わり、19年目の「ガクテンソク」が優勝した。決勝の翌日、舞台で4ステージに上がった2人に最速インタビューを敢行! 昨年の第1回大会では予選の「ノックアウトステージ」で「マシンガンズ」に敗れ、テレビ放送の本選「グランプリファイナル」に出場したマシンガンズが準優勝に輝いたが、その第1回大会をどう振り返るのか。ガクテンソクの奥田修二(42)とよじょう(42)にノンフィクションライターの中村計氏が聞いた。(全3回の第1回。第2回、第3回を読む) ――今大会のクライマックスは、個人的には、ノックアウトステージ「16→8」のGブロック決勝、マシンガンズ対ガクテンソクでした。 奥田:対戦が決まってからは本当に嫌でしたね、1ヶ月間くらい。 ――去年の「32→16」でマシンガンズに負けたときの奥田さんの表情が忘れられないんで
伊藤幸司の場合 いずれは地元を出るつもりだった 故郷の鳥取は、山に囲まれた、自然しかない町でした。地元愛はないし、いずれは地元を出るつもりで学生時代を過ごしていました。幼少期は、本当に暗い子どもで。誰とも喋らないし、家でもあまり喋らなかった。頭の中では色々考えても外には出さず、全部自己完結していましたね。 小、中学生くらいの頃に、ナイナイ(ナインティナイン)さんのオールナイトニッポンを聞くようになったのが、お笑い好きになったきっかけです。高校生になった頃、親に「芸人になりたい」と相談したんですが、家で面白いことをするタイプではなかったので、当然反対されて。NSCに入る前に東京の大学に進学したのも、東京に行くための口実という部分が大きかったですね。
街裏ぴんく、独演会は純度100の“本当の僕” 賛否両論の「否」の多さより「賛」の濃さ 2024年5月19日 20:00 292 8 お笑いナタリー編集部
こんにちは、ライターの大北といいます。本日は「タイタンの学校」の前に来ています。この文字面だけで、ここがお笑いの養成所だと分かる人も多いんじゃないでしょうか。「タイタンの学校」は爆笑問題やウエストランドの所属するお笑い事務所「タイタン」が運営する養成所です。 今、みんながお笑いに詳しいですよね。私の興味分野はユーモアについてなんですが、こんなにいつまでも世の中がお笑いの話をしているとは思ってませんでした。現在のお笑いブームは賞レースが牽引してます。『M-1グランプリ』が始まったのが2001年なので、20年以上お笑いが人気であり続けてるんですよ。すごいですね。 お笑い芸人の「養成所」の代表格である『NSC(吉本総合芸能学院)』の入学者は、いまや東京だけで毎年600人以上いるそう。ということは全国で少なくとも毎年1000人以上の芸人の卵が輩出されているのでは? その「卵」の人たちはその後どうな
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