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日本と戦争に関するkj-54のブックマーク (5)

  • ビルマ戦に参加した元英軍兵士の来日の真実について | 地政学を英国で学んだ

    今日の横浜北部は朝から曇りがちでして、時折日がさす微妙な天気。ここ数日はやけに暖かいですね。 さて、久しぶりの更新ですが、私が個人的に手伝っていたイベントについて少し。 ブログを数年前の私の留学時代から追いかけている方はご存知かもしれませんが、私はイギリスに行っている間に向こうに在住の日人の方からいただいたご縁で、ビルマ(インパール作戦)で互いに戦った日と英国の元兵士同士の「戦友」としての和解を推進する協会のお手伝いをさせていただいております。 今回はその協会が歴史的なイベントを行うことになり、すでに日のいくつかのメディアでも報道されているように、英国側の元兵士が来日して、日側の兵士を会うとことになりました。 すでにこの元兵士の方(ロイ・ウェランド氏:93歳)は帰国されたのですが、私は数日ほど彼らのアテンドという形でお手伝いをさせていただきました。 現在は無事にイベントが終わって

    ビルマ戦に参加した元英軍兵士の来日の真実について | 地政学を英国で学んだ
    kj-54
    kj-54 2014/11/05
    『10月24日にこの兵士の方が靖国神社に昇殿参拝して、後に彼はこの参拝が今回の来日の中で最も感動したことだったと述べたことです。…「日本人側の勇敢な兵士たちの気持ちが、靖国に行ってよくわかったから」』
  • 戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜 元自衛官からイスラム国を目指した北大生まで | JBpress (ジェイビープレス)

    イスラム国への参加を考えていた26歳の北海道大学生(休学中)が、警視庁公安部に私戦予備・陰謀罪容疑で任意の事情聴取を受けた事件が、大きく報じられた。 当初、このニュースは「日からイスラム国に、イスラム過激思想の若者を兵士として送り込むルートがあった!」という衝撃的なイメージで報じられたが、当人である北大生の動機が、就活に失敗して将来への展望を見失い、違う世界に行けば何かが変わるかもしれないと期待してのことだったこと、さらに仲介者とされた元大学教授のイスラム法学者もべつに自ら募集していたわけではなく、単に相談を受けて助言・斡旋していた程度だったことが明らかになり、事件の構図としては、国際テロ事件というような大仰な話でもないことが徐々に判明してきた。 この北大生とともに千葉県在住の23歳のコンビニ・アルバイト店員も一時、イスラム国参加を希望していたが、彼の動機も似たようなレベルであり、いわゆ

    戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜 元自衛官からイスラム国を目指した北大生まで | JBpress (ジェイビープレス)
    kj-54
    kj-54 2014/10/18
    気分はもう戦争
  • 日本人慰安婦の話(美輪明宏)と元日本軍慰安婦に関する正確な知識

    ~二次加害者とならないために~ 日人慰安婦の話と、元日軍慰安婦に関する正確な知識 2015.1.14 【日人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより) 今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。 あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。 従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。 これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。 でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。 そして聞けるのは大体、韓国中国の従軍慰安

    kj-54
    kj-54 2014/05/05
    三輪明宏が少年時代丸山遊郭で経験した話。「祖国の女たち」歌詞あり。
  • 「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS

    社会運動、政党政治、普通選挙――民主主義的な言論や運動が活発に行われた「大正デモクラシー」。しかし、その後日戦争の時代へと突入してしまう。なぜ大正デモクラシーは戦争を止められなかったのか。歴史学者の成田龍一氏に話を伺った。電子マガジンα-Synodos vol.142より、一部を転載。(聞き手・構成/山菜々子) 「大正デモクラシー」とはなにか ―― 今回は、「大正デモクラシーはどうして戦争を止められなかったのか」というテーマでお話を伺えればとおもいます。まずは、「大正デモクラシー」はどのようなものだったのでしょうか。 まず、「大正デモクラシー」という言葉についてですが、これは同時代に使用された言葉でもなければ、歴史用語として定着しているわけではありません。論者によって「大正デモクラシー」といったときの時期や内容や評価が様々です。「大正」という元号と、「デモクラシー」というカタカナとが

    「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS
  • 米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)

    「集団的自衛権」の見直し、首相の靖国参拝など、周辺諸国から「軍国主義化」の懸念も表明され始めた、このところの日。では、「あの戦争」を、70年前の日人はどのように戦ったのだろうか? 『日人と日兵』(講談社現代新書)著者の一ノ瀬俊也氏に、敵であるアメリカ軍の目に映った日兵の赤裸々な姿について話を聞いた。 実は弱かった「日軍」? ――単刀直入に言って、米軍の日軍に対する評価はどうだったのでしょう? 高かったのか、低かったのか? 一ノ瀬 同時代の他国陸軍との比較ということであれば、決して高くありません、というより低いです。当時のヨーロッパにおける陸戦はまず航空部隊が敵の正面から後方まで爆撃し、続いて戦車部隊が前面に出て敵陣を突破、これを後続の歩兵部隊が占領するという機甲戦になっていますが、これに関する日軍の装備・戦術は最後まで日中戦争レベルに過ぎない、という低い評価です。各戦場で相

    米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)
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