試合後、ミックスゾーンと呼ばれる報道陣と選手が入り交じる場所で、記者からの質問を受けてもいつも嫌な顔をせず応えているのが鈴木啓太だった。 そんなところにも人柄の良さがにじみ出ていて、鈴木の成功を祈った人たちは多いはずだった。 ところが、鈴木には何度も試練が訪れる。 2004年、アテネ五輪のアジア最終予選ではキャプテンを務めた。「谷間の世代」と揶揄された選手たちをまとめ、無事本大会出場を決めたのだ。ところが本大会のメンバーからは漏れてしまう。 イビチャ・オシム監督時代は「水を運ぶ選手」として労を惜しまず走り回った。オシム監督がただ一人選び続けるほどのお気に入りだったのだ。ところがオシム監督は病に倒れる。さらに鈴木も病にむしばまれ、復帰した後は代表チームから遠ざかっていった。 浦和に入団した2000年、チームはJ2でもがき苦しんでいた。2007年と2014年には大逆転でリーグタイトルを失った。