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日本人と政治に関するkabutomutsuのブックマーク (2)

  • 国民の自画像としての安倍/菅政権(下) - 白井聡|論座アーカイブ

    国民の自画像としての安倍/菅政権(下) 「安倍的なるもの」に体現された国民の精神とは何か 白井聡 京都精華大学人文学部准教授 「安倍一強体制=2012年体制」は、安倍抜きでも、あるいは安倍の影響力がゼロになってさえも維持されうる。そんな状況はなぜ生まれたのか。「野党の頼りなさ」「小選挙区制による党中央への権力集中」といった理由づけがさんざん語られてきたが、いずれも表層をなぞっているにすぎない。 日は曲がりなりにも言論の自由(政権の批判)が保たれ、公正な選挙(少なくとも選挙干渉や票のすり替えなどはない)が行なわれている国である。つまり、合法的に権力批判や政権交代が可能な国であり、選挙による審判を経ずしてこの長期政権が維持されてきたわけではない。 したがって、帰責されるべきは結局のところ国民である。安倍晋三の超長期政権にせよ、2012年体制にせよ、それを許したのは他の誰でもなく日国民である

    国民の自画像としての安倍/菅政権(下) - 白井聡|論座アーカイブ
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2021/01/03
    "安倍晋三の本質、「空疎と空虚」、そしてそれと不釣り合いに高いプライドという、常識的に見れば人としてかなり情けない状態を安倍自身が国民を代表して体現することによって肯定してくれた、という事実"
  • 日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実(坂本 治也) @gendai_biz

    的な変化が必要かもしれない 上記の分析はあくまで試論的なものであり、より正確な因果関係の把握は、更なる精緻な分析を必要とする。 しかし、もし筆者の仮説が正しいのであれば、日人の「共助」活動への忌避意識を克服するのは、かなり長い道のりとなるかもしれない。根深い「政治嫌い」の文化を克服することなしに、多くの日人が「共助」活動に抵抗感をもたずに喜んで参加する、という変化は起きにくいと考えられるからだ。「『共助』を忌避する日人」を変えるためには、私たちの政治との関わり方を根的に変えていく必要がある5。 2022年度から高校で「公共」という科目が新たに必修科目として設置される。そこでは「国や社会とどう関わるのか」を学ぶことが重視されるという。模擬投票、模擬裁判、外交・安全保障についての討論などを取り入れた、主体的な学びが推奨されるらしい。 筆者としては、日人の(低投票率に限られない)「

    日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実(坂本 治也) @gendai_biz
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