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哲学に関するkeiseiryokuのブックマーク (114)

  • 足したら引かなきゃいけない - レジデント初期研修用資料

    「改革」は常に必要で、それなりにうまく回っている職場においてもまた、 定期的に新しい技術が導入されて、現場には、「複雑さ」が付加される。 技術者の人達は、「それが入ることによって出来ること」を強調するけれど、 宣伝されたすばらしい未来は、来てみれば案外役に立たなかったり、手続きが複雑になるだけだったり、 価値を実感できないことも多い。 技術はたぶん、「それが入って何が出来るのか」を問うよりも、むしろ 「それが入ることで、現場から何を不要にできるのか」を考えたほうが、 価値をより正確に判断できる。 「何も引けない」新技術というものは、おそらくはたいていの場合、結果の改善に寄与しない。 ガンマ単位の昔 昇圧薬を使うときには、昔はガンマ単位を計算した。 患者さんの体重あたり、必要な量を小数点以下まで計算して、その人なりの、 昇圧薬の使いかたを表にして、血圧をコントロールするやりかた。中身は全く同

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2008/12/28
    生産ラインの改善がなされて生産効率が十倍に飛躍したとしても、うちの会社の労働時間は一日12時間のままだろうなと思う。中小を抜け出し大手になるまで闘いは続く。そうなると頑張ること(=創意工夫)が空しい。
  • 努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891 これらは当に酷いです。当に酷いと思っていたら、id:y_arimが何か書いていたので、私も便乗して何か書いておこうと思いました。 これらの記事は、いわゆる成功哲学とか自己啓発とかその手の分野に該当すると思いますが、こうした議論の前提にあるのは、何らかの楽天主義です。 上の記事は、自分が変われば世界はあなたにとって優しくなることを説いています。ネガティブはだめなのです。なるようになるのです。世界があなたを否定するのはあなたがさもしい心だからであって、あなたが心を入れ替えようと頑張ればきっと世界はあなたに報いるのです。灯里ちゃんが素敵だからこの世界は素敵なのです。そんなの僕らのA

    努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    keiseiryoku 2008/12/25
    内容には大いに賛同するのだが、やはりというか、ではどうすればよいかという代案が記されていなくて落胆した。
  • 人工無脳は考える

    人工無脳は気軽に「らしさ」を楽しむことができる、知能を持たない会話プログラムです。しかし人工無脳との会話はときとして、論理で固められた人工知能が持ち得なかった人間らしさ ― 即興、いたずら心、感情 ― を私たちに感じさせてくれます。その意味では知能の質を追求するための別の切り口なのかもしれません。このようなロマンを追い求めて日頃とりとめもなく考える雑談的トピックをまとめてみました。 最近の記事より 厳選おすすめ&人気書籍 2008/09/28■自我状態を考慮した人工無脳 - 追記 人工無脳は会話の中でユーザに不自然さを感じさせ、会話が続かなかったり、拒絶されるという点が課題となっている。この原因の一つに人工無脳の印象やムードがでたらめに変化し安定していないことが挙げられる。一方、人は通常意識することなく相手に不適切なメッセージが伝わることを避けてうまくコミュニケーションをはかっている。

  • フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記

    フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかのから引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa

    フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記
  • 「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去

    歴史」をとりあえず「記述された歴史」という狭義の意味で定義してみよう。次に、この「記述された歴史」が、実際に起きた出来事としての歴史と等しいものかどうか検討してみよう。たとえば史料において、われわれは戦国時代の日には織田信長という人がいたことを知る。しかし、もちろん同時代には彼以外にも何千万ものの無名の人々がいたのであって、しかし彼らについては、われわれはおそらく永遠に知ることができない。また、「言語論的転回」*1を経た今日では実際に起きた桶狭間の合戦と史料に記述された桶狭間の合戦の間には、どんなに信頼できる史料だろうとなお、埋めることのできない差異があることは常識である。 以上のことから、「歴史」は「物語」*2であるという言説が産まれる。それはある種の人々、たとえば「新しい教科書をつくる会」のような人々にとっては都合の良いナショナル・ヒストリーを構成するための言い訳であり、このような

    「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 愉しい知識 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    こういう大衆のルサンチマンを刺激して吊り上げ、元々ネット以前から知り合いだった連中とそれを肴に酒飲む はてなも超人の割合が減ってきたなぁ - Automatons Hacking Guide それのどこが楽しいのか、よくわからないんだけど、ええっと、ていうか、それとてもつらい哀しい話にしか聞こえない。そういう「楽しさ」ってむしろルサンチマンそのものにみえる。ニーチェが超人に求めたギリシアの晴朗さとは、対極にあるもの。 引用したブログの書き手は「ニーチェ的な超人」を待望しているらしいのだが、ニーチェの超人ってそもそも優劣の比較とかいう次元の問題ではないのだと私は理解している。他者との能力の計測可能な優劣で人を量るというのはまさにニーチェが畜群と呼んだ人々の感覚ではないだろうか。ニーチェの超人とは、そのような一時の現象にあるいは他者の思いなしに拘泥せず、生への優れて肯定的な意志を持ちうる人のこ

    愉しい知識 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
  • 「心を読み取るシステム」:脳に記録された視覚情報の解読に成功 | WIRED VISION

    「心を読み取るシステム」:脳にある視覚情報の解読に成功 2008年3月10日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (3) Brandon Keim カリフォルニア大学バークレー校の科学者らが開発しているのは、人がさまざまな画像を見ることによって起こる脳パターンを予測するコンピューター・モデルだ。これは、人の心を読み取る第一歩となるかもしれない。 Image: University of California at Berkeley 画像をクリックすると拡大画像が見えます 今見ているものを教えてほしい……いや、言わなくていい。すぐに、コンピューターが脳の活動を分析するだけで、何を見ているか教えてくれるようになるだろう。 『Nature』誌オンライン版で3月5日(米国時間)、カリフォルニア大学バークレー校の神経科学者らがある解読システムを公開した。 研究者チームは、リアルタイ

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    keiseiryoku 2008/12/05
    《「今のうちに倫理について考えておくことはきわめて大切だ」とHaynes博士は語った。》/夢を記録したり、無意識の閃きを記録できたりすれば新たな世界が見えてくるかも。
  • Expired

    Expired:掲載期限切れです この記事は,ロイター・ジャパンとの契約の掲載期限(30日間)を過ぎましたのでサーバから削除しました。 このページは20秒後にNews トップページに自動的に切り替わります。

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    keiseiryoku 2008/12/05
    認識の境界を探る実験はなぜこうも我々を興奮させるのか、と思ったが我々ではなく私だけ?
  • 3ToheiLog: ドラえもんのソリューション

    ドラえもんのソリューション 「ねえ、のび太君。何か困ったことないかい?」 「いや、別に。勉強の邪魔しないでくれよ」 「おいおいのび太君、それがまさに困ったことじゃないか。今から僕の四次元ポケットに入ったソリューションサービスで何とかするから」 「いや、ちょっと待ってくれよドラえもん。どうもきみの四次元ポケットから出てきたものを使うと、ろくなことにならない。自分で勉強して、自分でつつましやかに生きていくのが一番だよ」 「なんだよのび太君、その文明の進歩を全否定するような発言は。いいかい、世の中には車輪の再発明という言葉があるんだ。先人がクリアした問題を繰り返していては人類は進歩しないのだよ。ソリューションもおんなじだ。君が人生の山を登りやすくするために苦労して舗装道路を引いてくれた人がいるのだから、それを使わないのは愚の骨頂というものだ」 「いや、人類の進歩はそうかもしれないけれど、僕の人間

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    keiseiryoku 2008/11/16
    三等兵さんのドラえもんモデルの話は面白い。/何巡すればドラの世界がこんなになっちまうのだろう。
  • それを個性とはよばない - 北烏山だより

    中学で国語を教えていたころ、時折、保護者から言われた。 「うちの子は個性的なので、先生の読みとはちがっていて、テストで○がもらえなくて」 そのたびに、それは個性とはよばないのです、誤読しているのです、と思った。 いうまでもなく、ここで言っている「先生の読み」とは、 この作品はここで感動しなくちゃいけない、とか、 ここからこういう道徳的な価値を見出さなくちゃいけない、という話では断じてない。 この作品は、当然、こう読めなくてはいけない、ということは、 たとえ文にハッキリ書いていなくても、厳然としてある、とわたしは思っている。 そこのところが読み取れていない、ということは、 国語力、読解力が不足している、ということなので、 そこでとんちんかんなことを言うのは、「個性」でもなんでもない。 そういう部分に対して、 「なるほど、おもしろい見方だね」と言って肯定していくことは、教育ではない。 それが

    それを個性とはよばない - 北烏山だより
  • 3ToheiLog: 無神論とか日本教とかドラえもん教とか

    無神論とか日教とかドラえもん教とか 先日のフィクション話と連関するのですが、 「米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望」 の記事を読んでの戯言。 すなわち対象が神であれ指導者であれ問題なのは信仰であり、理性こそ世界のあらゆる問題に対する答えなのだという。 こうしたユートピア思想と選民思想(自分たちこそ最も優れた人間であるという思い込み)は、わたしが参加しているグループにおいても頻繁に感じた。 ううむ。たしかに、日人には多いことになっている「無宗教」と、ドーキンズ張りの「積極的無神論」ってのが、昨今の社会では色々と取り混じっている。要は A・ 私は特定の宗教にコミットすることを拒否する B・ 神を語る行為は科学的でなく、どんな神をも信じるべきでない の違いみたいなもので、Aは自由だと思うけと、Bの立場にはあまり賛成できない。 正直、私の位置するのは、 「

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    keiseiryoku 2008/11/03
    「神の存在と株式会社の存在」よりも分かりやすいかも
  • 3ToheiLog: 死合的・試合的・プロレス的

    死合的・試合的・プロレス的 前のハチワンダイバーのエントリでも少しだけ触れたのですが、前々から考えていたお話。 人間の「強さ比べゲーム」というのは、以下の三つに分けることができるだろうと思う。分け方の切り口はモチベーションだ A:死合的   互いの排除と自己防衛。  B:試合的   共感・交流と技能の向上。 C:プロレス的 観客に強さをアピール。  「A:死合的」というゲームでは、相手の尊厳など知ったことではない。要するに自分が生き残ることが重要なモチベーションであって、淡々と潰しあう「生存闘争」の世界だ。ルールなんてどうでもよく結果が全て。反則なんて概念そもそも存在しない。 「B:試合的」というゲームは、それからチョットずれて「相手の視点」「お互いの尊厳」が重要になってくる。もちろん勝利は重要だけれど、それは「自分が強い」ということを相手に承認させるための作業だ。だから、相手の視点

  • 3ToheiLog: 無神論的な神議論、いろいろ

    無神論的な神議論、いろいろ この前のエントリ:「神の存在と株式会社の存在」 この手の中二病話題はコメント欄のいつきがいいなあ。 ・・・とか思ったりして。やっぱり、私のblog読者は味覚が私と似ているようで。 一杯コメントがあったので、将棋の多面打ち的に話を広げてみました。 今回は、そういう不毛な議論が好きな人向け。 厳密な議論するのも、「エンタテインメント的につまらない」ので、あえてアバウトなままで続けてます。まあ所詮、blog議論なんて私みたいなパーティ哲学者レベルでいいと思うんですよ。このレベルの議論で大事なのは素人のエンタテインメント的面白さだし…。 * なお、多面打ちってのは、脊髄反射的な勢いで「売り言葉買い言葉感覚」というインタラクティブ感覚でやるものなので、読みとか反応が甘いかもしれません。矛盾とか読み違いとか踏み込み甘いトコあったら、その辺スマンです。 あと、細かい説

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    keiseiryoku 2008/10/19
    粒子であり波動でもあるというわけのわからんもの=「光」であるように、「現実」というやつは虚構であり現実でもあるわけのわからんものなんだろうな。/三等兵さんの他面打ちカッケー。
  • 3ToheiLog: 神の存在と株式会社の存在

    神の存在と株式会社の存在 このまえ、昼飯の席で「聖☆おにいさん」の話題が盛り上がった。 あのネタはキリスト教と仏教にかなり詳しくないと、全部フォローできないんだよなあ、とかなんとか。 * で、私がいちおうキリシタンであるという点から、よくありがちなネタを振られた。 「海外の科学者とかで、それでも神の存在とか信じている人って、どう理解しているんだか分からないんだよなあ?」 という質問。 この話題、なかなか返しにくいところなんだけど 「僕の場合、どうせ世界は全部バーチャルなんだから、神がいてもいいんじゃね?くらいのつもりなんだけね」と返した。 このくらいの笑い話スタイルで終えるのがスマートだったんだろうなあ。 ただ、ちょっと納得していないようなので 「『うちの会社が存在する』というのと『神が存在する』ってのは、大体同じようなレベルなんじゃないの?」 というようなヨタ話を追加してしま

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    keiseiryoku 2008/10/19
    世界はフィクション。人生は形成力。