「掛け算順序固定」ビリーバーな教師に我が娘が当たらないことを切に願う。数学界はこの問題を全力でどうにかしてほしいと願う。 “「掛け算順序固定」問題対策本部 - 掛け算順序問題目次” http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/27.html "教育がやばい「掛け算の順序にこだわる教科書」"http://togetter.com/li/422486 続きを読む
2013-11-19 自分を「ダメ人間」だということをわざわざ言語化する人は、本当に自分がダメだとはわかっていない 眠れないからブログでも書く。 twitterとかで、自分のことを「ダメ人間」であるとか、「死にたい」とかいうことをわざわざ言う人がたまにいたりする。 けれど、こういったことを言う人というのは、全く自分のことをダメ人間だと認識できていないし、死にたいと心の底から信念を持って言っているわけではないのではないかと思う。 というのも、僕は最近になってようやく少しずつ自分のことをダメ人間だとわかってきたのではないかと思っているが(もしかしたら自惚れかもしれないが)本当にそう思うようになると、わざわざそんなことについて言及するのがバカバカしくなってくるのである。 なぜなら、人間は自明であることについてはわざわざ言及しないからだ。 例えば、現代日本に生きている僕らは、「僕らには言論の自由が
2013-11-19 自分がダメ人間だとつぶやく愛すべき人たちへ、その苦しみから逃れるためには自分の価値を完全に否定するしかない 今回の記事に対してすごい反響がありました。あまり気合を入れずにささっと書いたので少しびっくりしました。 みなさんのブコメ、たぶん全部読ませていただきました。普通に全然伝わってねえなと思いましたが、それは別に普通のことだと思うので(文章、テクストというのは書き手の意志とは独立したものだと思うから)まあそうなのですが、感想は、嬉しいというのともちがって「面白い」というのが近いと思います。みんなこういう反応なんだ、なるほどなあという感じです。 まず最初に、「自明であることを言語化するなと言っているのに自分がそれを言語化している矛盾をどうするのか」といったことが書かれていましたが、一人書いている人がいたように、自明であることを言語化をするなというよりは、言語化した時点で
恋愛結婚は近代から 現在、日本人の結婚の約87%が恋愛結婚となっており、恋愛による結婚こそ男女の結合の自然な形態であるという考えが広く普及しています。しかし、歴史研究の進歩によって、恋愛と結婚が強く結びつけて考えられるようになったのは、ごく最近、厳密には近代に入ってからであることが明らかになってきました。そもそも日本で「恋愛」という言葉が使われるようになったのは、実は明治時代になってからのことです。当時、『女性雑誌』という雑誌の主宰者をしていた巌本善治が、英語の「love」に「恋愛」という言葉を当てはめた最初の人物であると言われています。彼は、「恋愛」とは「清く正しく」「深く魂(ソウル)より愛する」ことであり、「恋」のような「不潔の連感に富める日本通俗の文字」とは異なって、非常に崇高で価値あるものであると説きました。彼の恋愛論をきっかけとして、「恋愛」という言葉や感情・行為が広く社会に浸透
東北大学の黒木玄氏が“掛算の順序にこだわる教え方”に関して意見表明をしろとツイッターで呼びかけていた*1ので、微力ながら“掛算の順序にこだわる教え方”への反対意見を表明をしてみたい。 “掛算の順序にこだわる教え方”と言われても理解できない人が多いと思うが、小学校の算数で問題文と数式の構造を強く結びつける教え方だ。例えば1個100円のリンゴが5個ありその総計金額を求める場合、100×5=500と立式するのが正解になり、5×100=500が不正解になる。わけが分からない? ─ 私も良く分からない。 驚くべきことに、最近の小学校では交換法則(可換則)を教えた上で“掛算の順序にこだわる教え方”を続けているそうだ。毎年、秋口になると意味不明なバツを子供がもらっていると話題になる*2。ここ数日は、以下のような怪しい授業ガイドが出回っていた。 xとyと言う変数を使っているので小学6年生に教える内容のよう
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