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finalventと宗教に関するkj-54のブックマーク (2)

  • イエス・キリストに会ってから信じても遅くないのでは: 極東ブログ

    ネットにはいわゆるネタというのがある。ただ話題のための話題というだけで、それ以上の意味はないが、ネタはネタだから話題にしてもりあがろうという不毛な遊びである。 その手のネタにぱくつくのもどうかとは思うが、たまたま「会ったことのないイエスという存在をどうしてキリストだと信じられるのだろうか」というネタを今朝方ツイッターで見かけて、ああ、この人、聖書読んだことないんだなと思った。 ヨハネによる福音書の話である。イエスの弟子であるトマスは当然生前のイエスを知っていた。その意味ではイエスに実際に会ったことがあるが、イエスが処刑されて死んだ後、復活されてキリストとなったということはトマスには信じられなかった。 十字架刑で手に釘をさされ、脇を槍で突かれて死に絶えたイエスがどうして復活するんだろう。そんなわけないじゃないか。イエスが復活したとか言っているやつ、どうかしてんじゃないの。頭おかしいんじゃない

    kj-54
    kj-54 2014/08/31
    戦前の日本では、天皇は現人神と言われていたが、そんなのいるわけないじゃんと公言してトマスのようなことができただろうか。
  • 晴れ - finalventの日記

    明日は彼岸。寒さ暑さもの彼岸であり、たしかにもう春だなと思う。 昨日のエントリで神が義がどうたらというのに、「そんなこと気づくの遅すぎねえか」というのがあった。まあ、そのまま読むとそうなんだろうなと苦笑した。もうちょっと意味合いが違うなという思いが残っていたからだ。 不要な刺激になってあまりよい例ではないが、先日河村たかし名古屋市長が「南京虐殺」否定発言で物議をかもした。れいによって格好な餌を撒くなよというトホホ感があったがこの問題は史実の問題としてはすでに日政府見解(参照)も出ているのでその意味(政治・外交)ではいまさらの問題にすることでもない。河村市長としては別の思惑もあったのかもしれないが、それならその問題が意識される枠組みは必要だっただろう。その認識がなければ稚拙すぎる(参照)。 さて、仮にだが、河村市長が「南京虐殺」否定論者だったとする。それは許されることか。 言論の自由からす

    晴れ - finalventの日記
    kj-54
    kj-54 2012/03/20
    疎外 幻想 水準 線引き (吉本隆明)
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