東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の市立博物館が所蔵する植物標本200点の洗浄作業が11日、飯田市美術博物館で始まった。陸前高田市立博物館では学芸員ら4人が死亡・不明といい、収蔵品の管理が困難になっている。貴重な資料を修復し、自然界の探究に傾けた先人の情熱を後世に残そうと、全国の24施設の植物専門家が洗浄作業に乗り出している。県内での作業は飯田市美術博物館だけだ。 初日は、同館の専門研究員、蛭間啓さん(36)が中心となって作業。同館評議員で伊那谷自然友の会の元会長、北城節雄さん(79)らボランティア計4人が手伝った。 標本は、半紙よりやや大きい美濃判の台紙に植物が固定され、一枚一枚ビニール袋で包まれていた。長野県内ではめったに見られないツルカノコソウなどの草のほか、コウゾやカジノキなどの樹木もある。9割ほどが海水や泥で汚れ、カビが発生している標本もあった。 蛭間
震災で土蔵が壊れるなどして保管が難しくなった古文書の救出要請が、各地から宮城県仙台市のNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(理事長=平川新・東北大教授)に相次いでいる。史料は処分されれば再現できないだけに、休日返上で飛び回っている。 宮城資料ネットは、03年7月に起きた宮城県北部地震を機に、被害を被った地域の歴史資料の散逸や消滅を防ごうと設立された。歴史研究者や大学院生など約百人の会員がいる。 これまで民家に残されている文書をデジタルカメラで撮影し、目録を作り記録保存に取り組んできた。震災前までに415軒で調査し、20万点の史料を扱い、約3割を写真に残した。 今回の震災後、初の歴史資料の救出作業が4月8日、石巻市門脇の旧家で行われた。江戸時代に回船問屋を営んでおり、震災で一帯の建物は倒壊や流失したが、文書を保管していた蔵は奇跡的に残った。文書は数千点あり、段ボール60箱ほどに。多賀城市の
テーマ: 被災文化財救済の初期対応の選択肢を広げる ―生物劣化を極力抑え、かつ後の修復に備えるために― 日時: 2011年5月10日(火)13:30~17:00 場所: 東京文化財研究所 地下会議室(またはセミナー室) お申込み締切は5月6日(金)。 プログラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13:30 開会あいさつ 13:40~14:20 フリーランス・パパーコンサバター 坂本 勇氏 「インドネシア・アチおよび東北の大津波で被災した文化遺産の救出活動について」 14:20~15:00 東京大学大学院農学生命科学研究科 江前敏晴氏、と東嶋健太氏 「紙文書類のカビ抑制に与える塩水の効果について」 15:15 紙修復家 谷村博美氏 「プラハ洪水の際、被災文化財レスキューに使われたスクウェルチ・パッキング法」 16:00~17:00 情報交換・意見交換 コメンテーター(順不同):
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Tweet 高田松原が松を1本残して全滅、陸前高田市立博物館が壊滅するなど、本県の文化財や関連施設にも甚大な被害を与えた東日本大震災。古里の再生・復興を進める上で、歴史文化は地域住民の心のよりどころ。県内の関係者による「文化財レスキュー」が徐々に始まっている。 陸前高田市高田町の市立博物館、隣接する市立図書館、市の埋蔵文化財収蔵庫はいずれも津波で壊滅。県教委の呼び掛けに応じた県内各地の市町村の埋蔵文化財担当職員約20人が4月から、貴重な資料の救出作業に着手した。 同市には国史跡の中沢浜貝塚、堂の前貝塚など縄文時代を知る上で極めて重要な遺跡が数多い。出土土器などが収められていた収蔵庫は2階建てだったが、津波で2階部分と1階の大半が大破し、周辺のがれきや土の間に土器片が散乱。 レスキューに訪れた市町村の職員も、あまりの惨状に言葉を失う。黙々と土器片を拾い、コンテナに収め搬出。平泉町教委と奥州市
東日本大震災において文化庁が中心となって組織している文化財レスキュー事業では、対象物が指定・未指定に関わらず救出が行われるとされている。実際、所蔵施設では指定・未指定に関わらず混在している状況も多く、現場で取捨選択の判断は難しい訳なのでこの判断は正しい。 一方、災害時での自治体の対応マニュアルでは、災害後の罹災状況確認が行われるのは指定・登録等を受けている文化財、ないしは博物館等で所蔵している資料に限定されているケースが多い。 かつて阪神淡路大震災での文化財レスキュー等においては、当時は有形文化財の悉皆調査が行われてこなかった事もあり、特に個人所有の未指定物件の所在の多くの棄損状況が確認出来なかった事があった。実際には現在でも多くの自治体でそのような未確認状態が続いている。 より正確に言うならば、特に近代以降のモノが市民から文化資源として認識・価値付けられ、極めて広範囲の分野に及んでいる
東日本大震災で被災した文化財を救うため、3月31日に文化庁から「文化財レスキュー事業」の概要が発表されました。その後、4月25日に初会合がもたれ、5月4日から宮城県にレスキュー隊が派遣されることが決まりました。 大きな災害が起こったときには人命救助や生活の復旧がまず優先されます。しかし、地域の歴史や文化の記憶をとどめてきた文化財の救助活動も重要です。そのために、阪神淡路大震災が起こったときに、震災によって壊れてしまったり、瓦礫に埋もれてしまった文化財を救い出そうとしたのが文化財レスキューの始まりです。 では、文化財レスキューの仕事はどのようなものなのでしょうか。 まず被災した文化財を被災現場から運び出し、安全な場所に一時保管する仕事があります。また、ほこりや泥で汚れてしまったり壊れてしまったりした文化財が、これ以上悪い状況にならないように保護することも大切です。そして、救い出された文
東日本大震災で被災した文化財を回収し、応急処置する「文化財レスキュー」に参加した奈良文化財研究所(奈文研)の松井章・埋蔵文化財センター長らが27日、県庁で活動報告した。宮城県石巻市の石巻文化センターでがれきを撤去した結果、28日に貴重品庫から歴史・民俗資料などを搬出できるようになったと説明した。【高瀬浩平】 文化財レスキューは文化庁を中心に、奈文研や東京文化財研究所などの専門家らで結成。奈文研は津波で被災した同センターに3人を派遣した。 松井センター長によると、1階の天井付近まで水位が上がった跡があり、収蔵庫の前に土砂やごみ、大形の民俗資料がたまり、扉を開けられない状態だった。4月20日から、文化財を選別しながらスコップでがれきを撤去し、25日に貴重品庫の鍵を開けることができた。重要な文化財は大きな被害を免れ、28日に搬出し、宮城県内で一時保管する。紙の資料は5月ごろ奈文研に運び、真空凍結
東日本大震災による大津波で収蔵文化財に甚大な被害を受けた石巻市文化センターで28日、「文化財レスキュー隊」が泥まみれになった美術品や考古学資料などを救出し、県美術館に搬送した。 文化財レスキュー隊は、文化庁や国立文化財機構、東京国立博物館などを中心に文化財専門家らで結成した。被災した文化財を救出し保存するのが目的。 市文化センターは大津波で床上3・2メートル浸水。1階にある収蔵庫4室のうち美術品や民俗資料、考古学資料が泥水をかぶった。また、民俗資料の一部が流失した。 同文化センターには、十数万点の文化財資料が収蔵、展示されている。2階の毛利コレクションや同市出身の彫刻家・故高橋英吉の常設展示室の資料は無事だった。 この日は、25人のレスキュー隊員が、泥にまみれた美術品を中心に、はけなどを使って泥を落とすなど応急措置を実施した。絵画は表面を保護する「表打ち」を行うなど約80点を搬送した。【石
私たちは、文化庁の要請により平成23年4月早々に文化財・美術関係諸団体等が結集して、標記の委員会を立ち上げました。そして岩手・宮城・福島・茨城の各県内の被災博物館・資料館等で、地域の貴重な文化財等の救援にあたってきました。この2年間の活動により被災県から要請のあった90を超える施設等の展示・所蔵文化財等を大量に救い出すことが出来ました。その結果、全国的な救援活動の必要性は薄れたと判断されたため、救援委員会は平成25年3月末をもって解散したところです。 現在、被災文化財等の多くは、幾多の関係支援機関の施設で応急修理を終え、提供された保管場所で一時保管されています。しかし、早急に本格的な修復を要するものも多く、これらを無事所有者等へお返しすることができるまでには、なお相当の年月がかかると予想されます。そのため、救援委員会は解散しましたが、これに参加した各機関・団体では被災文化財等に関する情報を
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