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マンガと言語に関するken_woodのブックマーク (2)

  • 日本語って変かも - 内田樹の研究室

    大学院のゼミ、今季は「日辺境論」である。 日の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。 第一回目の発表はイハラさんの「外来語」。 これはなかなかすぐれた着眼点である。 というのは、日語は外来語に対して、世界の諸国語の中でも例外的に開放的な言語だからである。 原日語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。 私たちの使う言語には、それらが混在している。 どうして、漢字カタカナひらがな alphabet が並存するような言語が成り立ちうるのか。 こういうことは、あまりに当たり前なので、ふだんは私たちはあまり考えない。 それについて考えてみる。 このタイプの混淆言語は巨大な文明圏の周辺部分に生まれる。 朝鮮半島もインドシナ半

    ken_wood
    ken_wood 2008/05/15
    >混淆言語は巨大文明圏の周辺に生まれる。日本人の識字率の高さ、表意表音で脳内の二カ所を同時に使っている。だからマンガが生まれた。非日本人の「マンガ・リーダー」たちがほぼ全員「アニメ」から入っている。
  • ヴォイスを割る - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの二回目。 宿題をして来たものだけ受講を許すといったら、一気に半分以上いなくなって(やれやれ)、40人ほどになる。 これなら、まあなんとか課題を出して読めない数ではない。 二回目は「ヴォイスを割る」ということについての課題でたぶんほとんどの人が「勘違い」をしているであろうというお話から入る。 「割る」というのは水平的、空間的に割るのではなく、「次元を割る」ということである。 「ご飯をべる」という一行を、「箸を手に取り、茶碗をたぐりよせ、口を開いて、口中に投じた米を咀嚼し・・・」というふうに書くのは「割る」でもなんでもなくて、ただの「引き延ばし」である。 町田康さんの一文を読んで、そういうふうに解釈した人はその段階で課題の理解を誤っている。 町田康の文章のもつコミュニケーションの深度は、「いまこの文章を書きつつある私のメカニズムそのものへの批評的自己言及」によっ

    ken_wood
    ken_wood 2008/05/15
    >「割る」というのは「次元を割る」ということである。「ご飯を食べる」を、「箸を手に取り、茶碗をたぐりよせ、…」というふうに書くのは「割る」でなく、ただの「引き延ばし」である。『Heaven?』小田嶋隆
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