【新華社石家荘7月14日】河北省邯鄲市永年県竜泉村の村民は先ごろ、北京と深セン(土+川)を結ぶ京深高速道路から西に約100メートルの地点で、残土の整地を行っていた際、古代の墓に用いられた磚の破片を発見した。連絡を受けた現地の文化財担当者が現場の調査を行い、墓志銘、鎮墓獣、彩色陶俑、鉄剣、瑪瑙の珠、玉器の破片、金製の指輪など26件の遺物を発見した。 出土した墓志銘の記載によると、墓主は男性で、姓は游、名は松、字は士祥で、広平郡の出身だった。北朝東魏の天平年間(西暦534~537年)に大承相諮議参軍を務めた。先祖は周王朝のカク(左は妥の女を寸に、右は虎)国とカイ(邱の丘を會に)国の国公を務め、周の天子から「游」姓を賜った。游松は天平4年(西暦537年)に47歳で死亡し、翌538年、この地(易陽県苟山旧塋)に埋葬された。驃騎大将軍、冀州刺史などの名を贈られた。