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ブックマーク / d4p.world (16)

  • 「赦すか、赦さないかを決めるのは、被害者の権利」――【光州事件】あの時、それからの女性たちは

    1979年10月、独裁体制を敷いた韓国・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、16年に渡る支配が突如、終焉を迎えた。これで時代が変わるだろうと、民主化を求める市民たちは湧き立つ。ところが、ほどなくして全斗煥(チョン・ドゥファン)らがクーデターを起こし、軍部独裁体制は維持された。1980年5月、光州では、抗議の声をあげる市民たちが、軍による激しい弾圧を受けた。この「光州事件」(5.18民主化運動)は往々にして「男性たちの物語」として語られるが、女性たちの役割はただ「後方支援」や「補助」だったのだろうか。軍事政権と家父長制の狭間で光が当てられてこなかったものとは何か? 現地取材を通して探る。 梅雨明け間際の空は昼間でもやや薄暗く、吹き抜ける風はどこか雨の香りを宿していた。ビルの8階まで昇ると、カフェの併設された開放的な空間が広がっている。大きな窓からは、光州の中心地から彼方の山の稜線までが

    「赦すか、赦さないかを決めるのは、被害者の権利」――【光州事件】あの時、それからの女性たちは
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2024/06/17
    望月洞(マンウォルトン)
  • 父は突如、死刑求刑を受けた――死後に知った韓国・軍政権下の家族の歩み - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    子ども時代のアルバムは、1冊しか残っていない。開いてみると同じ服を着た同じ日の写真が何枚も貼られている。撮影された日数だけを考えると、数日分しかないかもしれない。自分に子どもができてから、ますますこの少なさが気になるようになった、と中川智子さん(崔智子さん)は語る。 以前は「愛されていないから」だと思っていた。けれども父の身に起きたことを知った、今となっては分かる。思い出を重ね、写真を残す余裕は、家族にはなかったのかもしれない、と。父親が「スパイ」に仕立てられたと知ったのは、智子さんが30歳を過ぎてからのことだった。 家族の中に感じていた「空白」 智子さんは1981年、千葉県で生まれ、神奈川県藤沢市の閑静な住宅地で育った。父の崔昌一(ちぇ・ちゃんいる)さんは、1941年に大阪で生まれた在日コリアンの2世だ。 昌一さんが生まれた当時、一家は炭焼きで生計を立てていたものの、父が病に倒れてからは

    父は突如、死刑求刑を受けた――死後に知った韓国・軍政権下の家族の歩み - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 「差別のない社会づくり」を自己責任で終わらせないために - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに、安田の執筆した記事『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載したところ、それに関連してTwitter上で差別コメントが投稿されました。そうした書き込みのうち、発信者情報開示請求の裁判により2件の発信者を特定... 尊厳を芯からえぐる「差別」の言葉 2020年12月、Dialogue for People公式サイトに、父のルーツをたどった記事、『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載しました。父は、私が中学2年生の時に亡くなっています。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知りました。 「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」 ――その疑問の答えを探そうと、古い書類をかき集め、父の家族にゆかりのある場所を巡り、在日コリアンの歴史をたどってきました。それは根深い差別構造を前に、ルーツについて

    「差別のない社会づくり」を自己責任で終わらせないために - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/06/20
    独立した人権救済機関や包括的な差別禁止法が必要だが、“とりわけ今国会の法整備の状況を見ていると、むしろ「差別」という文言を、なるべく使わず、なるべく認めないという方向に舵を切っているのではないか”
  • 入管法政府案「立法事実」への疑問 同一難民審査参与員が2年間で2000件審査 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    「私に言わせればこれは拷問です。入管は拷問する教育を行っているのでしょうか? 私たちは拷問をされるために入管に収容されるのでしょうか?」 トルコ国籍のクルド人であるデニズさんは4月20日、記者団にまっすぐこう、投げかけた。 デニズさんは、迫害を逃れ2007年に来日した。これまで複数回難民申請をしており、現在も申請中だ。東日入国管理センター収容中に職員から暴行を受けたなどとして、デニズさんが損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁はこの日、職員の行為の一部を違法と認め、国に22万円の支払いを命じた。 2019年1月、デニズさんは睡眠薬を求めたものの拒否されたため抗議する。その後、7人前後の入国警備官が入室し、デニズさんに移動を命じた。当時の映像を確認すると、デニズさんは後ろで手錠をされ、抵抗できない状況にさせられた上、ひとりの警備官があご下の「痛点」を押し、「痛いか?!」などと大声で迫ってい

    入管法政府案「立法事実」への疑問 同一難民審査参与員が2年間で2000件審査 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/04/24
    “柳瀬房子”
  • 虐殺とタブー視、それは「遠い過去」なのか ――韓国・済州島の記憶 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    台風が過ぎ去ったばかりの済州国際空港には、湿った海風が絶えず吹きつけ、時折霧のような小雨が視界を覆った。ここに降り立つ前、飛行機の窓から見下ろした済州は、濃い緑に覆われた漢拏山(ハルラ山)を中心に広がる、紺碧の海に浮かんだ麗しい島だった。 「済州は美しいところではありますが、そうした美しいところは何らかの虐殺が起きた場所でもありました」 そう語るのは、大阪で生まれ、済州で育った玄武岩(ヒョン・ムアン)さんだ。現在は北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院の教授を務めている。 リゾート地としても知られる済州島だが、玄さんが語る通り、ここは過酷な歴史を経てきた地でもある。 「以前は虐殺が起きた現場に案内板などもほとんどなく、最近になってようやく法律も整備され、平和ツアーなどの動きも広がってきました」 済州島で起きた虐殺は、一部島民が武装蜂起した1948年4月3日の日付から「4・3事件

    虐殺とタブー視、それは「遠い過去」なのか ――韓国・済州島の記憶 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • うめくウィシュマさんの前で談笑――監視カメラには何が映っていたのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2021年3月6日に名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの遺族による国賠訴訟が続いている。2023年2月15日、ウィシュマさんの居室の監視カメラ映像が、公開法廷で上映される方針が決まった。 公開法廷でのビデオ上映を渋る国側 ビデオは295時間分残っているとされるが、国は約5時間分のみを2022年12月、裁判所に提出。ところが2023年1月の進行協議で国側は、公開法廷での上映ではなく、非公開の場で取り調べれば十分だと主張してきたのだ。 前年11月の期日やビデオ提出時には、こうした意見は国側から一切出されていない。「なるべく公になることを遅らせたい」という意図がそこに透けて見える。その「目的」は明示されていないが、ビデオが公開されれば、入管法の議論や統一地方選に影響することは必至だろう。 ビデオは居室のドアや鍵の形状が分からないよう処理されており、職員の顔にもモザイクがかけられてい

    うめくウィシュマさんの前で談笑――監視カメラには何が映っていたのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/02/21
    ”彼女に「アロンアルファ?」に聞き返す様子は、ここには映っていない”比較的ましなところだけ公開したと。それですらこれ"ウィシュマさんが痛みに声を上げると、看護師と職員どちらかから、なぜか笑い声があがる"
  • かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった 「捨石塚」が伝えるものとは - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    福島県大熊町野上、内陸へと延びる国道288号線から小道へとそれ、小塚溜池の脇を通る静かな林道を進む。時折、緑に覆われた道路標識や民家らしき建物が散見されるものの、人の営みの気配はない。福島第一原発の事故以来、周辺はいまだ、帰還困難区域の中にある。一帯には木々の葉のざわめきと共に、目下を流れる熊川の支流、小塚川のせせらぎだけが響く。 草木に覆われ、これ以上進むのは困難だと思われるところで車を止めた。その細道のすぐ脇で、木々の間にひっそりとたたずむ石碑らしきものと、その手前に積まれた石の小山が目に留まった。石碑には「捨石塚」と記されている。 この塚のたどってきた歴史は、長らく明らかにされてこなかった。 かつてここには、「小塚製炭試験場」があったことが『大熊町史』に記されている。当時の農林省山林局の重要施設として1940年に設置されたものだ。質の良い木炭を効率よく生産する方法や炭焼きの技術を学ぶ

    かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった 「捨石塚」が伝えるものとは - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    頭を圧するほどの強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ8月最初の午後。広島記念平和公園の木々の間からは、耳の中でこだまするほどのセミの声が響いてくる。うだるような暑さの中でも、慰霊碑に手を合わせに来る人の姿が絶えない。いまだ引き取り手のない遺骨、7万柱が供養されている原爆慰霊塔の前に差しかかったとき、日傘を差しながらゆっくりと歩いていた李鐘根(イ・ジョングン)さんが、噛みしめるように語った。「あの混乱の中で、姉を探しに行くことさえできなかったんです。だからここを訪れる度、姉の名を呼ぶんですよ」。1945年8月6日、陸軍の被服支廠(ししょう)で働いていた鐘根さんの姉は、今も行方がつかめないままだ。 鐘根さんは16歳の時、当時勤めていた広島鉄道局に出勤途中、爆心地から約1.8キロの場所で被爆した。その体験を人前で証言し始めたのは、2012年、80歳を超えてからだった。「自分の体の火傷にね、ウジがわくん

    被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事では実態をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 「民主主義とは、その政治家や政党を支持しない人、投票しなかった人、そもそも投票する権利さえない人たちの声とも大切に向き合うことだと思ってきました。(安倍氏の)国葬は、むしろそれとは真逆の選択ではないでしょうか」 7月24日(日)、TBSテレビ「サンデーモーニング」で、私はこうした趣旨の発言をしました。今も考えは変わっていません。公の場での発言には、当然ですが必ず責任が伴い、社会の中で批評や論評の対象になるものです。私のこうした発言にも様々な意見が寄せられましたが、中には「論評」とは言い難いものもありました。 東京・中野区議を務める吉田康一郎氏は自身のTwitterで、上記の私の発言をもって「(安田は)降板させるべき」と書き込んだ後、続く投稿では、私が過去に書いた記事を引用したうえで、こうコメントし

    【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 「飢餓状態」の数値を見過ごしたこと、救急車を呼ばなかったこと、それは「やむを得ない」ことなのか ――ウィシュマ・サンダマリさん遺族に、国は何を主張したのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2017年6月、ウィシュマさんは「日の子どもたちに英語を教えたい」と、英語教師を夢見てスリランカから来日したものの、その後、学校に通えなくなり在留資格を失ってしまった。2020年8月に名古屋入管の施設に収容されたが、同居していたパートナーからのDVと、その男性から収容施設に届いた手紙に、《帰国したら罰を与える》など身の危険を感じるような脅しがあったことで、帰国ができないと訴えていた。 収容中に体調を崩し、最後は自力で起き上がれないほど衰弱していたものの、入院や点滴などの措置は受けられなかった。 入管収容施設では、2007年以降だけでも17人が亡くなっているが、関係者が刑事責任を問われたことはない。 関係者に下された「不起訴」の判断 「不起訴ってどういうことなんでしょうか? 姉を死に追いやっておいて、入管の対応に何の問題もなかったと、検察も気で思っているのでしょうか?」 次女のワヨミさん

    「飢餓状態」の数値を見過ごしたこと、救急車を呼ばなかったこと、それは「やむを得ない」ことなのか ――ウィシュマ・サンダマリさん遺族に、国は何を主張したのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2022/07/24
    相互主義"被害者が外国籍の人の場合、日本国籍の人がその国の公務員によって被害を受けたとき、賠償する制度がその国にあるのであれば、日本でも考える"ひどい
  • 【取材レポート】写真で伝えるウクライナ・キーウ郊外、人々の声(2) —ブチャ・ボロディアンカ編— - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    キーウから北西約24キロのブチャ。人口約3万7,000人だったこの街で、ロシアによる軍事侵攻後、400人を超える市民が殺害されたとされる。平穏を取り戻しつつあるように見えるキーウから、車を走らせて30分ほどの距離でしかない場所で、残虐な行為の数々が繰り広げられてからあまりにまだ日が浅い。さらに北西へと進んだボロディアンカは、キーウから60キロほど離れた人口約1万2,000人の街だった。破壊の爪痕が深く刻まれた街並みの中にも、少しずつ日常を取り戻そうとする人々の姿があった。その様子を、写真を通してお伝えする。(写真は2022年5月18日・19日に撮影) 破壊された家屋の前で、どこからともなく人懐っこいが近づいてきた。 イルヘニ・ジェーニャさんは、ブチャからほど近いボルゼルに暮らしている。ロシア軍による侵攻後も、「行政機能が失われてしまえば、残った市民で何とかするしかない」と街に留まり続けて

    【取材レポート】写真で伝えるウクライナ・キーウ郊外、人々の声(2) —ブチャ・ボロディアンカ編— - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • かつて、「隠れコリアン」だった。今なぜ、「ともに」のメッセージを川崎・桜本から発し続けるのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2月15日刊行となる『あなたのルーツを教えて下さい』に収録する《なぜ、「ともに」を体現する街を目指し続けるのか? 川崎、桜を歩く》から、一部を抜粋して掲載します。 ※記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 条例に基づき設置された、差別をなくすための公的施設 JR川崎駅から、工場の煙突がひしめく臨海部へと向かうバスに揺られ15分。キムチや総菜が並ぶ桜の商店街から少し道をそれ、静かな住宅街を進むと、白壁二階建ての「ふれあい館」にたどり着く。玄関をくぐると、目の前の階段には、一段一段に「Welcome」「Chao Mung(ベトナム語)」と、様々な言語で歓迎の言葉が貼られている。 「ようこそ」と館長を務める崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さんが朗らかに迎えてくれた。館内を歩いてみると、宿題に集中する子どもたちもいれば、ただそこでおしゃべり

    かつて、「隠れコリアン」だった。今なぜ、「ともに」のメッセージを川崎・桜本から発し続けるのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 祈りの場、そして伝える場所に――福島県大熊町、約10年9カ月を経て見つかった娘の遺骨 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    「大腿骨……」――その言葉を聞いても、木村紀夫さんの表情は緩まなかった。目の前の遺骨にこびりついた黒い土を、必死に指で削ぎ落していく。しかし次の瞬間、安堵のため息とともに具志堅隆松さんの漏らした「見つかったぁ……」という声に、木村さんの表情も溶けていく。思わずこぼれる笑い声。「もっとこの辺りを探せば出てくるかもしれないね」と言いながら、木村さんは愛おしそうに遺骨を撫でた。何度も、何度も。約10年9カ月前に失われた命の温もりを、そっと手繰り寄せるように。 ここで伝え続けなさいというメッセージ 見つかった遺骨は、2011年3月11日、東日大震災の津波によって犠牲となった、木村さんの次女、汐凪(ゆうな)さんのものとみられている。木村さん一家の暮らしていた福島県大熊町には、東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機までが立地している。地震発生当時、小学1年生だった汐凪さんは、小学校での授業を

    祈りの場、そして伝える場所に――福島県大熊町、約10年9カ月を経て見つかった娘の遺骨 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2022/01/18
    "実は震災の翌日、地元の消防団が行方不明者の捜索をしていたところ、誰かの「声」を聴いているというのだ。状況から考えて、それは王太朗さんだった可能性が高い…" もし原発事故がなければ助かったかもしれない命
  • 「殺すために待っている」「今帰ることできません」 ―スリランカ人女性、ウィシュマさんはなぜ帰国できず、入管施設で亡くなったのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    今年3月6日、スリランカ出身のラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさん(RATHNAYAKE LIYANAGE WISHMA SANDAMALI)が、名古屋出入国在留管理局(以下、名古屋入管)の収容施設で亡くなった。英語講師を夢見て来日後、学校に通えなくなり、昨年8月に施設に収容された。亡くなる直前には歩けないほど衰弱し、嘔吐してしまうため面会中もバケツを持っていたと支援団体などが指摘している。それでも、点滴などの措置は最後まで受けられなかった。 3月26日、参議院議員会館で「難民問題に関する議員懇談会(難民懇)」が開かれ、議員による入管庁側へのヒアリングが行われた。入管庁は、ウィシュマさんが死亡したことについての調査が既に進行中であるにも関わらず、第三者に加わってもらうことを「検討する」としていた。その後、4月9日に公表された「中間報告」では、死亡から一カ月経ってもなお死因は特定

    「殺すために待っている」「今帰ることできません」 ―スリランカ人女性、ウィシュマさんはなぜ帰国できず、入管施設で亡くなったのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 探しています、祖母の生きた証を - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    よく晴れた、けれども風の冷たい午後だった。道端の落ち葉が舞うカサカサという音が妙に心地よい。早足で家に戻りポストをあけると、無造作に投げ込まれたチラシの間に、細長い茶色い封筒が挟まっている。手に取ると、紙が数枚折りたたまれているであろう厚みがあった。送り主は出入国在留管理庁(入管)だった。その瞬間、確信した。「祖母はもう、この世にはいないのだ」、と。 『もう一つの「遺書」、外国人登録原票』にも書いたように、私が中学2年生の時に、父が亡くなった。その後、戸籍を見る機会があり、そこで初めて父が在日コリアンであることを知った。父は自分のルーツや、自分の父母のことを、一切語らないままこの世を去ってしまった。家族と断絶していた父が、どんな生い立ちで、どんな幼少期を過ごしてきたのか、知る手立ては殆ど残されていなかった。戸籍に残された「韓国籍」という文字以上のことを、もう死者に尋ねることはできない。父の

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  • 【取材レポート】世界の目が背くことが脅威 シリア・イラク取材報告 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    昨年末に安田菜津紀、佐藤慧で取材を行ってきたイラク北部クルド自治区と、シリア北東部の様子をダイジェストでお届けします。個別のレポートやインタビュー動画などは追って公開していく予定です。 イラク北東部、イラン国境近くに位置するディヤーラー県。クルド自治政府とイラク中央政府が管轄する領域の間の「緩衝地帯」で、IS(過激派勢力「イスラム国」)が再度息を吹き返してきているという。2017年秋、クルド自治区で独立投票が行われたもののイラク中央政府は結果を受け入れず、むしろクルド自治区側は自らが主張する領域を狭める結果となってしまった。両者の支配域に変化が生じ、間に出来た「空白地帯」に、ISの”スリーパーセル”(活動を潜めている支持者)が入り込み力を取り戻しているとみられている。 このディヤーラー県コラジョでは2019年11月末夜、ISによる突然の襲撃により、アサイシュ(クルド自治区の治安機関)の司令

    【取材レポート】世界の目が背くことが脅威 シリア・イラク取材報告 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
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