島倉千代子は70年頃、ステージ上でファンの投げたテープが眼に当たり、大けがをするという事故に見舞われている。一時は失明の危機にまで陥ったが、担当医の治療により無事回復。これが縁で島倉と担当医は深い仲になる。彼はその後、さまざま事業で失敗して島倉に莫大な借金が残った。島倉のもとには、暴力団が取り立てにやってきて、劇場の楽屋で騒がれたり、車のボンネットの上に乗られたりと、嫌がらせを受ける毎日。 1977年そんな借金まみれの島倉の前に現れたのが、赤坂などで水商売を立ち上げていた細木だった。 細木によれば、77年に債権者に追われて島倉が泣きついたのが、暴力団「二率会」の4代目会長(当時相談役)で小金井一家の幹部だった堀尾昌志という人物の知人であったという。この知人から相談を受けた堀尾は、自ら1億5000万を作って島倉の債権者に返済したと言う。(かつての細木の証言によれば、赤坂で自身がサパークラブを