最近全然日記書いてませんでしたが、結婚してました。具体的には新居への転居準備やってて、今日婚姻届出してきた形。 相手はid:narukami(@narukami)です。双方ともはてなー兼ついったらーなので、はてな婚&ついったー婚とも言えるわけですが。 落ち着いたらまた定期的に更新し出すと思います。

最近思うのが、昔から「読むのが好きな人」というのは”本”という強力な媒体があったから特に問題も無かったのだけど、それとは逆に「書くのが好きな人」はほんの最近のウェブサイトやらブログやらが出来るまでは「書く」と「読む」のバランスが「読む」側に非常に傾いていて、昔の世代はどうやってその辺りのエネルギー放出してたんだろうな、とか思ったり思わなかったり。*1あ、でも新聞や雑誌の投書欄とかがあるか。(ネットには適わんけど) というのも、自分が「書く」人間であって、これといった読書もしてないような青二才がそれを自覚しつつもWWWの片隅で偉そうな放言をしているのも、書くことに対して飢えがあるからであって、読むことに対する飢えではない。ただし、「読む」と「書く」とそもそも表裏一体であるから、どちらか片方をやっていればもう片方をやりたくなるのが人間であって、読書をこなよく愛する人間が書くことに対して興味が向
親父がよく「人は生まれてもひとり、死ぬ時もひとりだ」とよく言ってたんだけど、二日前に色々考えてもうちょいその辺りの理解が深まって吐き気がした。 基本的に他人の考えてることというのは自分は理解できない。でも人間というのは寂しがりやだから、言葉があり、さらには絵画や音楽や身体を使って何か伝えようとする。逆のケースもある。 で、「ああ、解った」ということになったとしても本当にそれを理解しているかどうか、という保証というか担保は全く無い。その人ともう1人とのその時の関係性というのは再現が不可能だからだ。それを再現するとなると、この世の全てを再現可能なコンピューターを宇宙の誕生から忠実にトレースして、その二人が生まれてから忠実にその人生の足跡を辿り、その二人が出会ってそのやり取りをするところまで忠実に再現しないといけないわけだ。そんなことは自分を含め、今この文章を見ている方々が生きているうちに実現で
そういえば最近ブクマがギリギリ付かないタイプの記事を書くケースを増やしている。 もちろんここの話で、誰にでもわかりやすく書いた記事というのはブクマが付きやすいのだけど、その分情報密度が薄くなる。で、情報圧縮せずに文章長めにするとこれまたブクマが付かないわけで、ブクマの付きやすい記事というのは「わかりやすくて文章短め」(あくまで「短文ではない」)というのが1つの指針*1になるのだけど、そんな文章ばっか書いてるわけにもいかんのだよねこっちは。やはりそういう文章ばかりだと少なくとも自分は飽きが来るわけで、ここ最近は「あまりブクマされない程度に情報圧縮された記事」というのを書いてみたりしてるんだけど、ブクマしてくれる方やスターを付けてくれる方がいつもと違って、タグやブクマコメントやブクマされてる状況を見て、「あー、なんかわかってくれてるな」という感じが非常に自分としては嬉しかった部分があり、100
案外ブログは個人の情報発信装置みたいに思われているけど、実はそれだけでもない。 ある程度注目されるような記事を書くことで、ブログを情報収集装置に変えることが可能。 自分の書いた記事に大きな反響があった場合、コメント欄やらトラックバックがどんどん集まり、中には「もっとこうしたら良いんじゃないか」とか「こういう話もありますよ」とか「(具体的で説得力のある根拠を述べて)この部分がおかしいのではないか。」という有益な意見をもらえたりする。確かに中には中傷に近いものや、批判のための批判とかも来たりするが、その類のものばかり見ていると暗黒面に落ちるのでなるべく見ないようにしていく。 アクセス解析等でリンク元を辿ることで、”自分の記事がどういう層から注目を浴びているか””またどんな扱いをされているか”という情報も得ることができる。*1 また、ツッコミを利用するというやり方もある。 ある方が、自分のよく知
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