いわゆるオリパラ組織委員会の事務所は虎ノ門ヒルズにあります。 なんと、その賃料は月額4300万円に上るそうです。年間で5億1600万円、2020年までに賃料だけで30億超のようです。 今年から、虎ノ門ヒルズのワンフロアを追加してますから、もっと多額に上がっているようです。 どうして年間で5億円を超す賃料を払う必要があるのか。どうして新しい虎の門ヒルズに事務所を設置しなければならないのか。 直ちに、その必要性につき透明化し、合理的な説明の責任を果たしてもらいたい。 仮に合理的な説明ができないまま、そうした出費を続けるのであれば、少なくとも、今後、不必要な出費を続けたということから、関係者の刑事責任(背任罪)が追及されることにもなりかねません。
2014-08-30 認知言語学の現在について思うこと わたしの所属する研究室は、理論言語学、なかでも認知言語学を専門としている。 認知言語学というのは、「言語能力を一般的な認知能力とつながりのあるものとして捉える」分野である。「人間の言語ってどうなってるんだろう」というのを考えるのが言語学なのだけれど、「言語をどのようなものとして見るか」というスタンスには分野によって差がある。 「言語は言語能力だけで独立しているんだ」という見方をする分野もあれば、認知言語学のように、「いやいや、視覚とか聴覚とか触覚とか、ほかの認知能力とも共通してると思いますよ」と主張する分野もあるということだ。 わたしの指導教員が、初学者向けのご著作で、「認知言語学とはどういう雰囲気の分野なのか」という疑問についてお書きになっている部分を引用すると、 確かにことばには、「そうなっているからそうなのだ」とみなさざるを得
ラストエンペラー実弟溥傑の書が書体フォントに 広告・デザイン スキルインフォメーションズ株式会社(大阪市東淀川区 代表取締役:杉本浩)は、中国最後の皇帝溥儀の実弟である愛新覚羅溥傑の自筆の書を元にデザインした日本語毛筆フォント「相依為命書体」を8月31日に発売開始いたします。 溥傑は、「自分は書家ではない。書を楽しんでいるだけだ」という立場を生涯貫き、折につけ自らの書をさまざまな場に提供してきました。流れるような溥傑の書は、見る人を魅了してやみません。 その大半を大切に保管されていたのが、溥傑の次女である福永嫮生さん(兵庫県西宮市在住)です。 嫮生さんは、2014年にご両親の書画を編集し「愛新覚羅溥傑・浩書画集」(中央公論事業出版)を出版されました。また、愛新覚羅家に関する手紙や写真、書画など貴重な資料を同じ西宮市にある関西学院大学博物館に寄贈されました。 同大学博物館では、これを記念して
ソウルで27日に開かれた日韓財務対話で、韓国側は通貨交換協定再開を提案した。同国国内には日本に対して強硬姿勢を求める一部世論はあるものの、経済界を中心に将来の不安払拭に向けて協定の再開を求める声は根強く、韓国政府としても体面より実を優先したとみられる。 平成13年に始まった日韓の通貨交換協定は、昨年2月に終了した。韓国企画財政省や中央銀行に当たる韓国銀行は当時、「経済指標が良好であり、延長がなくても特に悪影響はない」との見解を示していた。 韓国の外貨準備高も比較的十分で、韓国メディアの間にも「協定延長不要論」が目立っていた。何より、最大の原因は慰安婦問題での日韓関係の悪化という「政治的な問題」(韓国財界)にあったとされる。 ただ、昨年10月に行われた経団連と韓国の全国経済人連合会(全経連)の定期会合で全経連側は協定再開を求めた。米国の利上げなど「金融の不透明化」が理由で、今年に入っても、韓
松日橋は見るからに古風な木造の橋。それも、枝のような細い橋脚で支えられた、本当に人が渡ることができるのだろうかと不安になるような橋だ。 実際に橋に乗って渡ってみると、思いのほかしっかりしている。吊り橋のようにゆらゆら揺れることもないから、手すりに掴まることなく最後まで渡り通すことができた。 橋のたもとに掲げられた案内板によると、この橋は元禄時代にはすでにこの場所に掛けられていて、集落と川向の水田をつなぐ橋として利用されていたとのこと。橋の特徴としてとくに重要なのは、クルミやクリの太い枝が二股になっている部分を使った橋脚「ザマザ」で、橋板の重みとザマザに掛かる水圧とで普段の流れでは水に流されることはない。しかし、洪水の際に流れが橋板に達すると、橋板は浮き上がり、ザマザは流れに逆らうことなく流される。浮き上がった橋板は両岸からそれぞれ半分までがワイヤーなどで繋がれているため、真ん中から2つに分
麻や綿などの天然素材、水玉やストライプなどのさわやかな柄…。デザインがおしゃれな女性用のふんどしが増え、ふんどしを愛用する「ふんどし女子」がひそかに増えているようだ。ふんどし女子のなかには、「一度履いたら手放せない」と話す人も多い。女性たちをとりこにする、ふんどしの魅力とは何なのだろうか。 ふんどしイベント盛況「寝るときだけでも、締め付けのない下着に変えるだけでストレスがなくなります」 8月中旬、百貨店の西武池袋本店(東京都豊島区)の女性下着売り場で、ふんどしの魅力を語る女性限定イベントが開かれた。平日にも関わらず、立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。日本ふんどし協会の中川ケイジ会長が、集まった女性たち10人以上の前で熱く語った。就寝時にふんどしを着用する「夜ふん」を提案している。中川会長の横には、2体の女性型のマネキンが、それぞれストライプ柄がさわやかな印象のふんどしを付けていた。 ふんどしと
どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした、2005年上映の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編で2007年上映の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観て、「いい時代だったんだな~」なんて思った方も多いんじゃないでしょうか。一方で、「『あの頃はよかった』は全部ウソ!」というキャッチコピーが付いた、2012年発行の「ALWAYS 地獄の三丁目 本当は怖い昭和30年代」という本が出版されていたりします。 実際にはどんな時代だったんでしょうか。残念ながら著者はそのころにはまだ存在していませんので、YouTubeで動画を探してみました。すると……、あったあったありました、結構アップされているもんですね。ということで、今回はニュース映像にみる、昭和30年代の日常をまとめてみました(それにしても、昔のニュース映像の音楽って、なんかオドロオドロシいですよね)。 ●死の覚悟が必要そうな通勤列車(
2008年10月19日 382)岩手散歩 住田町(江刺街道の変遷) (4) カテゴリ:岩手の風景 米国の某大学で行われた実験で、電子メールを使った場合は手書きの文書に比べて嘘をつく傾向が1.5倍になったそうです。嘘がばれた場合手書きの文書は責任が問われやすいと感じるためらしいのですが、嘘とは関係なく手書きで文書を書く機会というのはかなり減りました。読めても書けない漢字が多いのも電子メールの影響でしょうか? 本日の岩手県の街は住田町(すみたちょう)でございます。岩手県南東部の内陸に位置し、四方を山々に囲まれた人口6千人の町です。太平洋に近いこともあり、冬でも県内では比較的暖かい場所だそうです。住田とは1955(昭和30)年に下有住(しもありす)村と上有住村と世田米(せたまい)町が合併した際に1文字ずつとった合成地名です。 ちなみに現在は岩手県ですが、江戸時代までは伊達藩でした。 住田町南部に
疲れて寝てた。 — あっきー。 (@akikonian) 2016年8月20日 父が所持していたソフトバンクの携帯を解約しようとしたら、死亡診断書の原本が必要とのこと。んなもんもう役所に出したわ。そもそも速やかに役所に出さないといけないものを、なんで先に携帯会社なんかに出さないといけないんだよ。ふざけてんのか。 #SoftBank — あっきー。 (@akikonian) 2016年8月21日 コピーではだめなのかと聞いたら以前偽造があったからコピーはだめとか。意味不明だわ。生命保険会社ですらコピーでいいと言ってるのに。 #SoftBank — あっきー。 (@akikonian) 2016年8月21日 あ、父死んだ、ソフトバンクショップに死亡診断書持っていかなきゃ!ってなるわけないだろクソ会社 — あっきー。 (@akikonian) 2016年8月21日 死亡診断書なんて死亡届にくっつ
仮説とは何か 仮説を立てる 仮説の条件 仮説を検証する 仮説とは何か ●仮説とは何か~仮の説明概念によって新たに見えるもの ①仮説の萌芽 現状や理論への問題意識(何か変ではないか,何とかならないか)が,現象や既知のものの見方・考え方に,「これはおかしい」「こうすれば,こうなるのではないか」という発見や着想につながる第一歩である。この段階の問題意識や疑問を,作業仮説と呼んでもいい。 ②現場・現実・現物からの三つの着想 ①現実の観察結果を定量的にデータとしてまとめることを通して,見えてくるもの ②現実の観察を,定性的,モード的,感性的にまとめることで,見えてくるもの ③現実の観察を通して,概念や論理として(こうだからこうなる)読み取ったもの ④二次情報,二次データを通して,①②③と照合しつつ,読み取ったもの データでも,一次的情報でも,既に一定の仮説に基づいて切り取られている(アンケート
「先人の証」を次世代に、歴史の道ガイド養成講座始まる/住田(別写真あり) 平成28年8月27日付 7面 住田町の「大股を次世代に伝える会」(遠藤重吉代表)と町教育委員会、大股地区公民館による初の「歴史の道ガイド養成講座」は26日、町内で行われた。年度内に全4回の開催を予定し、初回は世田米の町役場を出発後、柏里や小股などを巡りながら「盛街道」24カ所を踏査。参加者は先人が残した歴史文化の奥深さを現地で感じ取りながら、次世代に向けた発信や有効活用への意識を高めた。 初回は盛街道巡る 藩政時代、大股地区は歴代の伊達藩主が巡視した「藩境の要路」とされる。金山や鉄山などに関する史実も多い。各地を回ることで、教育や文化、観光面の各振興につなげようと初めて企画した。 地区内外から31人が参加。役場での開会行事では、泉彰地区公民館長が産金にまつわる歴史にふれながら「ロマンを感じる。歴史をひもとき、後世に伝
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く