「曼珠沙華どれも腹出し秩父(ちちぶ)の子」 「どれも口美し晩夏のジャズ一団」 「暗黒や関東平野に火事一つ」 これらは若い日の金子兜太(とうた)さんの句だが、表現やイメージが大胆で端的、ちまちましていない。現在でも突出して新しい。 私が兜太さんに出会ったのは20代のころ、彼の著書「今日の俳句」「定型の詩法」などを読み、俳句を同時代の詩としてとらえる見方に共感した。俳句仲間といっしょに上京、勤務先の日本銀行を訪ねたこともある。コーヒーをおごってもらったが、デパートの屋上から飛び降りる覚悟で俳句をやれ、とアジられた。今になって思うと、それは兜太さんの俳句に向かう姿勢だった。 五・七・五の小さな俳句は、その小ささへ俳人を閉じ込めがち。内向きにさせるのだ。兜太さんはその傾向に抗(あらが)った。自由律や無季の句を認め、俳句史的には傍流の小林一茶や種田山頭火を研究したが、それらは俳句を広げようとする行動
![【追悼】金子兜太さん 現代俳句史でんと存在 俳人坪内稔典(1/3ページ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/65c3690063b22c6b6913b878731419dcac38ea6e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fcommon%2Fimages%2Fogp_life-education.jpg)