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ひとと歴史に関するkabutomutsuのブックマーク (8)

  • ヒロシマ×ジェンダー×植民地主義 その交差点にある視点|広島にオープンした加納実紀代資料室「サゴリ」。韓国語で「交差点」を意味する名に込めた思いを主宰者に聞く|ゲスト:高雄きくえ(9/26)

    【ポリタスTV 9/26】 1️⃣ヒロシマで周縁化されてきたジェンダー 2️⃣「銃後史」を確立し「女性=被害者」に一石を投じ続けた被爆者/研究者の人生に学ぶ 3️⃣今年オープンの加納実紀代資料室「サゴリ」、その思いは 「ひろしま女性学研究所」主宰の高雄きくえさんに伺います。 【出演者】 高雄きくえ(ひろしま女性学研究所主宰/加納実紀代資料室「サゴリ」主宰) 小田原のどか(彫刻家・評論家) 宮崎園子(フリーランス記者) ポリタスTVの番組は次回放送日19時まで見逃し配信、それ以降は下記の有料アーカイブサービスにてご視聴ください。800以上の過去配信番組(一部ライブ配信番組を除く)がご覧いただけます! ご加入はこちらから→ https://youtube.com/PolitasTV/join 【ポリタスTV】 毎週 月~金曜 日時間午後7時より配信中! ジャーナリストの津田大介

    ヒロシマ×ジェンダー×植民地主義 その交差点にある視点|広島にオープンした加納実紀代資料室「サゴリ」。韓国語で「交差点」を意味する名に込めた思いを主宰者に聞く|ゲスト:高雄きくえ(9/26)
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/09/27
    素晴らしい番組だった。広島は豊かだ。。。
  • 「日本人妻たちも同じ戦争の被害者だから」 韓国人の反発にめげずに書き上げた博士論文:東京新聞 TOKYO Web

    慶州(キョンジュ)ナザレ園の日らの証言を記録したドキュメンタリー作家の金(キム)鐘旭(ジョンウク)さん(63)には、背中を押された存在があった。戦時中、日の炭鉱へ動員された経験がある父、商振(サンジン)さん(1923~2017年)だ。

    「日本人妻たちも同じ戦争の被害者だから」 韓国人の反発にめげずに書き上げた博士論文:東京新聞 TOKYO Web
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/08/08
    ドキュメンタリー作家の金キム鐘旭ジョンウクさん(63)。そのお父さん商振サンジンさん(1923~2017年)。サンジンさんは炭鉱に動員された。
  • 祖国日本を思い出させるから「ここは天国」 韓国に渡った日本人妻たちが「ナザレ園」で過ごす余生:東京新聞 TOKYO Web

    1945年の終戦前に朝鮮人と結婚し、現在の韓国へ渡った日らが晩年を過ごす社会福祉施設「慶州ナザレ園」が南東部の慶尚北道(キョンサンプクト)慶州(キョンジュ)市にある。両国の交流が深くなった現在は「日韓夫婦」も珍しくないが、彼女たちは日の植民地支配や朝鮮戦争など激動が続いた時代を生きた。入所者の大半が他界し、風化しつつある記憶に触れようと現地を訪ねた。(慶州市で、木下大資、写真も)

    祖国日本を思い出させるから「ここは天国」 韓国に渡った日本人妻たちが「ナザレ園」で過ごす余生:東京新聞 TOKYO Web
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/08/08
    慶州ナザレ園 宋美虎(ソンミホ)園長。涙が出るほど立派なひとだ
  • 探しています、祖母の生きた証を - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    よく晴れた、けれども風の冷たい午後だった。道端の落ち葉が舞うカサカサという音が妙に心地よい。早足で家に戻りポストをあけると、無造作に投げ込まれたチラシの間に、細長い茶色い封筒が挟まっている。手に取ると、紙が数枚折りたたまれているであろう厚みがあった。送り主は出入国在留管理庁(入管)だった。その瞬間、確信した。「祖母はもう、この世にはいないのだ」、と。 『もう一つの「遺書」、外国人登録原票』にも書いたように、私が中学2年生の時に、父が亡くなった。その後、戸籍を見る機会があり、そこで初めて父が在日コリアンであることを知った。父は自分のルーツや、自分の父母のことを、一切語らないままこの世を去ってしまった。家族と断絶していた父が、どんな生い立ちで、どんな幼少期を過ごしてきたのか、知る手立ては殆ど残されていなかった。戸籍に残された「韓国籍」という文字以上のことを、もう死者に尋ねることはできない。父の

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  • 摂津の利七 - Google 検索

    2020/04/07 · 利七は、江戸から摂津に向かう樽廻船(たるかいせん)「栄力丸」に乗船していた17人のうちの1人でした。船は嵐に遭い漂流しますが、米国籍の船に助け ...

  • ブーディカ - Wikipedia

    二人の娘とともにチャリオットに乗るブーディカの像。ウエストミンスター橋西端[1]。 ブーディカ(BoudicaまたはBoudicca、過去にはBoadiceaなどとの表記も。日語でもボウディッカ、ボアディケア、ボーディカ、ブーディッカ、ボアディシアなどと訳される。生年不詳 – 60年/61年?)は、現在のイギリス、東ブリタンニア、ノーフォーク地域を治めていたPケルト言語圏域のケルト人イケニ族の女王である。夫プラスタグス王の死に乗じて王国を奪った(少なくとも彼女はそう判断した)ローマ帝国に対し、数多くの部族を纏め上げ大規模な反乱を起こした。 60年から61年頃、ガイウス・スエトニウス・パウリヌス総督率いる軍がウェールズ北部のモナ島(現在のアングルシー島)で戦闘に当たっていた機に乗じ、ブーディカはイケニ族やトリノヴァンテス族らを率いて反乱を起こし、トリノヴァンテスの故地カムロドゥヌム(現在の

    ブーディカ - Wikipedia
  • ウォリス・シンプソン - Wikipedia

    ウォリス・シンプソン(Wallis Simpson, The Duchess of Windsor, 1896年6月19日 - 1986年4月24日)は、ウィンザー公爵エドワード(元:イギリス国王エドワード8世)の。「王冠を賭けた恋」として知られるこの結婚のため、エドワード8世は退位してウィンザー公爵となり、彼女もウィンザー公爵夫人(The Duchess of Windsor)となった。 生涯[編集] 生い立ち[編集] アメリカのボルチモアの一族ウォーフィールド家に生まれる。名ベッシー・ウォリス・ウォーフィールド(Bessie Wallis Warfield)。生後5ヶ月で父を結核により失ってからは、下宿を経営する母と2人きりの苦しい生活を強いられることとなるところ、幼少時代は、裕福な親戚の援助によって、良家の友人たちに囲まれて成長した。 その後、ボルチモアの社交界にデビュー。彼女は

    ウォリス・シンプソン - Wikipedia
  • 【地球人間模様】@ロシア「故郷喪失」- 47NEWS(よんななニュース)

    での情報活動などにより授与された勲章を着け、思い出を語るイリーナ・アリモワ。居間には父母の写真が飾ってある=モスクワ市内 1959年4月10日。東京は明仁皇太子と美智子妃の結婚パレードに沸き立っていた。50万人が詰めかけた沿道の最前列で、アジア系の上品な女性が、夫のカメラにほほ笑んでいる。 外国人夫婦がソ連国家保安委員会(KGB)の情報員とは誰も知らない。カメラの眼は、軽やかに駆け抜ける皇太子夫の馬車も鮮明にとらえた。 屋根を取り払った馬車と、若々しい皇太子夫は、高度成長期の希望の象徴だった。だが翌60年に安保闘争の嵐が吹き荒れる日は、東西冷戦の最前線でもあった。 半世紀後のモスクワ。日でハトイチャ・サデツクの偽名を使ったイリーナ・アリモワ(89)は、天皇結婚50周年をニュースで知った。5歳年上の夫シャミーリ・ハムジンは病死、年金頼りの一人暮らしが長い。のムーシャが話し

    【地球人間模様】@ロシア「故郷喪失」- 47NEWS(よんななニュース)
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