僕がこの曲を作った理由は、人の大切なもの勝手に齧るような格好悪いおっさんのニュースを最近たくさん見たから。 パワハラセクハラモラハラ。 失言失態。軽視蔑視。 自分はそういうおっさんにならないように、いつでも時代を学ぶ努力ができ… https://t.co/xV3xfuEQce
僕がこの曲を作った理由は、人の大切なもの勝手に齧るような格好悪いおっさんのニュースを最近たくさん見たから。 パワハラセクハラモラハラ。 失言失態。軽視蔑視。 自分はそういうおっさんにならないように、いつでも時代を学ぶ努力ができ… https://t.co/xV3xfuEQce
「だって、みんなそうしているよ」「ルールだから、しかたがない」「先生がいってるんだから」、これらの発想がいかに危険なのかを説いた、将基面貴巳『従順さのどこがいけないのか』の書評をライターの武田砂鉄さんに書いていただきました。ある言葉への違和感から考えます。 最近、「よくぞ言った!」と言われる。どんな発言に対してかというと、新型コロナ対策よりもオリンピック開催を優先した政治家たちへの苦言に対して、そんな声が飛ぶのだ。実に不思議だ。そんなの、どこが、「よくぞ」なのだろうか。覚悟なんて必要ない。巨悪を暴いたわけでもない。新事実を突きつけたわけでもない。失政を前にして、これは失政だ、と告げたに過ぎない。これのどこに、「よくぞ」があるのだろうか。 日本社会には、逆らってはいけない、という考え方が濃い。なんだそれ、と感じつつ、正直、どうぞご自由に、とも思っている。ただ、いただけないのは、それと同時に、
観客のいない東京五輪・ビーチバレー会場(東京都品川区)の通路。業務中の民間警備員がスマートフォンを持つ手をせわしく動かしていた。不審に思ったボランティアの女性が背後からのぞくと、警備員が興じていたのはゲームだった。 他の会場で目撃したのは、消毒液など新型コロナウイルス対策の備品を入れた段ボール箱の山。女性は「人も物も余っていた。無観客の決定が五輪開幕の2週間前でキャンセルできなかったのだろう。経費の無駄だった」と明かす。 観客を入れないなら必要ない仮設の観客席やテントの設営も既に終わっていた。大会組織委員会の橋本聖子会長は大会中、「『もっと早く無観客と決断していれば経費を抑えられた』という意見については受け止める」と陳謝した。
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