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哲学に関するkeiseiryokuのブックマーク (114)

  • 活字中毒R。

    『下流志向』(内田樹著・講談社文庫)より。 【答えることのできない問いには答えなくてよいのです。 以前テレビ番組の中で、「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いかけをした中学生がいて、その場にいた評論家たちが絶句したという事件がありました(あまりに流布した話なので、もしかすると「都市伝説」かもしれませんが)。でも、これは「絶句する」というのが正しい対応だったと僕は思います。「そのような問いがありうるとは思ってもいませんでした」と答えるのが「正解」という問いだって世の中にはあるんです。もし、絶句するだけでは当の中学生が納得しないようでしたら、その場でその中学生の首を絞め上げて、「はい、この状況でもう一度今の問いを私と唱和してください」とお願いするという手もあります。 世界には戦争や災害で学ぶ機会そのものを奪われている子どもたちが無数にいます。他のどんなことよりも教育を受ける機会を

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    keiseiryoku 2009/10/25
    甘くはない。彼らが構ってほしがっているorあまりに短慮なだけ。手をこまねいてもいられないけれど。/それで、誰を殺したいんだい、とは思う。そうやって言葉を交わしていればそのうち戯言に気付く。甘いかな?
  • 暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び

    前回エントリへのトラバなどへの応答。 逐語的にではなく、ざっくりと。 「よい暴力」と「すべての暴力に反対」 http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091017/1255761383 「尊厳」と「自由」で矛盾してるよ - 地を這う難破船 正当防衛のことを考えてみる。 ほとんどのヒトは正当防衛という行為を否定できないだろうし、僕もそうだ。 ここで、正当防衛を否定しないとして、正当防衛を暴力と呼ぶのか呼ばないのかが対立点になりうることを確認する。 「あらゆる暴力に反対する」というヒトタチは、たぶん正当防衛を暴力であるとは呼ばないだろう。しかし、正当防衛といえども物理的強制力を用いて他者の身体を傷つけたり、ことによると生命を奪うこともありえるわけで、これはやはり暴力であるとみなすこともできよう。正当防衛を暴力の一種と考えるのであれば、「やむをえない暴力」あるいは「よい暴

    暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び
  • 「勝間さん、自分と違う人がいることはわかります?」 - 活字中毒R。

    『AERA』2009年10月12日号(朝日新聞出版)の対談記事「勝間和代×香山リカ〜『ふつうの幸せ』に答えはあるか」より。構成は小林明子さん。 【勝間和代:香山さん、家事は好きですか? 香山リカ:好きじゃないです、全然。 勝間:私、好きなんです。洗濯物がパリッとなったり、お皿がピカピカになったりするプロセスが大好き。自分の行動で物が変化するって、楽しくないですか。だから私、ご飯をべて「ああ、おいしい」と思うだけで毎日が幸せです。今日も昼間、子どもの友達とお母さんがうちに遊びに来たんですが、デリバリーでとったサンドイッチがおいしくて、幸せでした。 香山:ご飯で幸せになれるんだったら、別に仕事で成功したり、資産を増やしたりしなくてもいいんじゃないですか。 勝間:おいしいご飯のためには、そこそこの経済力とスキルが必要です。いいレストランが判断でき、素材を吟味できたほうがいい。使いやすいお玉や粉

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    keiseiryoku 2009/10/18
    勝間《許可や報酬を与えるというのは、迷う時間をなくす意味もあるんです。何秒かでも利他と利己どちらかを迷うことが、会社や社会全体では莫大なロスになる。》/ならば私はロスの塊……。
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/10/07
    これは面白そうな。/しかしヘーゲルまでいかんとですか。
  • 坂のある非風景 なぜ醜悪さが美しさの根拠なのか

    ラカンによれば、主人は自らの奴隷の奴隷にすぎない。(少女)は何匹もの鼠の尻尾を手に結び、彼らをつき従えている。捕者である鼠は少女の奴隷にすぎない。そして捕者の死は彼女の死を意味する。つまり、奴隷である捕者との結ぼれが強固であればあるほど、少女は自分の奴隷に自分の死を委ねる寄生者となってしまう。 ここには病原体の人間への寄生というより、人間による自然への寄生がありえない具象化を経て矮小化されている。矮小化はいつも別の意味を書き加える。愛による支配は、その愛に隷属することであり、愛する対象への寄生だと告げているのだろうか。そうして少女は、愛によって自分が愛する者を噛みちぎってべてしまうことによって自分の死を選ぶほかない、それだけが愛の成就だと告げているのだろうか。 ちょうど片手に五匹ずつ、十匹の鼠が結ばれている。飼育ではなくペットでもない。共生的な寄生、鼠たちは彼女の独立した指だった

  • 書いたりしゃべったり - 内田樹の研究室

    あまりに忙しくて日記を更新する暇がなかった。 月曜から大学が始まった。会議が三つと授業が一つ。 火曜日は昼から夜まで卒論の中間発表会。14 人分の卒論についてお話しを聴き、質疑応答。6時間かかった。 今年の特徴というと、「実務志向」という点である。 私のゼミはご案内のとおり、ひとりひとりの学生が自分の興味のあることを調べて、分析するというただそれだけである。 個別的な領域についての知識や情報を蓄積することが目的ではない(そんなものは、彼女たちの人生にほとんど役に立たない)。 卒論の最大の教育効果は「どうして自分は『こんなこと』に興味を持ったのか」、その理由について長期的に(うっかりすると死ぬまで)考えなければいけない点にあると私は考えている。 だから、卒論の冒頭にはもちろん「どうして私はこの研究テーマを選んだのか」を書いてもらう。 これまで私は数百の卒論を読んできたが、この「テーマ選択の

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    keiseiryoku 2009/10/02
    どうして正論どうりになってくれないのか。
  • 真実の在処 - 備忘録の集積

    ありか - 詩歌ノート - hakoniwaグループ −−−−−−−−−−−− 人は皆、よりよきものを求めて旅をしているのでしょう。安っぽいJ-POPが歌うような「退屈な日々」「繰り返しの日常」の檻に閉じこめられてしまった人たちをも、比喩――人生がよりよきものを求める旅だという譬え――は強欲に己の懐へ抱き込んでしまいます。世間の盲目の羊たちを惑わす占い師の口からひり出される言葉のように、曖昧で温い解釈が怠惰に広がって私たちを包みます。出逢いを求めているといわれたなら否定のしようがありません。誰しもが何らかの意味で、ときに良き友を、ときに良き恋人を求めているはずなのですから。 よりよきものの正体は漠然としていて、人によって形を変えます。満たされた環境では、人はいつまでもごうつくばりで不足に喘ぎますが、乏しい環境におかれてこそ却って心が満たされることもあるでしょう。 そのよりよきものに真理とい

    真実の在処 - 備忘録の集積
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    keiseiryoku 2009/08/30
    無為に書けたものは私を超えていきます。私には書けないはずのものが書ける。このエントリは没我に至れず、その枠を出なかった。
  • ぱっぱぱらりあ - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090813/1250130867 「現代文」の授業は何のためにあるのか。それは事実認識的な問いなのか、それとも規範的な問いなのか。What is or what should be? 前者であれば、文部省の学習指導要領とかを見て下さいということになる。後者については、最後にちょっと言及してみたいとは念う。 さて、 川端康成とか夏目漱石とか、文豪と呼ばれるような人たちの作品は、よく国語の教科書に登場する。そして俺が20年以上前に受けた国語の教育では「このとき登場人物はなにを考えていましたか」というかたちで設問があって、先生がなんか黒板に書いて教えてくれたりする。当時の俺は「なんでそんなことをする必要があるのか」がそもそもわからなかった。 こうした経験はおそらく多くの人に共有されていると思う。俺が当時よく思っていたの

    ぱっぱぱらりあ - Living, Loving, Thinking, Again
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    keiseiryoku 2009/08/20
    紹介されている本が面白そうなので読んでみたいところ。
  • 坂のある非風景 脆弱さを脆弱さの表現に返そう

    有責感を掻き立てるというのが、サルトル流の、したがって大江健三郎流のアンガージュマンだったことを思い出さずにはいられない。社会悪を知る知力があって、その社会悪に何もなさないのは悪に加担しているのだと彼らは語った。有責感が有責を作り出していた。 そこでは罪意識が罪の源泉である。罪意識が、欲望をあきらめたことに対する超自我による復讐である以上、罪意識はかならず私の裏切りを告発していた。超自我は有罪だけを確実に裁く完全な法だった。したがってインテリゲンチャとは、社会悪を知る、そして社会参加を余儀なくされた特別な階級を意味するのではなく、まんまとその罪意識の円環に閉じ込められた者たちを指していた。 よくわからないのは村上春樹などが、遅れながらやはりその社会参加思想を歩んでいるということだ。それもすでに全体主義的な円環に閉ざされているということではないだろうか。そこでは無辜の傍観者といったものは許さ

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    keiseiryoku 2009/08/14
    サルトル/《それは自らの強固さそのものによって砕ける運命を私たちに見せようとしていた。》真の懐疑主義の最後は破滅、みたいな。
  • 漫画の読み方はどのように体系立てて内面化されているのかという話 - ポンコツ山田.com

    このエロ漫画のコマ割がすごい ほかまみつり『Chocolat』のコマ割がすごい - karimikarimi こちらの記事で触れられているコマ割の表現論について、思ったところを軽く。 私の記事内でkarimikarimiさんの画像基づいた言及が多くあるので、まずこちらの記事を読んでいただくと話が通りやすいと思います。 リンク先の記事で引用されている『Chocolat』(ほかまみつり)の画像について、karimikarimiさんは読む順番を中心の少女を軸にすることで、 右上→左上→左中央→右中央→左下→右下(以下、便宜上この順でコマを1〜6とします) となると提示されました。 ですが、私が文章を読む前にこのページをパッと見たとき、 右上→右中央→右下(→中央の少女)→左上→左中央→左下(146235の順) の順でコマを読みました。 この違いはなぜ生じたのか、私の思う漫画を読む時の法則性を元に

    漫画の読み方はどのように体系立てて内面化されているのかという話 - ポンコツ山田.com
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    keiseiryoku 2009/08/12
    コマ割り理論/ここまでくると哲学っぽい。ゲシュタルトの話。/私も縦読みだった。
  • 哲学 旧作品No.74826 | pya! (ネタサイト)

    「今学期に学んだ全てを使ってこのイスが存在しないことを証明しなさい」 ↑この一言で教授は存在を認定しているんだが、それを無いと証明すると言う行為は教授の知性を否定する事であって、ひいては授業の存在価値を0に貶めると言う事になる訳で、価値0の授業の成果を全動員してもその理論に裏づけが為されなくなってしまう。言うなれば、ここで問われているのは、学生の一年間の努力が雲散霧消しないために、教授の妄想(有りもしない椅子)の存在を敢えて否定してみせる所に評価の基準が置かれるわけである。 故に、たとえ見えない椅子であろうとも『優』の評価を得るためには、全力で屁理屈を述べまくるのが正しい学生のあり方であって、椅子の存在の有無などどうでもいい瑣末な事なのである。 悲劇なのは、教授自身がこの事に全く気がついておらず、トンチで切り抜けた学生を不当に評価してしまったと言うと心にあるのである。・・・・・・・・・・・

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    keiseiryoku 2009/07/18
    いいッス。
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    keiseiryoku 2009/07/17
    《こういうと変化もしれませんが》誤字かわざとか分からん。/二・三番手になると本当に手抜きになるのがもうw/幼少の記憶がまったくない。演歌うたえたとか知らんし、なにそれ。
  • まだ自由意志は存在すると思いますか? - すべての夢のたび。

    昨日、「自由意志は存在すると思いますか?」というアンケートをやってみました。結果はこんなです。 自由意思は存在すると思いますか?自由意思は存在すると思いますか?すると思う 193しないと思う 75その他 32 回答者の内訳を見るとちょっと面白かったです。「しないと思う」割合は、男性より女性のほうが多く、また年齢が若いほど多くなる傾向が伺えます。俗っぽい見方をするなら、そういう人たちのほうが生きる上でより不自由さを感じているのかもしれません。逆に年を経た男性は、自分の力で世を渡ってきたんだぜーみたいな。「その他」の人がどういう答えを持っていたのかも気になりますね。誰もコメントを書いてはくれませんでしたけれど(笑)。 さて。自由意志についてなんか書こうと思ってとりあえずウィキペディアを見たのですけど、凄い充実度でびっくりし、もうちょっとこの辺ちゃんと読んでから考えようと思いました。 「自由意志

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    keiseiryoku 2009/07/17
    自由意志は魂だよなあ、魂が感じるものだ。魂がフィクションなら人間もフィクションだし社会は殊更フィクションだ。フィクションを生きる限り自由意志はある。フィクションしか感じられない以上リアルなんてない。
  • Gazing at the Celestial Blue 「自由」ってどういうものなのか、よく解らない

    このところ読み返している何冊かの内の一つで、遙洋子さんが男女共同参画社会基法をこんな風に表現していた。これはみんなで平等になりましょう。で、平等というのはね、という法律だった。そして気づいたことがある。それは、平等というのは、平等を定義しなければならないほど、人は平等がなにかわからないということだった。「平等はいいことだ」はわかっていても、じゃあ、なにが「平等?」と聞かれて、いったいどれぐらいの人がそれにこたえられるだろう。(略) なにが平等かを定義することとはつまり、なにが平等でないかを指摘することから始まる。 そうして、2001年の正月に、遙さんはこの法律に関するテレビ番組に出演し、旧知の番組スタッフに問われたいう。「で……どうしたらよろしいのん?」 「え?」 「いや、だから、基法の理念はわかるんですが、で、……僕らどうしたらよろしいの?」 彼らは下請けのスタッフだった。つまり、市

  • 十三年ぶりに知恵遅れの同級生と会った

    知恵遅れ、いわゆる、精神発達遅滞の同級生と地下鉄の電車で会った。正確には電車内で騒ぐ声を聞いて彼だとわかった。 彼と会ったのは十八、九年前、小学生のとき、先生から学校の特別枠、児童擁護組(花の名前といった●●組)の生徒と紹介された。体育や図工の時間など合同で授業するので、クラスのみんなとは面識はあった。 彼はいついかなる場所もえへらえへらと笑い、日語をはっきりと喋ることができなかった。クラスのみんなは早い時期から自分達とは違うんだと気づいた。児童擁護組にいるからという理由で“ヨーゴ”というのが彼のあだなだった。 小学五年生のときだったか、彼は知恵遅れ(当時は精神発達遅滞という言葉を教えてくれなかった)という先天的な障害だということを理解した。しかし、クラスは同じいじめを続けていた。中には彼をかばう女子もいたが、彼がいなくなると決まって陰口を叩いていた。頭の中ではわかっていても、彼を同じ人

    十三年ぶりに知恵遅れの同級生と会った
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    keiseiryoku 2009/07/05
    いつか大人になるということが信じられず呆然と夕日を眺めていた子供の頃を思い出した。桶の欠損した一枚の板から水は流れ落ち十全に満ちることがない。互いに有限であることを認めるも楽園は描かれず。
  • どうすれば良かったんだろう

    夫が亡くなったときの対応について わがままを聞いてはいけなかったろうか? 1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。 個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。 抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。 そのときから、夫のわがままがひどくなった。 まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。

    どうすれば良かったんだろう
  • 大人毛ない話 - finalventの日記

    まいどの話。爺とか言われて、まあ外見もここでの文章もそうというか人がどう考えるのかはご勝手に以上はないが、実際に老いていく自分ものに閉じ込められている自分の少年みたいな意識はそれはそれで閉塞的な苦しさはある。 50歳の男にもなれば40歳女でも若いし、そう見えないこともないのだが、反面、20代の女ですら、どこかしら年上に見える心性もいまだにある。そして、どうもこれは一生克服することはなかったなというのは、女への怯えというものだ。恐怖と言ってもいいかもしれないが、微妙なものがある。 吉行淳之介はあれで生涯女が怖かった。これは「「 春夏秋冬 女は怖い―なんにもわるいことしないのに (光文社文庫)」」と洒落のめしている背景にあるもので、おそらく生物的な心性に支えられた女というもの、生物的な関与への恐怖のようなものだっただろう。講演をしていると彼はモテる男でもあり女がぞろっと集まるのだが、みんな自分

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    keiseiryoku 2009/06/28
    薄毛が気になるとかいう内容と思って覗いたのに/《女を群れ付けるイケメン男だから、という、群れ的な匿名性のなかにすっと入り込んでしまう。》誤読されそうだが美文。
  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
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    keiseiryoku 2009/06/19
    ←このタグは違う気がするが……/激しく同意/《「社会ってそんなもんじゃないですか?」》 そんなもんでいいのか? そんなままでいいのか? と思わないのだろうか。更にいえば社会て抽象的すぎ。
  • 『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    はじめに ユリイカ2007年11月臨時増刊号 総特集=荒木飛呂彦 鋼鉄の魂は走りつづける 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/11/26メディア: ムック購入: 5人 クリック: 886回この商品を含むブログ (130件) を見る 大変いまさらな話題なのですが、『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集(11月臨時増刊号)を年末に購入して読みました。そうしたらやっぱりジョジョを読み返したくなってしまって、年末年始からマンガ喫茶で読みふけっています(最近出た第4部のノベライズ版も購入したのですが、残念ながらまだ読めていません)。個人的には、ジャンプを読み始めた頃にちょうど始まったということもあり、「第4部」が一番好きなんですが、やはりラストの圧倒的な感じは「第6部」が抜群だと思っています。そこで唐突ではありますが、以前、第6部について個人的に書いてみた文章があるので、少し手を加えて、ここにアップ

    『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
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    keiseiryoku 2009/06/17
    ジョジョ第六部を最大限に読み解くために。
  • 仏滅上等: 「ジョジョ好き」のための佛教講座

    ①しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し :「教行信証」 ②悪道に下りて累世に勤苦す。 その中に展転して 数千億劫も出づる期あることなし。 痛みいふべからず。 はなはだ哀みんすべし。:「無量寿経下巻」 ③自身これ現に罪悪生死の凡夫、 こう劫よりこのかた、つねに沈み、つねに流転して、 出離の縁あることなき身としれ。:「散善義」 ああ~どうやって説明すりゃ~いいんでしょうねえ。 せっかく 経典や高僧方の御書物には 頭の悪い坊主にもわかるように丁寧な言葉がつかって下さってあるというのに 私がそれを誰かに伝えようと 自分のくちを通すと なんか 似ても似つかないものが出てくるわけでございます。 坊主やってると 自分の表現力の貧弱さに日々打ちひしがれるわけです。 「う~ん法話の原稿が書けない!」と悩む黒骨です。 そんな謙遜に見せかけた卑下慢はさてお

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    keiseiryoku 2009/06/17
    《お釈迦さまは (誰もが この<輪廻>というスタンド(本体は煩悩)によるスタンド攻撃にさらされている)と説かれ、(これが苦の根本であるから 解決しようとお思いなさい)と説かれているわけです。》