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本田圭佑に関するkazu_levis501のブックマーク (10)

  • 競歩はなぜ急に強くなったのか

    意外な競技で、金メダルが獲得できるかもしれない――。 今年8月、リオデジャネイロ五輪が開幕する。国内では各競技の代表選考が佳境に入り、メダルに向けた最後の選考や強化が始まろうとしている。 柔道、競泳、レスリング、体操――。これまで日選手が獲得した多くのメダルは、これら「お家芸」の競技が大半を占めてきた。しかし、リオ五輪では異変が起こりそうだ。これまで「メダルには遠い」と言われていた競技が急激に力を付けている。 世界トップ10に日人が6人 その一つが競歩だ。男子20kmの記録を見ると、日人選手の成長は一目瞭然。2012年のロンドン五輪の時点では、その年のトップ10の記録に日人選手はゼロだったが、2015年時点では延べ6人が入った。世界記録を持つ鈴木雄介選手だけでなく、層が厚いのが特徴だ。 なぜここまで強くなったのか。 タッタッタッ……。3人の選手がペースを守りながらトラックを何周も何

    競歩はなぜ急に強くなったのか
  • 始業前、ラジオ体操はもう古い

    5分弱の毎朝の「ルーティーン」。昨年10月、ヤマ発は国内の主要拠点に導入した。始業前であり参加する義務はない。それでも、拠点やフロア、部門によって違いはあるもの、平均して5割以上の社員が参加し、8割以上の職場もあるという。 それまでヤマ発の始業前のオフィスでは20年以上、違う音楽が流れていた。生産現場での安全を目的に作られた、ストレッチ運動の音楽だ。しかしオフィスでの参加率は極めて少なく、単なる「BGM」になっていた。 新しいストレッチの音楽は、ヤマ発と同じルーツを持つヤマハの関連会社に所属する作曲家が担当した。そして動作は、ヤマ発がオフィシャルスポンサーとなっているサッカーJリーグ、ジュビロ磐田のフィジカルコーチが監修。社内のアンケートでは、58%の社員が「肩こりや腰痛を和らげる効果がある」と回答している。 「企業スポーツ」はこれまで、自社の広告宣伝や社内の一体感の醸成などが主な目的だっ

    始業前、ラジオ体操はもう古い
  • サッカー以外の自分が芽生えてきた本田圭佑

    サッカー以外の自分が芽生えてきた本田圭佑
  • 胃痛持ちランナーが見た、東京マラソンの凄み

    胃痛持ちランナーが見た、東京マラソンの凄み
  • 「サッカー日本代表監督」に最も近い日本人

    「サッカー日本代表監督」に最も近い日本人
  • 本田圭佑が考える、経営者の「必須条件」

    本田圭佑が考える、経営者の「必須条件」
  • 本田選手は4年後も中心選手でいられるか?

    サッカーという文化とグローバリズム、その中での日本代表だけでなく日経済の戦い方」というようなテーマでネットに連載をしてるんですけど(第1回・第2回・第3回)。 最後の日本代表vsコロンビア戦、グウの音も出ない形で負けてしまった日本代表ですが、敗因という意味で大きくくくれば、第2回で書いたような「現代日のアドレナリン過剰な組織マネジメントの問題」ゆえの、攻めはするけど攻め切れない決定力不足ということになるように思います。 また、「なぜそうなってしまうのか?」をより深く理解するには、第1回で書いたような、「日国内の”野球的文化”との矛盾があって腰が定まりきらない」という問題があって、でもだからこそ「サッカーが分析的に捉えられる世界的トレンド」ゆえに日本代表の今後の活路もあるはずだ……という話が重要であるように思います。 そして、今後4年間を占う上で決定的なのが、「勝ち切れないビミョーな

    本田選手は4年後も中心選手でいられるか?
  • 本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(3) --- 光田 耕造

    「レアル・マドリーで活躍するイメージしかない」 「ボールを持ったら、とりあえずオレを見ておけ」 「僕には俊さんにないものがあると思う」 「自信がなけりゃ、やっていられないでしょ」 「サッカーで緊張したことはない」 これらの言葉は、ビックマウスと言われる田の真骨頂だろう。 若くして成功した才能溢れる天才プレイヤーがうぬぼれで発する言葉ではなく、トッププレイヤーになれないという挫折を重ねた田が自分自信を追い込むために口にしたものだ。 時に軋轢や批判を生むような大胆な発言をすることで、結果を出さなければいけない責任を自らに課しているのだ。 ドラッカーの言葉「大切なのは肩書きではなく責任」に通じるものがある。 以下、著作「非営利組織の経営」からの抜粋。 自己啓発に最大の責任をもつのは、人であって上司ではない。 自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である。能力は、仕事の質を変えるだ

    本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(3) --- 光田 耕造
  • 本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(2) --- 光田 耕造

    「それよりも自分はなんとか若いうちに厳しいところでやりたいんや」 この言葉は、田が当時在籍していた名古屋グランパスの監督にストイコビッチが就任することが決まるタイミングでオランダからオファーがあり、ストイコビッチ監督にもとでプレイするのが楽しみではないのかと聞かれた際にものだ。 ストイコビッチのもとでプレイすることよりも、厳しい環境に身を置くことを望む、上昇志向の高い田らしい言葉だ。当時の日サッカー界では、代表や国際大会で活躍した選手が海外移籍するものという価値観があった。2005年のワールドユースでも梶山陽平の控え選手であった田がそれを覆したのだ。 ガンバジュニアユースでは活躍出来ず、ユースには上がれなかった。ワールドユースでも控え選手の立場と田が思い描くトップレベルの目標との間には絶望的な隔たりが存在した。そのギャップを埋めるべく、国際大会での活躍がないままオランダ、VVVフ

    本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(2) --- 光田 耕造
  • 本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(1) --- 光田 耕造

    「レアル・マドリーで活躍するイメージしかない」 「僕には俊さんにないものがあると思う」 「それよりも自分はなんとか若いうちに厳しいところでやりたいんや」 「俺は常に前進している。右ひざを手術したことで、その時点から新たな田になりえた」 「どんなつまらないメニューでも、しっかりとしたフィロソフィーさえあれば、間違いなく充実したものになりますから」 「状況に応じてチームのためにエゴを消さないといけないが、理想は90分エゴをだすこと」 「メッシって、意外とボールを失うことも多いんですよね。あれだけうまい選手がボールを失うんもは、やっぱり、それだけ仕掛けているから」 これらは、田圭佑の言葉だ。ビックマウスと言われる田らしい言動もあるが、過程やチームの勝利を大切に考える田の質が現れている。上昇志向の強い田の人間性が言葉から読みとれるのではないだろうか。 この連載では田、長友、三浦知良な

    本田圭佑を成功させたドラッカーの言葉(1) --- 光田 耕造
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