ブックマーク / www.rpgjapan.com (21)

  • シーンを説く前の基礎知識 - 卓上RPGを考える

    鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など。ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバック(またはメールでのお知らせ)を頂ければ、別エントリーでお返事いたします。 主に紙魚砂さんの「シーンのアクセス構造(1)」「同(2)」「同(3)」に触発されて、時間と空間との処理方法についてまとめます。これらを知っているか否かは、「シーン」の考察に影響するのではないか、と思いましたので。 卓上RPGにおいて、ゲーム内の時間と空間とを扱うために、二つの処理方法があります。そのひとつ「単位による処理」は、時間や距離などを計測しながらゲームプレイを進める方法。もうひとつ「場面による処理」は、より大雑把な「場面」として示す方法です。 「単位による処理」「場面による処理」 「単位による処理」で用いられる単位は、様々です。時間を示す単位には、時分秒などの他、ターンやラウンドな

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    inouekari 2010/02/13
    全般:シーン制の御話
  • 自由なミステリーを遊ぶ - 卓上RPGを考える

    鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など。ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバック(またはメールでのお知らせ)を頂ければ、別エントリーでお返事いたします。 ダンジョン、ワイルダネスと来たら、最後は「シティ・アドベンチャー」。戦闘行為が公然としては認められていない街中などで、専ら情報収集のための行動を楽しむものです。近現代を舞台とするゲームシステムでは、しばしば基となる設定です。 その中でも特に、推理小説風の謎解きを扱う「ミステリー・シナリオ」の運用について考えてみます。シナリオの中心となる事件が、殺人、盗難、誘拐、脅迫など、どんなものであれ、「自由なミステリー」は次のような構成となります。 事件 : 既に発生したか、これから発生する(かも知れない)犯罪と、そこに生じる「謎」。人物 : 事件の被害者と加害者、(自覚の有無に関わらず)手掛かりを

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    inouekari 2008/06/16
    全般:ミステリー・シナリオの御話
  • 論考をどう評価するか (卓上RPGを考える)

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    inouekari 2007/12/13
    全般:論考の評価と批判と批難の御話
  • 論考を書くのは楽しい (卓上RPGを考える)

    考え、書くことは楽しい。自分の論考を公開し、他者の考察に影響しうる機会を得ることは楽しい。他者の論考を読み、自分の考察の材料とすることは楽しい。 楽しいから書く。楽しいから読む。私にとってはそれで十分です。

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    inouekari 2007/12/07
    全般:TRPG論考の意義
  • 論考は役に立たない (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) 論考とは、その論者の考察を、不完全ながら文章化したものです。その背景には必ず、論者その人の実践経験が存在します。(何らの経験も無しに論考を書けるような天才は、いたとしても私の想像を超えているので、考慮に入れません。) 論考の読者は、その論者(=他者)の経験や考察を、やはり不完全ながら、知ることができます。知ったというだけで、それを活用できるわけではありません。他者の経験と考察を活かすためは、自分自身の経験を礎としての考察が、そして大抵は試行錯誤も必要です。 考察によって、自分の過去の経験と考察に、他者の経験と考察を影響させることができた時、それらを次の実践に活かすことができるのです。もちろん、

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    inouekari 2007/12/07
    全般:役に立つ論考などというものは無いが、論考が役に立つ可能性は常にある、という御話
  • 「自由」を、「スタンドプレイ」に喩える (卓上RPGを考える)

    前回と同様、今度は「自由」を喩えるセリフを、やはりアニメ作品から見つけました。二件ともそうなったのは偶々で、馴染みの無い方には分かり難くて恐縮ですが。 こちらは「攻殻機動隊」からの引用。 我々の間にはチームプレイなどという都合の良い言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ。 (攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX The Laughing Manより) この「スタンドプレイから生じるチームワーク」こそ、私が考える「卓上RPGを自由に遊ぶ」ことにイメージの近いものです。ゲームマスターやプレイヤーが各々「自分が面白いと思う」ように遊ぶ「スタンドプレイ」から、その「チームワーク」としてゲームプレイが生じる、ということですね。 対する「チームプレイ」が「管理」に相当します。ゲームでも仕事でも「管理」のメリットのひとつは、過程や結果において「都合の良い言い

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    inouekari 2007/11/15
    全般:TRPGにおける自由の御話
  • 井上純弌氏が説く「自由」の誤解 (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) アルシャードガイアRPGサプリメント『エブリデイマジック』の序文で、井上純弌氏は「シナリオクラフト」という遊び方を「自由なTRPG」と評しています。しかし私は、そもそも彼が説く「自由」にひどい誤解がある、と考えています。 以下、序文「Dream Comes True」から引用しつつ、その誤りを正してまいります。まず、冒頭の一文。 昔々、「TRPGは自由な遊びである」と、言われた時代があった。 何をやってもいい。やらなくてもいい。シナリオはおろか、ゲームマスターの準備もなにもなく、ただそこに街や平原があり、なにもないところにキャラクターが居るだけでいい。 それが自由。それこそがTRPGである。

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    inouekari 2007/10/02
    全般:自由なTRPGについての御話
  • 制限の中の自由、制限の中の管理 (卓上RPGを考える)

    ggincさんにトラックバックをいただきました。有難うございます。 議論のネタとしては適切だったらしい (ggincさん、GOD AND GOLEM, Inc. -annex A-) 後半を拝読するのを楽しみにしていますが、取り急ぎ「自由」やら「意図」やらについて。 まず、私が言う「自由」とは、「制限」が無い状態ではなく、「管理」が無い状態のことです。「制限」は常にありますが、それをどう解釈し、どう用いるのかが、各自の「自由」となるわけです。 卓上RPGゲームデザインにおいて、あらゆるルールシステムや世界設定は「キャラクターへの制限」です。それらをデザインする際、「これらをどう使えば楽しめるか、こう用いると面白いだろう」とは、ゲームデザイナーの誰もが想定するでしょう。それ以上考えないデザイナーも少なくありませんが、更に進めて「これこそ正しい使い方である、この通りに遊ばれるべきだ」という結

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    inouekari 2007/09/20
    全般:ゲームデザイナーの意図と、ゲームマスターの意図についての御話
  • 導入部の「進化」 (卓上RPGを考える)

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    inouekari 2007/07/19
    メカニズム:導入部をサポートするシステムが、どのような背景から何を目的として生まれたのか考察した御話
  • 導入設定三種 (卓上RPGを考える)

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    inouekari 2007/07/13
    全般:導入部で各プレイヤーキャラクターに与えられる設定の難易度について
  • 情報収集の「進化」 (卓上RPGを考える)

    inouekari
    inouekari 2007/07/09
    GM:情報収集の御話
  • 「楽しむ」から「楽しませてもらう」へ (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) 卓上RPGを遊ぶのは、「楽しむ」ためである、と答えない方はおそらくいないでしょう。しかし、その各々が言う「楽しむ」という語が意味するところは、必ずしも同じではありません。 ここでは「楽しむ」の内容を、「皆で楽しむ」、「自分が楽しむ」、「楽しませてもらう」の三つに分けて、考えてみます。 「皆で楽しむ」とは、多人数が参加する遊戯やスポーツに特有の楽しみ方です。ここでの楽しみの主眼は、参加者同士の交流にあります。卓上RPGで言うと、(ゲームマスターを含む)全プレイヤー同士での和気藹々とした団欒に重点が置かれ、ゲームシステムやシナリオ、キャラクターなどはそのための道具という役割を果たします。やり取りそ

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    inouekari 2007/06/27
    全般:TRPGにおいて各々が言う「楽しむ」という語が意味するところは必ずしも同じでは無いという御話
  • 誰が「FEARシステム」を嫌うのか - 卓上RPGを考える

    久々の論考レビューは「FEARシステム」について。 ここでいう「FEARシステム」とは、「シーン制」「シーンPL制」「ハンドアウト」「ゴールデンルール」などのFEAR製RPG特有の技法を組み込んだルールシステムのこと。取りあえず以下の四論考を拝読しました。 FEARシステムを批判する前に、全てのTRPGユーザーは自省すべきだと思う (hige_gunさん)F.E.A.R.製品に関する建設的なコメント (ggincさん=高橋志臣さん)書く予定まとめの、1.FEARゲーの功罪分析 (紙魚砂さん)こんなにリアクションがあろうとは… (再び、hige_gunさん) 「批判」とは来、良いところも悪いところも取り上げて考察することですが、ここでは「低く評価する」「嫌う」という意味でしょう。そこで、「FEARシステム」がどのような者から嫌われるのか、私の考えを示すこととします。 まず「FEARシステム

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    inouekari 2007/06/11
    FEAR:いわゆる狭義のFEARゲーについての御話
  • 反省の意味と、殴り合う反省会 (卓上RPGを考える)

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    inouekari 2007/04/18
    全般:反省会についての御話
  • 殴り合う卓上RPG論 (卓上RPGを考える)

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    inouekari 2007/04/07
    サイト論:自分の正直な意見を示し異なる意見と闘わせる人と、それを忌避する人との、姿勢の違いについて
  • 脳内のFEARゲーマー - 卓上RPGを考える

    inouekari
    inouekari 2007/03/07
    FEAR:カテゴライズが行われた際は、名称ではなく、名が指すものを見なくてはならないという御話
  • 「プレイヤーシーン」について (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) 私の経験を下敷きに述べると「プレイヤーシーン」というアイデアは、プレイヤー主導型プレイの復権を狙うものであり、またそれをゲームマスター主導型プレイにおける変革と同様の手法によって成し遂げようとする試みです。 昨今「シーン制」と呼ばれているプレイ方式では、ゲームマスターが主導的に「場面」を設定し、プレイヤーがそれに応じるのが基形となっています。信じられない話かもしれませんが、こういうやり方はかつては、悪いプレイテクニックとして嫌われていました。「マスターシーン」(PCが誰も登場しない場面)に至っては、独り善がりな吟遊詩人マスターの自己陶酔と忌避されたのです。それらを好む者もいましたが、肩身の狭

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    inouekari 2007/02/14
    全般:PLシーンは先祖返りではなく、新旧の流れを受け継ぎつつ、そのどちらとも違う新世代が始まる可能性があるという御話
  • 「探索者」の能力データを解釈する (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) 「クトゥルフ神話TRPG」のルールシステム解釈2回目は、プレイヤーキャラクター(探索者;Investigator)の能力について考えてみます。私の解釈では「キャラクター作成ルール」と「成長ルール」とが主たる論点となり、先の「D100ロール」よりは大きくゲームシステム特有のものとなります。 各ルールの説明は省きまして、その「特徴」は次の通り。 1、無作為に決まる能力値は一部を除いて重要度は低く、より重要な技能値は任意に決定できる。 2、作成時は「人並の能力」であり、成長後も(原則として)「人並の能力」を超えることはない。 3、キャラクター間で、性格付けによる能力格差は大きいが、成長による格差は小

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    inouekari 2006/11/18
    クトゥルフ:探索者のデータをもとに、システムの特徴を考察する御話
  • 「D100ロール」を解釈する - 卓上RPGを考える

    鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など。ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバック(またはメールでのお知らせ)を頂ければ、別エントリーでお返事いたします。 ゲームシステムから「遊戯法」を読み取る際の三つの注意点に留意しつつ、具体例を挙げてまいります。 やはり最初は慣れたところで「クトゥルフ神話TRPG」の、「ルールシステム」から三つ、何れかの「世界設定」からも三つの題材を挙げ、その「特徴」や「向き不向き」について考えてみましょう。その後、別のゲームシステムを用いるかどうかは一段落ついてから考えます。 まず、行為判定ルールである「D100ロール」。これは、技能値などを百分率(%)で表わし、1~100の目が出るサイコロ(D100)でそれ以下を出せば成功、そうでなければ失敗とするものです。ここでは「00(=100)は常に失敗」というくらいで、オプシ

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    inouekari 2006/11/13
    メカニズム:D100の特徴と、向き不向きの考察
  • 「デザイナーの意図」を信じるな (卓上RPGを考える)

    卓上RPGを考える 鏡(kagami@rpgjapan.com)が卓上RPGについて考えたこと、など (ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。) ルールブックから「遊戯法」を定める際の三つの注意点、その残る二つについて。 第二の注意点は、「デザイナーの意図」を信じるな、そういう概念を盲従するな、ということです。 デザイナーが某かの世界観をもって「ルールシステム」や「世界設定」を創っているのは確かですが、「シナリオをこういう展開にさせよう」とか「プレイヤーにこういうプレイをさせよう」とかの「意図」は必ずしも込めていません。込めているデザイナーもいるでしょうが、そうだとしても次のような難しさがあります。 1、どのルール/設定に「意図」が込められており、どれに込められていないかは分からない。 2、込められていたとして、その「意図」が正確に表現

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    inouekari 2006/11/07
    全般:デザイナーの意図や、リプレイのプレイスタイルに盲従することなく、自分が面白いと思うものをやればよい、という御話