片山 良平 ギノ株式会社 代表取締役社長 2012年にギノを設立、ITエンジニアに実際にプログラムを書いてもらい技術を評価するサービス「paiza」(パイザ)を2013年10月に開始した。ニートや音楽活動をしていたという異色の経歴も。 この著者の記事を見る
優秀なエンジニアとは何か? 人によって千差万別な解答が得られるこの問いを、“けんすう”の愛称で広く知られる、株式会社nanapi代表の古川健介氏にぶつけてみた。プログラミングのコモディティ化が進む現在。エンジニアが生き残る道は「エンジニアリング以外の価値」にあるというー。 WEBの進化とともに歩みを続ける、81世代のトップランナー。 《nanapi》というWEBサイトをご存知だろうか?料理、恋愛、仕事…など、さまざまなジャンルの「ハウツー(How to)」を集めたサイトだ。 「世界最大のハウツーデータベース」を目指すと宣言するだけあって、そのジャンルの多様性や分かりやすさは群をぬいている。 このnanapiを率いているのが、株式会社nanapi 代表の古川健介さん。“けんすう”という愛称のほうが広く知られているかもしれない。学生時代に、学生専用コミュニティサイト《ミルクカフェ》を立ち上げる
Marco Armentという人をご存知だろうか? Instapaperという「ブックマークして後で読む」アプリの作者として知られており、アメリカで大人気のブログサービスTumblrの共同創業者でもある。彼は2010年にTumblrを離れ、今はInstapaper一本にしぼって仕事をしている。主な収入源は$4.99のiOS用Instapaperアプリで1、アプリのダウンロード数が常時ランクインしていることを考えると、十分生活できるだけの額だろう。 今日のお話は至極単純なもので、ウェブ業界で起業したい人たちは、Mark ZuckerbergでもSteve JobsでもなくてMarco Armentをお手本にするべきだという話だ。ここですでに納得なら、残りを読む必要はない。 ぼくがMarcoをお手本とするべきだというには、3つの理由がある。 Marcoがウェブプロダクト制作に関して平均的に能力
転職のごあいさつ ということで、退職報告から1か月間のニート生活を経て、2012年1月からマミオン有限会社(Twitter:@mamion)にお世話になっています。 転職にあたり、Facebookを通して個人的にコンタクトをとりまして、無理言ってなんとか潜り込ませてもらえることになりました。 マミオン有限会社は、主にシニア向けのパソコン教室を全国にフランチャイズ展開しています。 が、特に高田馬場の本校では、同時にユーザビリティ改善のためのリサーチやコンサルティングサービスも提供しており、またアイトラッキングマシンも自前で持っているという希有なパソコン教室です。こちらで、インストラクター業務とリサーチ業務を平行して担当させてもらう予定です。 なぜマミオンなのか? これまでとこれからの様々な『点』が、『線』になりそうだと感じたからです。 前職NHNに転職した2008年の終わりごろ、ふと思いまし
はじめに こんにちは、Python界の情弱です。年の瀬ですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。知る人ぞ知る、本日は私の誕生日です。お待ちしております。 Amazon.co.jp: : とんぷーほしい物リスト 関連エントリ YAMAGUCHI::weblogの2007年を振り返る - YAMAGUCHI::weblog YAMAGUCHI::weblogの2008年を振り返る - YAMAGUCHI::weblog YAMAGUCHI::weblogの2009年を振り返る - YAMAGUCHI::weblog YAMAGUCHI::weblogの2010年を振り返る - YAMAGUCHI::weblog 昨年立てた目標とか 昨年に倣って最初に昨年末に立てた今年の目標を書いておきます。 翻訳!翻訳本とか出版できたらいいなあ... Python再燃。FlaskとかSphinxとかpocoo関
[Qiita](http://qiita.com)の中の一人。デザインとフロントエンドを担当しています。 ブログを書き始めたのはこれを書きたかったからだったりする。なんか退職した系の記事ははてブがすごい集まってて羨ましかったし、ひとりで正月を過ごしてて寂しいし。いいきっかけなのでちゃんとまとめてみる。 Qiitaを開発する前は何をやっていたのか 新卒で中堅SIerに入社し、製品開発プロジェクトでシステムエンジニアとして2011年の6月までは働いていた。業務ではJavaを使ってたけど、入社するまではプログラミングをやったことがない素人だったので、非常に新鮮だった。新人研修がかなり充実した企業だったので、プログラミングを一から学ぶことができた。この経験は今でも非常に役立っていると思う。 ちなみに、なぜSIerに入社したのかというと、これは一重にプログラマへの憧れがあったからだったりする。大学は
不況で冷え込んでいたIT業界の転職市場に、回復の兆しが見え始めている。だが、業種や職種によって採用数や条件に大きな差異が生まれている。転職市場の動向を追い、自身のキャリア戦略立案に生かしてほしい。 年末に向けて、企業の採用活動は活発化している。特にWeb業界では、採用ハードルを引き下げたり、ポテンシャル枠を設けたりと、採用枠を拡大する企業が多かった。選考結果を即日伝えることで、採用のスピードアップを図る企業もあった。 スマートフォン市場の活況も続いている。エンジニアやクリエイターを中心として、ディレクターやプロデューサーなど、さまざまな職種で採用ニーズが高い。 Web業界 人材獲得競争の激化が止まらない。「人員の確保が困難」と判断した企業は、その打開策として、東京本社を持ちながら地方都市に開発拠点を設け始めた。地方都市在住の優秀なエンジニア/クリエイターを現地採用するのが狙いだ。 エンジニ
最近うちの会社では20%ルールというのをやっています。私はそれでiPhoneアプリを作ってるのですが、日頃から会社にいるとき以外にも開発したいなーという思いからMacBookAirが欲しいと思っているのですが、 そんな折に 【アイデム エンジニアキャリアHacks共有プロジェクト】 なるキャンペーンを見つけたので早速応募してみることにしました。 応募するテーマは「エンジニアとしての、とっておきのキャリアHacksを教えてください」です。 キャリアハックと言われても、自分は人伝てにしか就職したことなかったなーという話 私は今の会社に入社する前は結構な頻度で転職をしています。 その転職のすべてがキャリアアップと言えるかどうかは微妙なところですが、結果的に今の会社に入って今のポジションにいられることは自分にとってとても良かったことだと思っています。 そういうことは抜きにしても人から誘われて転職で
自分が長い間勘違いしてたから言うんだけど、 最後に「Firm Specific Skill」と「Portable Skill」の違いについて。前者は直訳すれば「企業特殊技能」と いいまして、社員がその企業ならではの技能を磨き、所属企業とのコミットメントを高めながら共に進んで いくというものです。でも、ホントに若い人が気をつけるべきなのは、自分が所属している企業外に「持ち 運び可能な技能」ではないでしょうか? 大企業で働くと毀損されるいくつかのコトについて - GoTheDistance ここで言うポータブルスキルの正体が何なのかは、よく考えなくてはならない。 ポータブルスキル=「社外でも通用するスキル」「転職時に潰しの効く技術」ぐらいに考えていると大損する。 大企業の人はそう言うけど 業界大手のお客さんと話をしていて、「(うちの会社名)さんは技術があるからいいですよねえ。私らは技術がないか
東北大学大学院の教壇に立ちました。 産学連係講義 「先端技術の基礎と実践」 という講義で、 毎週一人づつ企業から講師を招いて、 ソフトウェアや IT 技術の様々な側面について理論的、 あるいは実際的な観点から講義してもらう、 という趣旨でした。 講義題目の一覧を見ると、 私以外は、 (講義の趣旨から言って当然ですが) 技術的な内容ばかりで、 私の講義 「学生のうちに身につけて欲しい、たった一つの能力」 だけ浮きまくっていました (^^;。 本当にこんな内容で話していいのか (ある意味、大学院での教育方針にケンカを売るような内容ですので) と内心不安だったのですが、 少なくとも一部の学生さんには積極的に質問してもらえて、 1コマの授業時間だけでなく、 講義後のフリートークも時間いっぱいいっぱい使って、 学生さん達とお話しすることができました。 型破りな講義内容を快諾して頂いた先生方に深く感謝
_ 35歳プログラマ定年説はもう時代遅れ。職業プログラマは32歳定年説を推します 今冬のチーム体制を議論する季節になってきました。とうとう私はプログラマとして招へいされることが無くなりました。 ジョジョの奇妙な冒険第二部風に現状を説明すると以下です。 tamoot は・・・二度と Ruby on Rails を使った開発のお仕事には戻れなかった・・・ サポートのようなお仕事と、バグ調査・パッチ作成のお仕事との中間の生命体となり永遠に会社をさまようのだ そして開発のお仕事をしたいと思っても招へいされないので・・・・ -- そのうち tamoot は考えるのをやめた 私をプログラム開発業務へまわすデメリット 客観的に見て以下です。弊社ならやはり定年として扱われても仕方ありません。 時間単価が高い 偉い人はプログラミングごとき下流の作業は単価の安いやつにやらせるという方針です。 明らかに間違って
1ヶ月ほどまえに、私はシリコンバレーを訪れたのだが、そのときサンフランシスコの本社で Twitter の採用面接を受けてきた。結果は残念、ということだったのだが、その経緯について書いてみようと思う。 なぜ Twitter 社の面接を受けたのか。7月の終わりころ、私はシリコンバレーで働くにはどうすべきなのか、ということについて頭を悩ませていた。考えながらぼうっと Twitter のタイムラインを眺めていたのだが、Twitter が日本人エンジニアを求人しているという情報が飛び込んできた。おお〜、と思って軽い気持ちで職務経歴書を Twitter に送ってみたのだ。 相当数の人たちが職務経歴書を送ったはずだし、私は書類選考で落とされると高をくくっていた。ところが、数日してTwitter の人事担当者からメールがあり、電話面接をやるからいつがいいか?という。まさかの展開に私はやや慌てた。電話面接を
パラダイムを学ぶことと、実際にデリバリーすることとのバランスについて。あるいは転職報告。 導入 8月1日にグロースエクスパートナーズ株式会社に入社しました。人生で2回目の転職となります。入社してまもなく一ヶ月が経とうとしていますので、本日はその報告を。ブログ、翻訳、プレゼンに続く舞台裏記事の第4段ですね。私とは違う物事のとらえ方をする方々も多くいらっしゃることは重々承知しておりますし、それを批判するものではないこともあらかじめご了承ください。 転職をした理由 私が7月まで勤めていたのは、いわゆる「ITゼネコン」と呼ばれる元請けSIerでした。開発の実務は協力会社さんにお任せしつつ、自分はメールと打ち合わせに埋もれる日々を送っていたわけです。要件定義から保守まで一通り経験できたという意味で学ぶこともありましたし、アーキテクチャ策定やデータモデル設計のようなことも隙を見てやっていたことは事実で
2011年7月25日付けで、アマゾンデータサービスジャパンに入社しました。 初めてAWSに触れたのが、2009年でした。まだManagementConsoleがなく、コマンドラインやFireFoxのプラグインでEC2のインスタンスを操作していました。 初めてEC2インスタンスが立ち上がった時は、新しい時代の到来を感じました。 「これがクラウドか」と。 それから自社でAWSを利用をしながら、新しいサービスが出るたびに感心し、ユーザーグループの活動を通じて知識を得るごとに、AWSへの興味が増えて行きました。それと同時に、みんなこれを使ったら楽になるのにな、と考えていました。 今回AWSを提供する側になったのも、こういう経験や想いがあってのことです。 私は元々ソフトウェアの仕事がメインであったため、AWSというインフラを提供する仕事になることについては、不安がなかったとは言えません。ただ、AWS
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