タグ

ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (110)

  • 必要のない競争をさせることのどこが教育なのか - 今日行く審議会

    【正論】社会学者・加藤秀俊 「競争」なくして何の教育か 大学入試と全国学力調査,この両者を混同したこのような論が必要のない競争をさせることを正当化している。 まず、全国学力テストと入試の違いは何か。それはEvaluationとAssessmentの違いだ。入試はEvaluationだ。入試は差をつけることを目的とした評価であり、方法も差をつけるための評価方法が用いられる。そして、そこには「競争」が必要不可欠なものとして存在する。全国学力テストは、Assessmentだ。それは被評価者の現状を把握することを目的とし、現状を把握するための評価方法が用いられる。そして、そこには「フィードバック」が必要不可欠なものとして存在する。また、入試では評価の基準は簡単に変更されない。しかし、全国学力テストでは評価の基準は絶えず見直しの対象となる。両者を混同したまま,「競争させるのか,させないのか」という点

    必要のない競争をさせることのどこが教育なのか - 今日行く審議会
  • こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会

    【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 テスト結果を公表せよ まず, 文科省は、調査見直し・不要論にたじろいではならない。国の教育政策立案の基礎として学力を検証するに足る長期間の全国データはぜひとも必要なのである。教育は国家百年の計なのだ。43年ぶりに復活したこの調査は「費用対効果」などで論じる次元を超えた極めて重い意味を持つものである。連続悉皆調査を継続すべきである。 について。アメリカのNAEPは抽出調査だ。悉皆調査ではなく,抽出調査の方がメリットがあると考えられているからだ。アメリカのNAEPについては,http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdfで池田央氏が詳述されているので読んでいただければと思います。 OECDのPISAについても同じことが言えるのだけど,国単位の調査の目的は「子ども個人の学力調査」

    こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2008/10/08
    競争の必要のないものを使って競争させれば,目的をゆがめ,調査の価値を下げることになる。
  • 政治が教育を利用するとき - 今日行く審議会

    政治が問題を教育を利用して取り繕い,その場しのぎを行う。政治教育を利用し,問題から目を反らす。結果,政治が冷静な対応をいくら考えていても,彼らはその教育の結果に手足を縛られ,冷静な対応ができなくなっている。それは彼ら自身が招いた結果であって,彼らの手足を縛るものを取り除く責任も彼ら自身にある。 そうした姿を傍目に見ながら自らも同じような選択をしようとする人たちがいる。彼らは相当な自信を持って,同じような結果を招くことはないと言うかもしれない。でも,それは将来の結果を保障するものではない。政治教育を利用し,将来において彼らの手足を縛るようなことになったとき,彼らはなんと言うだろうか。彼らは,その結果を一部の暴走する人たちの責任だと言うだろうか。 政治教育で問題を取り繕うとき,政治教育で目を反らそうと考えるとき,その結果どうなるか。そこをよく考え,覚悟をすべき。

    政治が教育を利用するとき - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2008/07/17
  • 教育は面倒なことを省略するために使われる - 今日行く審議会

    ある問題があって,それを解決することが面倒なとき,解決できないのに解決したいとき,教育が利用される。 けれども,面倒なプロセスを省略して,教育で問題を解決しようとすると,それにかえって振り回されることになる。 面倒なプロセスを省略して教育で問題を解決しようとしている人。その結果,冷静な対応ができなくなっている人。どちらも,教育という媚薬に取り憑かれ,それを手放せないでいる。

    教育は面倒なことを省略するために使われる - 今日行く審議会
  • ゆとり教育からの脱却という言葉で思考停止するという愚かさ - 今日行く審議会

    http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080330/1206811879にコメントしてくださった皆さん。ここを訪れてくださる皆さん。とても感謝しております。今回はどうしても書きたいと思ったので一時復活しました。今後はまた更新が滞ると思います。 マスコミは改訂される学習指導要領が一部前倒しされることを報道している。それを読んだり,それに対する反応を見ながら「ゆとり教育からの脱却」という言葉に思考停止した今の状況はおかしいと感じている。 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070616/1181959073やhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070511/1178815464で書いたこととも重なるのだけどもう一度書いておきたい。 「ゆとり教育の被害者」という言葉を見聞きする。でも,子どもはいつの時代

    ゆとり教育からの脱却という言葉で思考停止するという愚かさ - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2008/04/28
    「ゆとり教育」という言葉も「ゆとり教育からの脱却」という言葉も,本当に改善すべき問題から目を反らすのに大いに貢献している。→何かが悪くてそれを取り除けば全ての問題が解決するというロジックがこの世を支配
  • デマと誤解で満たされた「ゆとり教育」からの脱却 - 今日行く審議会

    新学習指導要領が「ゆとり教育」からの脱却だとか転換だというマスコミの報道。それはデマと誤解に満ちている。 授業時数の増加にしても,教える内容の増加にしても,それが学力向上につながると期待され,そう「確信」している。けれども,それはいったい何処でどのようにして実証されたのか。その期待や確信の根拠は何か。 もし,これからそれは実証されるのだというなら,それは「ゆとり教育」と変わらない。「ゆとり教育」もそうやって始まり,検証もないまま脱却だ,転換だと言われているのだから。 「ゆとり教育」に関して,未だに円周率が「3」とかいうことが出てくる。マスコミも「3.14」の復活などという。デマが未だにデマとして認識されていない。 「ゆとり教育」がもたらした,もっとも貢献したことは「教育」についてデマであるかどうか,根拠の有る無しに関わらず,「ゆとり教育」とは逆のことといえばそれが無批判に歓迎されるという状

    デマと誤解で満たされた「ゆとり教育」からの脱却 - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2008/02/16
    ,「ゆとり教育」とは逆のことといえばそれが無批判に歓迎されるという状況を生み出した
  • さらばゆとり教育で去っていくもの - 今日行く審議会

    幼、小、中、30年ぶり授業時間増 中教審が年度内に告示へComments さらば「ゆとり」…30年ぶり授業時間増 中教審 小中の授業時間増など答申=次期指導要領、ゆとり転換?中教審 <中教審>授業時間1割増を答申 「ゆとり教育」実質見直しComments 小中授業時間30年ぶり増、「小5から英語」…中教審答申 産経新聞がイザ!の記事で「さらば「ゆとり」」という題を付けている。では,去っていくものとは何だろうか。 それは,教育政策をきちんと検証し,議論を積み上げ,教育政策を立案していく,そういうものへと教育行政を転換させる機会だ。 このブログで何度も繰り返し書いていることだけれども,いわゆる「ゆとり教育」なるものはきちんと検証されることなく「さらば」ということになろうとしている。それは,いわゆる「ゆとり教育」から得られた教訓としての「教育政策の立案にはきちんとした検証が欠かせない」というもの

    さらばゆとり教育で去っていくもの - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2008/01/18
     「ゆとり教育からの転換」「ゆとり教育の見直し」というのは,実態のつかめないゴーストに責任を押しつけて,葬り去るということだ
  • こんな手紙はヤギさんに食べてもらう方が良い - 今日行く審議会

    【正論】再論・沖縄集団自決 拓殖大学教授・藤岡信勝 日史小委員会の特別委員またはヒアリングに少なくとも秦郁彦、中村粲、曽野綾子の諸氏など集団自決問題に見識と実績のある学者・研究者・作家をくわえねばなりません。そして、年内に結論を出すなどという無謀な拙速主義はやめて、結論を次回検定以降に持ち越し、時間をかけた検証と公開の討論を組織すべきです。国民の歴史認識の成熟を甘く見た対応をなさらないよう切にご忠告申し上げておきます。 藤岡氏は歴史の事実を確定したいと思うなら,教科書検定とこの問題を切り離し,「時間をかけた検証と公開の討論」を訴えるべきだ。「国民の歴史認識の成熟を甘く見た対応」をしているのは教科書を舞台として歴史の問題に白黒点けようとする方々ではないか。 教科書の記述というきわめて政治的なものが,歴史の事実の認定に大きく関わるのはそもそも間違っている。末転倒している。その点をきちんと指

    こんな手紙はヤギさんに食べてもらう方が良い - 今日行く審議会
  • 「ゆとり教育」の反省って何だ? - 今日行く審議会

    新学習指導要領 「ゆとり教育」の反省を生かせ(11月6日付・読売社説) 次の学習指導要領についての中間まとめは、「ゆとり教育」が行き詰まった原因を自ら分析し、「授業時数が十分でなかった」などと反省点を列挙する異例の内容だ。 確かに様々な反省点が列挙されてはいる。けれども, 一方で、理念の実現のためにとってきた具体的手だてについては、不十分だったと明確に認めている。 「詰め込み」教育の反省として、教える内容を3割減らし、授業時間を1割削った。総合学習の時間を新設した。 だが、目指した「ゆとり」は「ゆるみ」を生んだ。かえって基礎知識の習得や思考力・表現力の育成を妨げる結果となり、保護者の「教育不信」を招いた。 その反省を踏まえ、総合学習を減らし、主要教科の授業時間を今より1割以上増やすことにした。中でも、小学校の算数と理科は16%増、中学の理科と英語は33%増となる。「脱ゆとり」の姿勢が数字上

    「ゆとり教育」の反省って何だ? - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/11/07
     「ゆとり教育」の反省というならば,教育改革における新自由主義的な側面も当然対象としなければならない。
  • 反省文書いたのにまだ反省が足りないって怒られた - 今日行く審議会

    【主張】ゆとり教育 まだ反省が足りぬ中教審 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071031/1193765217で書いたけれど,中教審や文部科学省が反省文を書いたのは,自分たちの責任を逃れるためで,結局は何も変わらない。 そして,産経新聞のように表面的な変化,例えば時間の増減などにしか興味が無く,自分たちの主張に合えばそれで良しというのでしか教育行政を見てない。産経新聞などは,教育行政そのものが抱える問題は黙認して,組合などに責任を転嫁してきた代表のようなもの。 産経新聞はhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060217/1140152620や,http://blog.livedoor.jp/kaikai00/archives/50078298.htmlなどで少し書いたけれど,アメリカで行われてきたことと,その結果を全く踏まえな

    反省文書いたのにまだ反省が足りないって怒られた - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/11/01
    産経新聞などは,教育行政そのものが抱える問題は黙認して,組合などに責任を転嫁してきた
  • 都合よく教科書が「中立・公正」などと言うな - 今日行く審議会

    沖縄戦集団自決記述に関する見解 教科書検定は「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準」を保つものであることは、第一次家永教科書訴訟最高裁判決(平成5年3月16日)で明らかにされたとおりである。ここで重要なのは、何より教科書の記述が教育内容として「正確」であることである。 これまで何度も指摘してきたけど,このような見解は理想像としてはあるかもしれないが,現実にはあり得ない。これは歴史に限らずどの教科の教科書でも同じことだ。 教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準など全て法令に基づいて行われている。 と彼ら自身が指摘しているように教科書は学習指導要領に基づいている。その学習指導要領自体政治的な妥協の産物であり,政治的に中立・公正ではないのだから教科書検定や教科書が中立・公正であるというのは間違っている。 また, 数を頼んだ政治運動によって、法令に基づ

    都合よく教科書が「中立・公正」などと言うな - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/10/16
    教科書問題は「生徒にどのような教育を受けさせたいか」という現場目線では既にない。高校歴史教科書が実態上の「日本正史」になっており、その書換合戦に変質している。既に教育問題ではない。
  • 教科書検定の問題を考えるとき - 今日行く審議会

    教科書検定の問題を右翼左翼の構図で語れば,読み物としては面白いのだと思うし,そういう構図で報道すると耳目を引くのだろうと思う。 けれども,そういう構図で教科書検定の問題を語るのは問題を矮小化するだけであり,問題の解決に結びつくとは思わない。 例えば,今回の問題において「教育への政治的介入」になるとして批判する主張がある。しかし,よくよく見てみると,それは主張する側の都合によって今回は教育への政治的介入を批判しているだけである。 教科書検定制度は,そのように都合よく「政治的介入」を利用できる制度である。そうであるならば,教科書検定制度そのものへの疑義も出てくるはずである。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070624/1182642429でも書いたように教科書検定制度の問題を考える際に,「教科書の記述は「公的知識」であり,それは一体誰が公的知識として決定した

    教科書検定の問題を考えるとき - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/10/05
    高校の歴史教科書が実質的な正史のような扱いになってしまっている。各学派が持論を正史にしようと介入してくるのは目に見えている。そのプロセスが学論でなく政治闘争化しているのが問題。
  • 教科書検定の問題について - 今日行く審議会

    【主張】教科書検定 政治介入排し事実正確に 沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入(10月3日付・読売社説) まず,産経新聞の 教科書検定は政治的な動きに左右されてはならない。 や読売新聞の 教科書検定に対するきわめて不可解な政治介入である。 という主張について。何を今更言うかと思う。教科書検定という制度自体「政治」から独立したものではないし,中立なものでもない。そうした制度である以上,今回のような問題は立場や主張は変えてもいつでも起こることだ。 この国では,教科書や学習指導要領があたかも「政治」から独立し,中立な問題であるかのような主張が当たり前のようになされる。それが間違っている。 教科書検定の問題についてはhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/searchdiary?word=%b6%b5%b2%ca%bd%f1%b8%a1%c4%eaこれまで何度も書いてきた

    教科書検定の問題について - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/10/04
    教科書や学習指導要領があたかも「政治」から独立し,中立な問題であるかのような主張が当たり前のようになされる。それが間違っている。
  • 反「学力」反「規範」でいい - 今日行く審議会

    学習指導要領 「学力」「規範」の重視が基だ(9月28日付・読売社説) そこまで子どもの学びを“制限”していたのか、とあきれる保護者も多いのではないか。 何を今更と思う。この国では,学習指導要領から「試案」という言葉が消えてから現在に至るまでこどもの「学び」は「制限」されてきた。学習指導要領に制限され,学習指導要領に基づいて作成される教科書に制限され,それらに基づく授業に制限され,入試に制限され,評価によって制限されてきた。そうした「学び」の「制限」をいかに緩めるか,いかに拡大するかそういうことに現場の教員が腐心してきたことなど思いも付かないのだろう。 今回の学習指導要領の改訂は,単に「学ばなければならない」という制限の枠組みを取り替えているだけで,学習指導要領の枠は外さない。それは「学び」を制限したことにならないのだろうか。 また,近年の動きを見ていると○○という「教科」が存在し,そこで

    反「学力」反「規範」でいい - 今日行く審議会
  • 教育再生会議の廃止を求める - 今日行く審議会

    http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20070913/1189649733やhttp://koyasu.jugem.jp/?eid=1001で述べられていることに賛同する。 以前から教育再生会議は廃止すべきと主張してきた。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070111/1168527969,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20061221/1166712103で書いてきたことの繰り返しになるのであまり書かないけれど,教育再生会議の果たした役割は,教育改革に対する議論を皮相なものにしたこと。問題の根幹には手を付けないで,改革を叫び,目に付きやすい表面的な改革さえやればそれで改革をやっているという気にさせてきたこと。中教審もその動向に大いに手を貸している。教育再生会議や中教審は解散すべき。その上できちんと

    教育再生会議の廃止を求める - 今日行く審議会
  • 教員を育てることを軽視している - 今日行く審議会

    指導力不足教員 まだまだ「氷山の一角」なのでは(9月14日付・読売社説) 教員の質の確保のために、人事管理は厳格に行ってもらいたい。 問題の根幹はこの言葉にある。指導力不足であると教員の大半が認定されても教員の質は向上しない。その理由は明白。この社説のいう「人事管理の厳格化」は教員を育てることを前提としないからだ。 数日前から指導力不足教員に何人認定され,認定された教員が何人現場復帰したかというような記事が目につき始めた。それらの記事に共通するのは,現場復帰した教員が少ないことだ。それが示すのは,教員を育てない研修を実施し,その結果として現場復帰できない教員が多いということ。また,指導力不足とされるような教員がなぜ生まれるのか。その問題には目を向けない。 指導力不足の教員が人事管理の強化や免許更新制では解決できないことは,子どもの学力の場合を考えればわかりやすい。学力テストを実施しても評定

    教員を育てることを軽視している - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/09/16
    確かに減点論ばかりだな
  • 振り子がまた極端に逆の方に振れていく - 今日行く審議会

    都道府県の位置、小学で暗記 今度は「知識」だそうで,今回も相変わらず極端に振り子が振れている。そうして,必要な議論は行われず,解決すべき問題は棚上げに。なんて短絡的な教育政策だろうか。 もう,この際だから何もかも元に戻せばいい。元に戻してその後は・・・?駄目ならまた元に戻るでしょ。こういう感じで中教審の委員の皆さん,教育再生会議の皆さん。あなたたちの考える教育政策とは実に簡単で良いですね。 もうPISAの調査結果など気にする必要もない。日はPISAとは異なる道を歩み始めたのだから。「日独自の学力」でやっていけばいい。日は「学び」より「知識」が何より大事ですと。 こうして冗談のように書いているけれど,それでは駄目なので書いておく。 振り子が極端に逆の方に振れ始めている。必要な検証も議論も欠いたまま。いつになったらこうした悪弊から抜け出すのか。「「ゆとり教育」からの脱却」なるものの安易さ

    振り子がまた極端に逆の方に振れていく - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/09/13
    丸暗記主義の復権
  • 「まずやること」ってのが問題だ - 今日行く審議会

    特集ワイド:どうみる「武道必修化」 伝統・文化の尊重!?/愛国心の養成!? 先日の武道の必修化問題に対する内田樹氏,小浜逸郎氏,山一力氏それぞれの主張が読める記事。 この記事のなかで,山一力氏が, 反論もあるだろうが、大事なのは、まずやること。 と言っている。この「まずやること」という言葉によって様々なものが教育界には取り入れられてきた。そうして,失敗してきた。 「まずやること」というのは,議論させないということと同じ。全国学力テストもいわゆる「ゆとり教育」だってそうして導入されてきた。 議論が十分ではないのにやってみた。問題が次から次に出てきた。そうして短絡的な廃止論,脱却論が出てきた。そして,また同じように「まずやること」でやってみた。同じこと,愚かなことを繰り返している。 武道の必修化は,単なる思いつきの域を出ていない。思いつきで終わらせないことが何より必要なこと。必要なことは「

    「まずやること」ってのが問題だ - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/09/11
    「まずやってみる」だって。問題が明らかになって修正されるのに10年はかかるのに!
  • 空っぽな教育 - 今日行く審議会

    高校世界史、引き続き必修にできる? 議論百出 文部科学省は28日、年度内の改訂を目指している学習指導要領で、高校での世界史を引き続き必修科目とする案を、中央教育審議会(文科相の諮問機関)の高校部会に示した。昨秋発覚した必修科目の履修漏れ問題で、実際に教えていない高校が続出した科目だが、同省は「現行の定めは合理的」としている。一方、審議する委員からは様々な意見が出て、この日はまとまらなかった。 何が空っぽなのか。今の社会をどう見るか。これからの社会をどう見るか。学ぶことを通して社会とどうつながっていくか。そうした議論を深めることなく、空っぽの状況で何を必修にするかという議論が進んでいる。 今の社会をどう見るか。これからの社会をどう見るか。学ぶことを通して社会とどうつながっていくか。ということをやらない現状の学校教育は、何が必修であってもたいした差はない。 日史を必修にするというだけで、日

    空っぽな教育 - 今日行く審議会
    kechack
    kechack 2007/08/29
    日本史を必修にするというだけで、日本人としてのアイデンティティが育成されると思いこむ。世界史を必修にするというだけで国際化に対応していると思いこむ。そうした、思いこみだけで教育を考えている。
  • 戦後レジームからの脱却 - 今日行く審議会

    教育の世界で「常識」として語られていることはどれも「戦後レジーム」のなかで生み出されてきたものだ。「ゆとり教育」「反ゆとり教育」,「日教組」「反日教組」は戦後レジームの中で出てきたもの。これらは戦後レジームと切り離して存在し得ない。 それら全てから脱却しない限り,教育の世界では戦後レジームから脱却することはできない。教育の世界で言われている戦後レジームからの脱却は,コインの表と裏をひっくり返しているだけ。どこにも表と裏以外の新しい面は出現していない。そして,いくら今の状態が強固に見えてもコインはいつかまたひっくり返される。 戦後の教育がどういうものだったか,なんとなく語り尽くされているような気分になっている。でも,当にそうなのだろうか。実は一部だけを見て語り,そういう気分になっているんじゃないだろうか。戦後レジームからの脱却と言いながら,コインの裏側を見せているだけなのではないか。

    戦後レジームからの脱却 - 今日行く審議会