タグ

ブックマーク / tahi.hatenablog.com (24)

  • 故に我あり書店 - 最果タヒ.blog

    (この原稿は、ちくまでの連載エッセイの冒頭に、新たに後半部分を書き足したものです) この前、対談をしている時に、苦手なとか良さがわからないが、ネットとかSNSとかで好意的に紹介されていたら、当は違うのに、どうしても世の中全てがそれを勧めているみたいな感覚になって、つらい気持ちになるんじゃないか、っていう話をしていて(私のが苦手な人は確実にいるっていう話の流れからです)、ああ、やっぱり屋さんならその横に「私はこっちの方がいい気がする!」って思えるが並んでいるからいいよね、屋さんはずっとあってほしいな、と思っていた。リコメンドはとても参考になるけれど、リコメンドだけで他が見えない空間と、他のとともにポップでリコメンドがある屋さんはやっぱりちょっと違っている。私のが苦手な人はいて当たり前だし、むしろ、苦手ながあるっていうことは、自然なことだと思っている。芸術や文化の前に立つ

    故に我あり書店 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2020/05/30
  • 未来と過去と今と言葉と写真と悪口 - 最果タヒ.blog

    相手が強者だから傷つけていいのか。相手と一緒に自分も傷つくから傷つけていいのか。相手が自分を傷つけたから傷つけていいのか。相手が間違っているから傷つけていいのか。相手に聞こえないから傷つけていいのか。どれもこれもいいわけないだろ、あたりまえだろ、というそういうことを忘れる方法はただ一つ、最低な人間になるということで、簡単にナチュラルにそれはできてしまうのが人間ですけれど、みなさまいかがお過ごしですか。人が人に向ける悪口というのは、ことごとく好きじゃない、わけですけれど、この前テレビだったかで、女の人はグループ内で一人だけ悪口を言わないでいると追い出されるし、かといって言いすぎても追い出されるという話を聞いて、悪口というのは立派なコミュニケーションなのだなと思った。悪口ってみんな好きなのだよ。苦痛だけど、好きなんだよ。じゃないとあんな得もないことをやるひとがこんな多いわけもない。小学校の時に

    未来と過去と今と言葉と写真と悪口 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2016/02/06
  • 大森靖子さんと本を出します。 - 最果タヒ.blog

    かけがえのないマグマ。歌手・大森靖子さんとを作ります。大森さんのこれまでの人生そのもの、命そのものを聞き出して、私がそれを小説という形に落とし込んでいます。私は生きているし、だから、きみも生きているよって、歌で見せていく大森さんの在り方そのものを、にできたらと思って、書いています。 だから、このは、大森靖子という人を、情報でも物語でもなく、生きている人として、そのまま伝えるためにあります。熱量保存。ハッピーエンドだとか、奇跡だとか、選ばれし人間のフィクションみたいな人生だとか、そういうものはここにない。同じ世界に彼女が生きていること。それを証明する1冊です。 生きているってこと。単純なことなのに、忘れてしまうよね。でも、それを忘れたくなくて、ステージの上から、お客さんの顔ひとりひとりを見て、みんなが生きてきたことを受け止めてきた大森さん。生きているよ、っていうこと歌って示して、みんな

    大森靖子さんと本を出します。 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2015/12/11
  • 美しさは、最初からきみの中にある。 - 最果タヒ.blog

    私がはじめてカウンセリング化粧品を購入したのは資生堂のカウンターでした。長らく雑誌やらなんやらで得た情報で、アドリブ的化粧を行っていた私にとって、他人にお化粧について相談するというのはこっぱずかしいとしか言えなかったのですが、ふと、興味がわいて、デパートに向かいました。肌の色から目の形、輪郭やまつげの長さ、それらを一つずつ確かめて、あなたのいいところに合うものは、あなたのきれいな部分をみせるものはと、提案されていくことはさらにこっぱずかしいというか、かゆくなるかんじでもあったのですが、でも、それ以上にお化粧とはそういうもの、と当たり前に美容部員さん(カウンターにいて、アドバイスをくださったりお化粧してくださったりする方、基いいにおいがする)がふるまってくださるのはふしぎと、居心地が良かった。雑誌だとどうしても、流行りのメイクは、とか、コンプレックスを隠すには、とかそういうページが増えてい

    美しさは、最初からきみの中にある。 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2015/09/12
  • 読むわたし、書くわたし、その他。 - 最果タヒ.blog

    「書きたいもの」と「書けるもの」と「読みたいもの」が一致するというのは大変しあわせなことで、私は自分の詩とかあんまり好きではない。単純に自分が書いてなかったら読んでないだろうと思う。小説も、なんというかブレのない文体というか整列している言葉の方が好きで、海外文学の翻訳文がすき。アーサーCクラークとか。情報として言葉を追っている方が物語に集中できてしまうのです。もちろん、文体の美しさ単体を鑑賞することはとても好きなのですが、そこを味わい出すと物語を追わなくなるというか、1ページの同じ部分を何度も読んだりとかする方が楽しくなってしまうのですよね。実際そうやって読んだがとても多いですし、そういった場合も私に似た文体よりはもっとスマートなものを好んだり。そんなこんなで、私は「読みたいもの」「書くもの」がほとんど一致したことがないのです。 書いた印象と読んだ印象というのは必ずと言ってずれていて、た

    読むわたし、書くわたし、その他。 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2015/07/02
  •  「好き」の優先順位 - 最果タヒ.blog

    わたしおべべ買うの好きなんだけれど、好き嫌いが激しすぎて、一回ZOZOにあるすべてのワンピースを見たことがある。そのときすきっぽい服を作っているブランドが2つぐらいあって、それを追いかけたりするようになったけれど、だからといって手放しでそのブランドが好きかと言えばそうでもなくて、あんまりぴんとこない服がほとんどで。だから、おしゃれなかんじに、好きなブランドはどこどことかいえなくて、さみしい。女子っぽくない。なんか傾倒してしまいたいよね。ブランドのロゴだけのエコバッグとかもって、これかわいいでしょーとか、意味分かんないこと言いたいよね。ほんといみわかんないよね。ロゴだし、それなら紙袋でよくない?とかおもうよね。ロゴがおそろしくかわいくて、正直服のデザインがそれに勝ててない、ってパターンもあるけど、稀。だいたいは盲目的よね。 で、それがわるいことかといえば逆で、きほんてきに、「このブランドだい

     「好き」の優先順位 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2013/10/17
  •  ついに第二詩集「空が分裂する」発売です!わーい - 最果タヒ.blog

    私たちは人間だから、さみしがり屋なんだよ。 詩集が発売されています。場所によってはまだなところもあるかもしれませんが、大型書店やネットショップではすでにある模様。わーい。うれしい!みなさまありがとうございます。いろんな人の力でとてもいいになったと思っています。ぜひ、あなたにお届けしたいです。屋さんで見かけたら、手に取ってみてくださいね。 詩/最果タヒ 絵/萩尾望都、片山若子、山直樹、大槻香奈、古屋兎丸 ワカマツカオリ、鬼頭莫宏、宮尾和孝、市川春子 板橋しゅうほう、志村貴子、小林系、西島大介、平沢下戸 伊藤真美、田辺ひとみ、皆川亮二、冬目景、KYOTARO、鈴木央 (連載時登場順・敬称略) 表紙写真/川島小鳥 別冊少年マガジンで2年ほど連載していた詩「空が分裂する」の単行化です。連載当時は私の詩にあわせて先生方に絵を書いていただいていたのですが、今回、にするにあたって、絵に触発され

    hyougen
    hyougen 2012/10/08
  • 作りましょうましょうましょう - 最果タヒ.blog

    作ろうとしたこともないひと、作ったこともない人が、「俺が作れば傑作ができる」と思うのは、よくあるばかげた話だけれど当たり前のことで、すべての人が、作る前には「これから作るのは傑作だ」と信じている。あたりまえだ、想像の中でなら、来なら厳密にきめなければいけない細かい部分は都合よくあいまいにぼかしておけるし、矛盾も無視できるし、作りたい部分は、想像した通りに100%で実現できると信じている。けれど実際に作り始めると、頭の中で想像したものをそのまま100%、アウトプットすることは不可能だとわかるのだ。作り始めてからこそが、番なのだ。すべての意味で。 自分の中で想像していたものを、アウトプットしようとしたさいに、それがそのまま100%で、外に出せないことにはじめて気付く。どんな人間だってそうだ。頭にプリンターでもとりつけて、ウィーンと印刷しない限りは、思った通りのものなど100%では実現できな

    作りましょうましょうましょう - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2012/05/02
  •  雑誌と本とわたしと時間軸 - 最果タヒ.blog

    みんなー! 自分語り、はっじめっるよー!! ネットで書いていたからか、単行を出すことにたいする欲があんまりない。雑誌に載った時点でもうかなり満足してしまって、さらにそれを集めて一冊のにしよう、って簡単には思えないんだなあ。雑誌でもバックナンバーが手に入るし、紙媒体で載ったという事実は永遠な気がして、それをわざわざそのままさらに一冊分まとめて出版することにあんまり意味を見いだせなくて、雑誌で載せたものの中でも特にいいとおもうものだけを、厳選して載せる、音楽で言うと「ベストアルバム作るぜ」ぐらいの意気込みでないと、を出す意味がない感じがずっとしていて、だから詩集とか出すのがどうしても遅くなります。たぶん、書き終わってしまうと、その詩を直したりすることができないのも理由の一つなんでしょう。なおして、とってもよいかんじにするのができなくて、1から作り直すしかできない感じです。セーブできないR

     雑誌と本とわたしと時間軸 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2012/01/13
  •  全生命体対象ブログ - 最果タヒ.blog

    ぼくは、(なんだかこの一人称はリズムがいいけれど、恥じらいも生まれるので、疲れるのがハイリスクだ)、とにかくぼくは、ここに来る人のために、ブログを書いているのだろうかという自問自答に陥った。 そもそもブログって日記だし、でも公開するかぎりは人の目を意識するわけで、しかしなんていうか、たとえば日記の文章がはてブやらtumblrやらで拡散されて、たとえばあの「なんの役にたつの?」の暴力性、とかいうブログ記事がいまだにときどきtumblrで拡散されているのを見たときに、なんだかほんのりうれしくなる。ここに来る人、というよりは未来、どこかでだれかがこの文章を読んでくれたらいいな、というかんじで、全人類対象ブログであるのだとおもうし、夢は人類がほろんだあと宇宙人やら地底人やら第二世代人類(人類がほろんだあとに偶発的に再発した人類)に発掘されて読まれ、解読され、ナスカの地上絵みたいに勝手にファンシーな

     全生命体対象ブログ - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2011/11/30
  •  芸術は勘。 - 最果タヒ.blog

    芸術は勘。そう言うと、表現のことをとても軽く考えていると思われるかもしれないけれど(まあじっさいそうなのかもしれない)、命をかけてもおらず、絶望をそそいでもいないのに、小さなころから私が毎日文章を書きつづけてこれた理由は、すきだからというだけだった。いのちをかけてもいないし絶望もしていないからこそ、すきというきもちはたぶん強い。そこに動機も期待もないからだ。 どこかに価値が生まれたら、それはすばらしいことかもしれない。意味があるかもしれない。根拠があったり動機があったり、期待があったり下心があったりしたら、その行動は「確かなもの」になるかもしれないし、「なんとなく」という行動は、それよりも下に見られるかもしれない。でもさ、人間の根拠ある行動が、宇宙を動かすことなんてないし、観測できるかという点でみればどちらだって不確かなのだ。結局、死んだのか生きたのか、ぐらいしか、物質的には観測できない。

     芸術は勘。 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2011/09/12
  •  夢がすべてじゃないよ - 最果タヒ.blog

    pixivで今話題になっているマンガがあります。T京K芸大学マンガ科の学生さんが描いたマンガで、まあ、壮絶です。単純におもしろいマンガなので、お時間ある方はぜひ読んでいただきたいです。→「T京K芸大学マンガ学科一期生による大学四年間をマンガで棒に振る」 以下はちょっとこのマンガ(と、テレプシコーラ)のネタバレになるので、未読の方はご注意ください。 このマンガは簡単に言うと、マンガ家をめざす若者たち、恋愛対象でもあり成功者でもある山下さんと、彼女を前にして挫折するしかなかった主人公を中心とした物語で、半分ノンフィクション、半分フィクションのノリで描かれています。実際は主人公のモデルである作者の方もこの中に出てくる山下さんも、ちゃんとデビューできたといううわさがあるので、そのうわさの通りだったらいいなあ、と思うわけですが、まあ、実際最後のシーンにある山下さんによる主人公への叱責、そして罵倒は、

     夢がすべてじゃないよ - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2011/02/22
  •  主観と客観の混同 - 最果タヒ.blog

    客観的な質問に主観的な回答をするひとがいる。たとえば「世界一うまいギタリストはだれか」という質問に対して、「私が好きなギタリスト」の名前を言ってしまうようなひと。けっこうあちこちで見かけることだけれど、主観と客観が混同されているなあ、っていつも思っていた。世界一うまい、っていうのは世界一好きな、って意味ではないのだけれど、それを一緒だととらえてしまう。そういう人を見ると、すごくそのギタリストが好きなんだな、っていうのは伝わってくる。大好きだから混同するんだろうな、って。でも私だって世界一好きなバンドはあるし、そのギタリストは大好きだけれど、だからといってその人が世界一うまいギタリストだとは思わない。それはべつに盲目的になるほどの愛情がない、とかそういうことじゃなくて、単にそんな形容なんて、わたしの気持ちを言い表すためにまったく必要がないからだ。かれらより愛情が乏しいわけでもない。負けてなん

     主観と客観の混同 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2011/02/03
  •  ただ孤独感からの発言 - 最果タヒ.blog

    専門誌以外にも、詩を発表できる雑誌がもっと増えたらいいのにね。私は幸運なことに、別マガや、真夜中で詩を何度も載せていただいているけれど、もっと詩がいろんな雑誌に挟み込まれていたらいいのにと思う。たいていは短くて、記事として扱いやすいと思うのに、とても難しいことだね。 ユリイカ12月号に載った詩は、詩にふれたことのないひとたちに結構反応をもらえた。そのほとんどは、特集されていたハガレン目的で雑誌を買ったひとたちだった。詩はついでで読んでもらいやすいし、雑誌で詩が特殊な立ち位置を得ることは出来るはずだと思ってる。 あ、22日発売の真夜中には詩が4篇載りますので、ぜひご覧になってください。真夜中は当にさまざまな人がさまざまなものをつくり、それが奇跡的なバランスで集合しています。真夜中にはNo.2とNo.10にも詩を載せていただいています。そちらもぜひ読んでほしいと強欲なきもちになってます。 今

     ただ孤独感からの発言 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2011/01/19
  •  みんなのコミュニケーション依存 - 最果タヒ.blog

    きれいなイメージの読みさわりのよいいわゆる「詩人らしい」日記も、やろうとおもえばやれるけれど、だいたい、きれいな言葉をあやつるのが詩人、というのはかなり偏った解釈なのですよね。絵画だってなんだって、うつくしいとかそれどころじゃないだろと言いたくなるぐらい、見ていたら動悸が起きてしまうような名作ってあるでしょう。詩だって同じなのです。美麗な情景が追える詩というのは詩のひとつのジャンルではありますが、それも含めて、ただきれいな喩えでキャッキャウフフしていると思ったら大間違いなのです。 これは又聞きなので当にご人が言ったのかはしりませんけれど、以前糸井さんが、ツイッターについて物を作る人はやらないほうがいい、というようなことを発言していたらしく、わたしもね、それはすごく共感しています。だって物を作る人は生活のどこから創作につながっていくかわからないんです。しんみりとなんとなく書いた詩のかけら

     みんなのコミュニケーション依存 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2010/11/19
  •  詩人である前から私はいた。 - 最果タヒ.blog

    詩として作品を発表するようになったけれど、詩とされるまえから私は同じようなものを書いていたし、一度だって「詩として」意識して詩を書いたことなどない。詩人とされるまえから私はいて、私はそれからなんらかわっておらず、詩人である以前に私であり、その私がものを書いている。それだけだ。 詩や小説や絵や、さらに詳細なものも含め、ジャンル分けは受け手側の利便のためにあると思っている。たまに、なにをつくっても詩人であるという前提から解釈されることがあり、それは仕組みとして当然のことでもありながら、同時にふしぎだと思う。私は自分が詩人であるという前提からつくってはいない。 人が他者の肩書きを気にすることはどうしようもないことだ。つかめない水をつかまえるために、器をつかうようなものだ。けれどやっぱり水は水で、器の形はしていない。へたに水が意識を持っているがために、そのことについてふしぎに思ってしまう。 もちろ

     詩人である前から私はいた。 - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2010/08/05
  • 言葉に対する価値観の重さ軽さ - MoriyamaMoriko - - 森山森子

    えーっと、きのうの夜にちょっとばかりtwitterでフィーバーしてしまいまして、詩についてなどで長々と語ってしまいました。高橋源一郎さんのツイートがきっかけだったのですが、フィーバーしすぎて、今見直したら私のついったー画面が長文連投と、返信でめちゃくちゃに……。もし読んでみたい、と思った方は、紳士id:murashitさんが高橋さんのつぶやきと私のあうあうあーをとぅぎゃってくださったので、そちらからご覧になってから、私のTLをさかのぼるとわかりやすいかもしれません。 ここでも私のつぶやきはまとめようかと思っています。あ、でも高橋さんのついーとを読んでからのほうが絶対いいのでとぅぎゃったーから見ることをアツクおすすめします。 最果タヒは高橋さん@takagengen の言葉にちょっと傷ついたなう☆内か外かどっちか見なければならないのだろうか、私は空洞を見てきたし、これからも空洞しかないけど。

    言葉に対する価値観の重さ軽さ - MoriyamaMoriko - - 森山森子
    hyougen
    hyougen 2010/07/13
  •  「若さで書く」から「自分で書く」へ - 最果タヒ.blog

    また、今月の別マガの詩は私にとって今までで一番大きく変わった転換期の作品です。月産2作ぐらいの作成ペースから突如、日産10作ぐらい書いてしまいました。それ以前と以後、どちらがよかったとか、そういうことではなく、「青春」で書く私から、「自分」で書く私、への変化でした。私は詩集で十代の卒業についてあとがきで書きました。そんでもってその変化を夜明けにたとえましたが、それまでが夜だったのかはなぞであり、それからが朝なのかもなぞであります。当時はそう思ったのでしょうけれど、今回の転換期について考えれば、はじめから朝であり、今も朝であり、実家から引越し、ひとりだちをしたような気持ちでしょうか。 変化がやってくるまでは、若さによるエネルギーがつきたととき、私はどうなるのか、という不安がありました。そうした若さのエネルギーはだれにでもあり、天からの賜り物であり、言ってしまえば私自身ではなく、若さというスペ

     「若さで書く」から「自分で書く」へ - 最果タヒ.blog
    hyougen
    hyougen 2010/05/12
  •  だれが科学を支えるべきか。 - 最果タヒ.blog

    お金持ちしか研究者になれない時代に逆戻りかなぁ、と思う。末は博士か大臣か、なんていわれていたけれど、賢ければだれでもなれるものでは昔は決してなかった。研究者になりたいなら、お金持ちの娘さんと結婚しなさい、なんて冗談があったし、実際お金がないと研究を続けるのは困難だ。国立大学の授業料は昔から上がっていく一方だし、今では大学が行っている免除とかも独立法人になってからなかなか厳しい扱いになってしまった。院生になると、学振など支援してくれるところはあるし、アルバイトをすればちゃんとまかなえるのだろうけれど、一方で欧米の大学院生はTA(ティーチングアシスタント、主に大学の授業のアシスタントをする)の給料だけで十分生活ができ、仕送りも必要がなくなってしまっている(つまりちゃんと自立ができる)。研究に関係のないアルバイトに時間を割く日の院生が欧米の院生よりも研究にのめりこむことができていないのは明らか

     だれが科学を支えるべきか。 - 最果タヒ.blog
  • 「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog

    テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。 うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは「利便性」だ。「利便性>娯楽性>芸

    「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog