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ブックマーク / www.axcx.com/~sato (2)

  • 「B級保存版」過去商業原稿

    ブルーハーツは、80年代も後半に向かう時期、矢沢栄吉をヒーローと崇めるような従来のヤンキー系不良でもなく、サブカル教養のあるニューウェーブ系でもなく、大多数の中間的なマス層の若者に語りかけるロックとして登場した。 それまでになく平易な日語で、例えば「いつか会えるさ きっと会えるさ そんな仲間に」(街)といった、孤独やそこから生まれる他者と繋がりたい願望、「戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない」(NO NO NO)といった大人への素朴な反発を歌った彼らに共感していた、80年代後半の多数の中間的な若者とは、どんな存在だったのだろうか? 当時、既に60、70年代的なカウンターカルチャーや学生運動の文化は消えうせ、その後のツッパリ、暴走族ムーブメントも、80年前後頃の最大の盛り上がりを経て(金八先生や校内暴力を思い浮かべて欲しい)沈静化し、番長ヒーローはリアリティを失って極端にインフレ化す

    kj-54
    kj-54 2015/07/19
    ブルーハーツは『若者たちの「繋がりたい」願望』をすくいあげて支持をえた、との説。虚をつかれた感じがする。
  • 書評:「あたしの民主主義」

    年春、大月隆寛氏の新刊『あたしの民主主義』(毎日新聞社)が刊行されました。 十年来の愛読者としても、なかり出来のよいだと思います。 こういうと実に偉そうですが、わたしは「ゴーマニズム宣言」のブレイク以前から(小林よしのり氏に関しても「ゴー宣」以前の「おこっちゃまくん」いや80年代初頭の「マル誅天罰研究会」以来の愛読者だけどね)浅羽通明・大月隆寛両氏の愛読者を続けてます 。 で、今回は、そんなオヤジ世代として一つ、私なりの大月隆寛読解入門を展開させていただきます。非常に長文になりますが、ひとつお付き合い下さい。 『あたしの民主主義』はこう読め 書の内容は、直接間接にほぼ、歴史認識、戦争、民主主義ってことの「語り方」「語られ方」についてだといえるでしょう。つまり論壇論、ジャーナリズム論というメタな視点ですね。なるほど、それら「語り方」「語られ方」の点検、という意味は大きいし、それがすっぽ

    kj-54
    kj-54 2015/07/19
    『…日本では「近代人」というのは明治以降に帝国大学の教室で作られたことになってます、しかしそれ以外の場からも明らかに「近代人」は醸成され、生まれたはずだ、ということを掘り起こそうとしているわけです』
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