11月23日(勤労感謝の日)は、美術館巡り(国立西洋美術館、江戸東京博物館)と映画(bunkamuraル・シネマ2)で“アートな1日”を過ごしましたが、今更ながら驚いたことがあります。それは、この“アートな1日”から、やはり「美しい国」というプロパガンダ一色に覆われた今の日本が“巧妙にカムフラージュされた第二次世界大戦前のファシズム体制への回帰のプロセス”であり、そこで行われているのが“実は多くの善良な国民層の真の期待に背く、欺瞞に満ちた政治手法(=暴政)である”ことが見えてきたことです。 [ベルギー王立美術館展] 国立西洋美術館(主催:読売新聞社、国立西洋美術館、ベルギー王立美術館) ●なお、この部分については関連記事[toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブラッセル編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2
Claude Gerstle, subject of an Impact Film Festival documentary on stem cell research, being shown during each party’s national convention Now that we’ve shifted from the athletic Olympics to the political olympics, it’s time to peruse Barack Obama‘s Platform in Support of the Arts (see P. 3). It’s pro-arts education and also favors a budget increase for the National Endowment for the Arts. But her
この夏、代官山のヒルサイドフォーラムにて、憲法第9条と戦後美術をテーマにした注目の美術展「アトミックサンシャインの中へ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」が開催されます。 インディペンデントな企画でありながら、著名アーティストも参加し2ヶ国を巡回するという試み、そして美術展としてストレートに掲げられることのなかった挑戦的なテーマについて、主催者であるニューヨーク在住の日本人キュレーター渡辺真也氏と、出品作家のひとりである照屋勇賢氏にお話しをうかがいました。 【政治的にではなく、美術でコミュニケーションをしている】 橋本誠(TAB/以下・橋本):まず、このように意欲的な展覧会の実現へと渡辺さんを突き動かしている動機を教えていただけますでしょうか。 渡辺真也氏渡辺真也(以下・渡辺):なぜ美術展という形態でやっているのか、という問いに関しては、こういった難しいテーマは、2ヶ国であれ、他国間
הקשר שבין קפה ובריאותחלק גדול מהאנשים, לפחות בעולם המערבי, פותחים את הבוקר עם כוס קפה ושותים עוד לפחות שתיים- שלוש כוסות שכאלה במהלך היום. לא מעט עושים זאת בתחושה של רגשות אשם כי הם שותים משקה שאינו מיטיב עם בריאותם, אך האם הדבר באמת נכון? אמנם במחקרים שנעשו בשנות העשרים של המאה הקודמת אכן עלו חסרונותיו של המשקה לבריאות אך מאוחר יותר, בשנות השמונים נמצאו גם יתרונות רבים. כמו בכל דבר בחיינו- הכל שא
学生だったころ、しりあいから きいた はなし。 そのひとは 哲学科の 学生で、高校の倫理の教員免許をとるために、教育実習に いったのでした。たしか、カントかなにかを つかって、「自由とは なにか?」というようなテーマで、授業をやったんだそうです。 かのじょが いうには、実習さきの教師に「自由」についての授業をやりたいという計画を はなしたら、あらかじめ くぎをさされた、と。そのせいで、どうやって授業をくみたてたら よいものか、こまっちゃったよ、ということでした。 その実習さきの教師の いいぶんとは こうです。「とくに高校生たちのなかには、自由の いみを はきちがえるものが おおい。他人に めいわくを かけるのも自由だ、という あやまったかんがえを もっているものも すくなくない。だから、授業は きほんてきに あなたの やりたいように やっていいけれども、『自由には責任がともなうこと』また『
天漢日乗さんの秋葉原通り魔殺傷事件(その9)「加藤の乱」就職氷河期世代の叛乱→追記あり: 天漢日乗を読んで強烈に嫌な予感がしたのでエントリを書く。以下、元記事からの引用とそれに対するコメント。 394 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/13(金) 16:28:25 id:VMN+L9H90 俺派遣で働いてるけど 月曜以降、上司が派遣を「くん/さん」付けで呼び始めた 473 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/13(金) 16:37:17 id:Mkvn6oqv0 >>394 一例とはいえ驚いた 本当にテロの効果が出てるんだな・・・しかも即効で 結局テロしかなかったってことだな 職場環境が改善されるのは良いことだが、秋葉原無差別殺傷事件がきっかけというのは非常に危険。海外のテロで政府がテロリストの要求を原則のまないのと同じ理由だと思う。 http://www.asa
アルファブロガー・アワードで知られるAMN(アジャイルメディア・ネットワーク)さんが、本日、「ブログと税金」をテーマにブロガーミーティングを行うということをkimutax先生から教えていただき、ブロガーミーティングというものに初めて参加してきました。 (私、毎日読ませていただいているアルファブロガーさんのブログが3つほどございます。) 日本財団笹川会長のブログで笹川会長がたばこ税増税案をうったえたところ、かなりの反響(賛否両論)があったことをきっかけにこのブロガーミーティングが企画され、そのサブタイトルは「〜たばこ一箱1,000円を考える〜」というものでした。 テーマがテーマですし、私が知る限り、税理士でブロガーという方もかなり多いので、税理士が何名か参加するだろうと思っておりましたら、参加者20名弱中、税理士は私一人だけ。 言うまでもなく、毎日税金のことを考えている税理士は税に強いわけで
■広告β:意志決定の謎 意志決定には、謎があると思う。 国家の意思決定といえば、政治が思いつく。 政治は意志決定の連続であるが、私の目から見ると、 「いったいなんでそんなことになるのか?」「この人達はおかしいのか?」 そんな決定を見ることも珍しくない。どうなっているのか? 頭がおかしいのだろうか?そんなことはないだろう。 クライアントのところへいく。クライアントも意志決定をしている。 とんでもないオリエンペーパーを渡されることがある。 なにこれ?一ヶ月かけて、これって・・・何も決まってないのでは? 迅速に意志決定の検討をする・・って何も言っていないのでは? クライアントは頭の弱い人なのか?そんなことはない。 意志決定には謎がある。外部から見ると、悪魔的な力が働いて、 どうみてもおかしい、変な意志決定が出力されているように見える。 おそらく、悪徳祈祷師がいるのだろう。 もしくは、古代中国に習
「youtubeに亡霊が出現する――オリーブ少女主義という亡霊が」 『オリーブ少女主義者宣言』 ネットの噂によると、オリーブに「憧れちゃうね、全共闘!」というアオリ文句が出現するほど、昔のオリーブ少女は革命的闘争心に溢れていたようです。そんな、革命的オリーブ少女主義者たちの姿を、youtubeという最新の科学技術を用い、現代によみがえらせてみました。 すべてのオリーブ少女諸君! われわれは、オリーブの廃刊、 言論弾圧に断固抗議する。 革命的少女雑誌、オリーブは 2003年に歴史的を廃刊を迎え 以降中央指導部を失ったオリーブ細胞は クウネル、夜カフェ、ロハス等に拡散し、 局地戦の中で乙女ヘゲモニーを奪取し、 その思想性を先鋭化させてきた。 体制順応的乙女精神の再生産を拒絶し 生活実践の中で精神性を主体的に構築してきた オリーブ・マインドの萌芽は 今確実に芽吹きの時を迎えつつある。 オリーブ少
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン ベネチア国際映画祭でグランプリと撮影賞を受賞した「ラスト、コーション」は、1942年の日本占領下の上海を舞台に、抗日運動の女スパイのタン・ウェイ、敵対する特務機関のリーダーにトニー・レオンを起用した話題作です。この映画から中国の世界へのアピール度を見てみましょう。 ヘルプのシホ 「いつも辛口の映画評を載せているニューヨーク・タイムズ紙が褒めていましたが、映画が終わった時客席はシーンとしていましたね」 お客様 「この映画は中国の映画の歴史が始まって以来の激しい性描写が衝撃だけど、中国がこの映画を使って世界に何をアピールしようとしているかを考えさせられるね」 夏樹 「抗日運動が背景にありますが、これまでの中国映画が執拗に描写してきた日本軍
詳細は改めて書く(次かその次)が、現在経済産業省の某大型プロジェクトに参画しており、その一環で個人情報保護と著作権について考えることが増えている。今回はそのうち後者について。 定まらない議論の位置づけ デジタル・コンテンツに関する流通の議論をあちこちで拝聴したり、私自身も議論に参加することがあるが、いつも思うのは「著作権行政や制度運用の座りの悪さ」である。もちろん参加する人の背景や背負う利益によって主張や志向が変わるのは当然だが、それ以前に「この議論は誰にために行っているのか、誰に働きかけるのが有効なのか」というところが定まりきらないように思う。 これはMiAUについても同じで、誰の利益のために誰を説得しようとしているのか、という前提条件が揺れてしまい、結果としてアピールのためのアピールに終始しているように見える、というのが正直な印象である。横から見ていて、彼らの動きに戦略・戦術の両方が感
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