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思想に関するirbsのブックマーク (54)

  • [1]日本保守主義の系譜とその漂泊 - 五野井郁夫|論座アーカイブ

    における近代保守主義は、思想伝統としても政治的伝統としても、安定した実体を形成しなかった。〈中略〉近代日の国家理性の中には、保守の原理を容れるようなゆとりがなかった。それはもっぱら権力原理にもとづく反動の機能をいとなむ場合にのみ、公認の役割を認められるという形になった。保守はある意味での権力原理に対する反対物であり、権力の発動形態としての反動とは来結びつかない。しかし近代日が明治開国にさいして選びとったものは強力国家という権力原理であり、保守と反動の区別は社会的実体と結びついて理解されるような条件がなかった。(橋川文三「保守主義と転向」『共同研究 転向 5』東洋文庫、平凡社、2013年、413頁 *初版は1959年) 2000年代に入ってから急速に日で意味が軽くなった言葉のひとつに「保守」というものがある。 政治学で保守主義といえば、政治制度が制度疲労して変更せねばならない場合

    [1]日本保守主義の系譜とその漂泊 - 五野井郁夫|論座アーカイブ
  • ウィトゲンシュタインは究極のミニマリストか /「ウィトゲンシュタインの建築」 - アーキペラゴを探して

    1. ウィトゲンシュタインの建築とは 90年代後半には閉店していたと思うが、西部美術館の横に「アール・ヴィヴァン」というアート系書店があり、アール・ヴィヴァン叢書というB4版の冊子を出していた。各冊子は決まったアーティストやムーブメントを特集し、16号は『ウィトゲンシュタインの建築』だった。 アール ヴィヴァン16号 特集:ウィトゲンシュタインの建築 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの命題はあまりにも有名である。この言葉が含まれる『論理哲学論考』の草稿は、第一次世界大戦に従軍しながら書かれたと言われている。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia この冊子は、ウィトゲンシュタインが設計した実姉の家(ストロンボウ邸)について書かれた内容である。著者はバーナード・レイトナー。日語訳は建築家の磯崎新氏。表紙に書かれている説明の引用。

    ウィトゲンシュタインは究極のミニマリストか /「ウィトゲンシュタインの建築」 - アーキペラゴを探して
  • 道徳を「特別の教科」に 中教審が答申 NHKニュース

    中教審=中央教育審議会は、道徳教育の充実に向けて、小中学校で教科とは別の枠組みで授業が行われている道徳を「特別の教科」と位置づけたうえで、国の検定を受けた教科書を導入することや、児童生徒を記述式で評価することなどを下村文部科学大臣に答申しました。 中教審=中央教育審議会は、下村文部科学大臣の諮問を受けて、ことし3月から道徳教育の充実に向けて議論を行い、21日の総会で下村大臣に答申しました。 答申では、小中学校で週に1回程度、教科とは別の枠組みで授業が行われている道徳について、「学校や教員によって指導の格差が大きい」などとして、「特別の教科」と位置づけて教育の内容を改善する必要があるとしています。 そのうえで、現在は、文部科学省が作成した教材や民間の教科書会社の副読などの中から、各学校が選んで授業で使っているのを改め、新たに国の検定を受けた教科書を導入するのが適当だとしています。 また、児

    irbs
    irbs 2014/10/22
    フーコーあたりの権力論と平行して教えるならいいよ(遠い目)
  • n11books.com

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  • 『レトリックと人生』はスゴ本

    今年一番どころか、人生ベスト10に入る一冊。 「人は、どのように世界を理解しているのか」について、納得のゆく結論が得られる。"理解"を理解することができ、メタ的な知見が手に入る。知覚とは、経験のフィードバックループで構築されたパターンを通じて世界を追認識する行為だと考えていた。だが、まさか"理解"そのものも同じ仕様であるとは思わなかった。ヴィトゲンシュタインからピンカーまで、これまで読んできた名著のみならず、わたし自身の体験と照応し、腑に落ちる。書を読むことそのものが、驚きと興奮に満ちた知的冒険となった。 その仕様こそが、レトリック(原題ではメタファー/隠喩)だ。人は、メタファーを通じて世界を理解している、というのが書の主旨になる。メタファーは、単なる言葉の綾ではなく、認知や思考が基づいている概念体系の質を成している、"理解"の器官なのだ。 たとえば、「時間」という概念。24時間とか

    『レトリックと人生』はスゴ本
  • 「科学者の自由な楽園」が国民に開かれる時―STAP/千里眼/錬金術をめぐる科学と魔術のシンフォニー - Nagazu-monologue

    『現代思想2014年8月号-特集・科学者 科学技術のポリティカルエコノミー』に掲載された中尾麻伊香さんの論文を読みました。理研という「科学者の自由な楽園」は、国民との危うい関係の上に成り立っていたとも言えるのではないでしょうか。 中尾麻伊香「「科学者の自由な楽園」が国民に開かれる時―STAP/千里眼/錬金術をめぐる科学と魔術のシンフォニー」『現代思想』2014年8月号所収 現代思想 2014年8月号 特集=科学者 -科学技術のポリティカルエコノミー-posted with amazlet at 14.08.01小柴昌俊 中村桂子 佐藤文隆 野家啓一 塚原東吾 美馬達哉 金森修 近藤和敬 榎木英介 粥川準二 青土社 (2014-07-28) 売り上げランキング: 4,499 Amazon.co.jpで詳細を見る 千里眼事件 超能力者・御船千鶴子、そしてその「能力」の科学的な裏付けを目指した東

    「科学者の自由な楽園」が国民に開かれる時―STAP/千里眼/錬金術をめぐる科学と魔術のシンフォニー - Nagazu-monologue
  • エピソード - 視点・論点

    ことし6月に成立した子ども・子育て支援法などの改正法。長年にわたって子育て家庭の支援を行ってきたNPOの目線で、今の社会に必要な支援とは何かを考えます。

    エピソード - 視点・論点
  • ポール・へガティ | ele-king

    ノイズの病がすべての音楽を浸してから、唯一の希望ある道筋といえば、ノイズの細菌がチーズのバクテリアのように、善良な微生物であるということだ。そして、次のように考えることができる。ノイズは音楽的な健忘状態を生み出す代わりに、これまで聴き手には隠されてきた歓びをもたらすだろう。すべての音楽に存在しているものとはいえ、ノイズの要素は人類にとってのセックスのようなもので、その生と存在にとっては不可欠だが、言及するのは無礼にあたり、無視と沈黙によって覆い隠されている。それ故、音楽におけるノイズの使用はほとんど意識されず、また、議論されてこなかった。おそらく、これは和声や旋律のように深く議論される要素ほどには発展してこなかったからだと思われる。 ──ヘンリー・カウエル「ノイズの歓び(The Joys of Noise)」(1929)より ノイズをチーズのバクテリア、つまり俗にいう善玉菌になぞらえた、

    ポール・へガティ | ele-king
  • もう『ロボット大国日本』が幻だと思う3つの理由 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

    ■オバマ大統領を迎えるASIMO 18年ぶりの国賓として来日した米国のバラク・オバマ大統領は、日科学未来館を訪問して、 ホンダの二足歩行型ロボットASIMOから歓迎の挨拶を受けたというニュースは、大統領の来日中の微笑ましいエピソードとして繰り返し報道されていた。ASIMOは愛嬌たっぷりに英語で挨拶し、走ったりとんだり、ボールを蹴ってみせた。ASIMOは、ロボット大国日の大使として、従来から欧米をまわり、アメリカディズニーランドでも人気があるという。米国大統領来日ともなれば、お迎えに登場するのも当然ということになるのだろう。 だが、正直なところ私は、このニュースを見て非常に複雑な気持ちが湧き上がるのを禁じ得なかった。もしかすると、何年か後に振り返った時、今回のASIMOのオバマ大統領への応接は、かつて世界にその名を轟かせた『ロボット大国日』の最後の花道、最後の晴れ舞台であったと、時々

    もう『ロボット大国日本』が幻だと思う3つの理由 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
  • 「考え方」について考えてみる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「考えるとはどういうことか?」それについて考えることが僕にはよくあります。 「考えるとはどういうことか?」と考えることで、何かを考えるための方法が明らかになることがあるからです。 だから、「考えるとはどういうことか?」を考えるのは、自分自身がうまく考えられていないなと感じるときや、他人がうまく考えられていないなというのを目の当たりにするときだったりします。 ▲この記事では、この2冊が登場するよ うまくいかないから、その理由を自省する。 それって何かを改善するためにはごくごく普通の行為だと思います。 それを踏まえると、考えることがうまくいかない要因の1つが「考えるとはどういうことか?」ということを考えようとしない姿勢にあるということもできるはず。自分自身の考えるという作業のや

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  • 究極の自己肯定は肯定も否定もせず『“ありのまま”の自分に気づく』こと - ぐるりみち。

    “ありのまま"の自分に気づく (角川SSC新書) posted with ヨメレバ 小池 龍之介 KADOKAWA/角川マガジンズ 2014-01-10 Amazon 楽天ブックス 小池龍之介さんの著書『“ありのまま"の自分に気づく』を読みました。 一口に言えば、他者からの「承認」 に一喜一憂せず、善でも悪でもなければ何者でもない、ただの自分、“ありのまま”の自分を受容しようという内容。たびたび話題にも挙がる「自己肯定感」という言葉とも関連の強い、興味深い一冊となっています。 自己承認は成り立たない 書は全4章構成。その第1章「承認について」の序盤で、住職である著者は、「自己承認は成り立たない」と断言しています。それはなぜか。 老子や荘子の老荘思想の中には、自分が立派になったことを口で言うとか、自分がエコな生活をしていて自然な生活をしているということを口に出して言いたがる時点で、それはも

    究極の自己肯定は肯定も否定もせず『“ありのまま”の自分に気づく』こと - ぐるりみち。
  • 世界に影響を与えた100冊の本&文書をリスト化するとこんな感じ

    by Flickr: David Blackwell.'s Photostream 何十年・何百年と1冊のが読み続けられることは非常にまれなことですが、一方で今もなお読まれているも存在します。「軽い読書にオススメ」とは言えませんが、聖書やシェイクスピアから「ベルゼバブの孫への話」といった聞き慣れないものまで、「人類の歴史に大きな影響を与えた」という観点で選ばれた&文書をまとめたのがマーティン・セイモア・スミスのThe 100 Most Influential Books Ever Written(世界を変えた100冊)です。海外での書評としては、このリスト自体が人文学のイントロ・入り口としてはよくできているので、原著に当たるべしとなっているものが多くなっており、これら100冊を入手して読破すればある種の達成感が得られるだけでなく、もっと違う価値を自分自身にもたらしてくれるはずです。

    世界に影響を与えた100冊の本&文書をリスト化するとこんな感じ
  • 映画「ハンナ・アーレント」レビュー、思考し続ける大切さと意志の強さ

    ハンナ・アーレントの提唱した「悪の凡庸さ」は、20世紀の政治哲学を語るうえで大変重要なものです。人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではない、思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結として起こったとするこの論考は、当時衝撃を持って受け止められました。凡庸な人間がそうした悪になり得るということは、人間は誰でも思考を放棄すればアイヒマンのようなことをしでかすかもしれない。その可能性を考えるのは怖い。なので人はその可能性に眼をつぶり思考停止してしまいたくなる。しかし「悪の凡庸さ」が突きつけるのは、人間と非人間と分け隔てるのは思考することであるとします。 映画「ハンナ・アーレント」は、アーレントがアイヒマン裁判を膨張し、「エルサレムのアイヒマン」を発表し、ユダヤ人の友人やコミュニティから非難されても、思考を止めずに主張を続ける彼女の姿を通じて、思考することの重要

    映画「ハンナ・アーレント」レビュー、思考し続ける大切さと意志の強さ
  • 文庫でここまで読める、フランス現代思想の90冊

    今年の2月に、岩波文庫の青帯で西洋思想がどこまで読めるかというリストを作った。 ここまで読める、連れて歩ける→岩波文庫青帯で読める西洋思想の基書70冊 読書猿Classic: between / beyond readers それから、その時(青帯故に)落っこちた社会科学系の古典について(岩波文庫に限定せず)文庫でどこまで読めるかというリストを先週作ってみた。 文庫でここまで読める、社会科学の古典150冊 読書猿Classic: between / beyond readers そうしたら、なんとなく予想はしてたのだが、「フランス現代思想が入ってない」というクレームが来た。 誰かがとっくにやっているような気がしたのだけれど、そうでもないようなのでリスト化してみる。 「フランス」現代思想なので、フランクフルト学派やガダマーやサイードはご遠慮願った。 カンギレム(1904 - 1995)のよ

    文庫でここまで読める、フランス現代思想の90冊
  • (コメント欄)共産党は癌なのか - 紙屋研究所

    参院選の結果を受けての、東浩紀のこの発言。 共産党は日の癌だ。共産党の主張が悪いというのではない。絶対に為政者にはならないという安心感のもとに、為政者への不満だけを吸い上げる党という存在がある、その事実が日政治をひどく損ねている。共産党の批判は決してぶれないから、そこに不満が流れ込む。でもそれはなにも変えないのだ。 https://twitter.com/hazuma/status/358984438501224448 Twitter / hazuma: 共産党は日の癌だ。共産党の主張が悪いというのではない。絶対 ... この人が、どうして政治的な迷路にハマリ込んでいってしまったのかがわかる。前から言ってるけど、東は自分なりに何か切実な問題(保育園をふやして、とか、生活保護を切り下げないで、とか)をかかえて政治にかかわってみれば、「『共産党はなんでも反対だから』みたいな居酒屋談義を

    (コメント欄)共産党は癌なのか - 紙屋研究所
  • 岡﨑乾二郎さん、多木浩二さんについて考える その2

    建築と日常/出版長島 @richeamateur 多木さんの活動は幅広いと言われますが、80年代に崇高という概念に向かったことが、その後の多木さんの活動全般を規定(象徴)するような出来事だったということでしょうか? というのは… @kenjirookazaki 建築と日常/出版長島 @richeamateur 『多木浩二と建築』の坂一成さんへのインタヴューでは、篠原一男のクライマックス的表現から坂一成のアンチクライマックス的表現へ、多木さんの関心が移っていった(70年代後半)という見立てだったのですが、それは崇高への接近とはベクトルが逆な気がします。 @kenjirookazaki おかざき乾じろ @kenjirookazaki @richeamateur 前提確認として。当時喧伝されたポストモダニズムは端的にモダニズムの失敗=敗北を意味するもののはずでした。モダニズムが失敗したのであ

    岡﨑乾二郎さん、多木浩二さんについて考える その2
  • 本の記事 : 浅田彰「構造と力」 マルクスをポップ化 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    難解なはずの現代思想家の理論を明快に整理した『構造と力』が、1983年に出版された。ベストセラーとなり、既存の学問領域にとらわれないニューアカデミズムの「聖典」の一つに。簡単に読めるではないはずなのに、が醸し出す軽やかな雰囲気に多くの人がひかれた。実は、著者の浅田彰がヒントにしたがある。 ◇ 僕が26歳の時のです。当時は現代思想といってもすべてがごた混ぜだったので、それさえ頭に入れておけば知の世界を自由に渉猟できるような明快な地図が描きたかったんですね。 そのためには哲学的な正確さを多少は犠牲にしてもいい。そもそも僕は哲学に興味がなかったんです。マルクスの言ったように、哲学は世界をさまざまに解釈してきた。観念論か唯物論か、解釈はどうにでも変更できる。しかし大切なのは世界を変革することなのだ、と。そのためには、現実に対するクリティーク(批評・批判)や、別の現実を構想するビジョン――そ

    本の記事 : 浅田彰「構造と力」 マルクスをポップ化 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
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