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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/keizi115 (24)

  • Fisherman’s Memoir 第2章 #6 - Fisherman’s Memoir

    怪物君との別れ 新造船の処女航海は、まずまずの漁に恵まれた。 操業21日、満船。 マグロ船では、魚倉が満杯になることを満船と呼ぶ。 グァム島へ向けて帰港をしている途中。 怪物君からこの航海で船を降りて、他の船に移ると聞かされた。 訳を聞くと「グァムにはソープランドとパチンコ屋がないから」と 怪物君らしい答えが返ってきた。 怪物君と過ごしたマグロ船での4年間。 彼には、新人の頃からすごく可愛がってくれた。 “漁師”を、絵に書いたような人だった。 キャバクラのお姉さんに「好き」と言われれば、気になり 金を貢ぎ、フラれては落ち込む。 風俗のお姉さんに“イク”と言われ、それを真に受けて「俺は風俗嬢をイカせた」と豪語し。 優れた上腕を持ち、腕が太すぎるためTシャツが着れずに、常にタンクトップ。 「女の爪で背中をガリッ」っとされるために、チンチンを濡れたタオルで鍛えるも 一緒に乗船した4年間で、背中

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    kokumaijp 2011/10/17
    洋上での火災の恐怖
  • Fisherman’s Memoir 第2章 #4 - Fisherman’s Memoir

    1991年 予兆 僕の乗った新造のマグロはえ縄漁船の処女航海。 魚場は太平洋の南方海域だった。 フィリピン人船員のレンドンとエディーを乗船させるため 一路グァム島を目指した。 フィリピン人船員は、太平洋南方海域でのメバチやキハダマグロ漁の時期(4月〜8月)の間だけ グアム島から乗船し、日のマグロ漁船に乗船し就労した。 しかしこの時、新造船だったため、試運転や漁具の整備等に時間を要したため 約1年振りのグァム島に入港だった。 出港して5日目の深夜 僕は、機関長補佐だったため機関室横の船員室の寝台を使っていた。 機関長補佐と言っても、航海の間は一般船員と同じで、航行中の当直のローテーションに入る。 当直は2時間の交代制で、当直が終わる時には航海日誌に天候や風速、緯度経度等を記入する。 一般船員の場合は、それで当直が終わる。 僕は機関部だっため、航海日誌と共に機関日誌を記入する。そして、船体底

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    kokumaijp 2011/10/11
    手に汗握る遠海での船の事故
  • Fisherman’s Memoir 第2章 #5 - Fisherman’s Memoir

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    kokumaijp 2011/10/11
  • Fisherman’s Memoir 第2章 #2 - Fisherman’s Memoir

    祖父 1989年8月の終わり、漁を終え故郷の港に帰港した。 故郷の港に接岸する時に、陸に向かって投げる縄を「一番綱」と呼んでいた。 一番綱を陸で受け取るのは、必ず祖父だった。 そして、その一番綱を岸壁で待つ祖父に向かって投げるのが僕の役目だった。 しかし、その時は違った。 岸壁に立っているのは祖父ではなく、親戚の伯父だった。 船は接岸を終え、各船員は子供へのおみあげや自分が使っていた布団等の 荷物を陸揚げしていた。 それを迎えに来ている家族が受けとり、リヤカーに積み込む。 荷物の陸揚げを終えた船員は、家族と共に帰宅の途につく。 当時、僕は冷凍長と共に機関長補佐も兼務していたため 全船員が荷揚げを終え下船した後に、全機関を停止し 全ての弁が閉まっているのを確認してから、下船し帰宅する。 機関長が「慶次、あとは任せたぞ」と僕に言い、船から陸に上がった。 僕は「はい」と言って、全ての船員が下船す

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    kokumaijp 2011/09/14
    ”故郷の港に接岸する時に、陸に向かって投げる縄を「一番綱」と呼んでいた。一番綱を陸で受け取るのは、必ず祖父だった。そして、その一番綱を岸壁で待つ祖父に向かって投げるのが僕の役目だった。”
  • Fisherman’s Memoir #14 - Fisherman’s Memoir

    連行 パトカーはサイレンを鳴らしながら走っていた。 僕は後部座席の中央に、後ろ手に手錠を掛けられ座っていた。 僕の左右には男性の警官が座り、運転は女性警官がしていた。 助手席にも一人男性の警官が座っている。 「You speak English?」と、左側の警官が僕に聞いた。 僕は「No」と言った。 すると右側に座った白人の警官が、小さな声で窓に向かって「monkey」と言うのが聞こえた。 僕は暴力を振い秩序を乱し手錠を掛けれれてはいたが、侮辱を許したわけではない。 「あぁ!!!んだこのクソやろー!!」と、その白人警官に向かって叫んだ。 すると左側の警官が「Quiet!!」と言って、僕を抑えつけた。 僕は侮辱した白人警官をずっと睨みつけていた。 少ししてパトカーは、グァム島の警察署に到着した。 警察署は思った程大きくなかった、イメージとはかなりかけ離れていた。 パトカーは警察署の門をくぐる

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    kokumaijp 2011/07/13
  • Fisherman’s Memoir #13 - Fisherman’s Memoir

    初の外地滞在 フィリピン人船員のレンドンとエディーと僕の三人は 他の日人船員が日へ帰国している間、グァム島でマグロ船の留守番をすることになった。 入港中といえども機関長補佐(見習い)の僕は、機関長から指示された 仕事を、機関長が船にもどるまでに完了させなければならないという ミッションを帯びていた。 そこでレンドンとエディーと話しい、入港中といえども 毎日起床時間と作業内容を決め、仕事をすることにした。 朝は僕が作り、6時に起床ベルで二人を起こす。 二人の朝が終わり次第、僕が二人に作業内容の説明と指示をして 僕は機関室に入り自分に与えられた、作業をこなす。 正午を終業時間にした。 終業を迎えると三人で、コマーシャルポートのゲートの外の駐車場に来ている キッチンカーでランチを買ってべ、その後シャワーを浴びて自由時間。 自由時間と言っても、フィリピン人船員にとってはどこかに遊びに行く

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    kokumaijp 2011/07/13
    これが若さか・・・
  • Fisherman’s Memoir #12 - Fisherman’s Memoir

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    kokumaijp 2011/06/27
  • Fisherman’s Memoir #5_2 - Fisherman’s Memoir

    失意の海 上原さんという、先輩がいた。年齢は当時38歳。 今の僕より、若い事になる。 色黒で、身長が高く、ガッシリした体系の優しい海の男だった。 結婚はしていなかった。 僕が初めてマグロ船に乗った時から、一年以上苦楽を共にしてきた仲間だ。 上原さんは凄く優しい人だった、寡黙で声を荒げることも、怒ることも無かった。 それどころか 「あれだけ怒られ殴られたら、誰でも弱音吐くのに。お前は一切弱音を吐かない、大したもんだ」 「初めてマグロ船に乗ったとは思えないな!型ができてて、即戦力だ。」と 僕の初航海の時、ただ一人、僕の事を褒めてくれた。 しかし、上原さんには一つ欠点があった。 大酒飲みなのだ。 酒を飲んで酔っ払ったからと言って、暴れたりすることはない。 酔いに揺られているのが、好きな様に見えた。 とにかく酒が大好きで、コーヒーでも飲むかのように上写真のウィスキーを飲んでいた。 漁師に大酒飲みは

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    kokumaijp 2011/05/13
    同僚の死
  • Fisherman’s Memoir #5_1 - Fisherman’s Memoir

    新人現る! 次の航海に出る当日の正午頃。 帰郷した日から数えて約1週間振りに、実家に帰った。 僕の顔を見た母親は一言「あら、見慣れない人がいる」と言った。 故郷に帰っても、帰って来た当日から実家に帰ることは無かった。 兄は、大して気にならないのだが。 船頭である父親と、顔を合せて同じ卓につくのが、どうもギコチナイ。 親子でありながら、家の中でも船頭と船員なのだ。 一緒にいるのが、どうも・・・・。 船頭と船員の関係は、その後数十年続いた。 5年程前、生まれて初めて父親と二人っきりで事をした。 父が、貨物船の船長として東京に来た時だ。 「飯べるだろ?まったく!家に寄り付きもしないで遊び呆けて」 と、母親は小言を言っていた。 居間に行くと、船頭と初めて見る男の人が座って事をしていた。 船頭が 「この航海から、うちの船に乗る吉田まさる君だ」とその男の人を、僕に紹介した。 「この人、俺より年

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    kokumaijp 2011/05/11
    新人は元自衛隊レンジャー部隊出身を自称する“お客さん”
  • Fisherman’s Memoir #4 - Fisherman’s Memoir

    クリスマスタイムインブルー ミッドウェー沖から宮城県塩竃市に入港し、そのまま出港。 金華山沖で、「海の黒いダイヤ」を追う日々が続いた。 12月24日、クリスマスイブの日の荒れた海は、20年以上経った今でも 鮮明に記憶に残っている。 日近海を操業するときの投縄と揚げ縄の開始時間は、南方海域と違う。 夜の訪れが早いため、マグロの釣れる時間帯も違うのだ。 投縄開始時間5時、終了時間9時半 揚げ縄開始時間12時30分、終了時間10時30分頃。 12月初旬〜3月初旬まで、日近海の漁は続く。 冬型の西高東低の気圧配置が、バッチリ日列島を覆う冬番の時期と重なる。 そのため、海が凪の日は1日も無いと言っていい。 操業の揚げ縄中、ブリッジの上に設置された拡声器からは常に音楽が流れていた。 その頃には、まだ乗船1年生ながら、飯炊き兼冷凍長としてキッチリと仕事をこなしていたこともあり 先輩達にも徐々にも

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    kokumaijp 2011/05/10
    「普通の人と付き合いたいの。他の人みたいに」 (´;ω;`)
  • Fisherman’s Memoir #3 - Fisherman’s Memoir

    魔の海域 季節は10月 マグロ(クロマグロ)が黒潮の海流と共に、金華山沖にやってくる時期だ。 金華山とは、宮城県石巻市、牡鹿半島の先端の太平洋上に浮かぶ島のことである。 島全体が黄金山神社の神域となっており、地場の信仰の対象として有名な土地だ。 僕の乗った船は、和歌山県那智勝浦町を出港し、一路金華山沖を目指した。 近海操業になるため、出港した翌日にすぐに操業のスタンバイをする。 いつ縄をはえても良い、準備をしておくのだ。 目指すは「海の黒いダイヤ」と呼ばれるマグロのいる海だ。 南方海域に比べ、10月の三陸沖は少し肌寒い。 気候も全く違う、まず湿気が違う。肌にまとわりつくような、空気の重さも感じない。 陸から直線距離にして20〜40マイル程しか離れていないため、風にのって土の香りがする。 そして、波の形と威力だ。 南方海域の波の形を表現すると、波の幅が狭く尖っている。 低気圧の中に入り、

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    kokumaijp 2011/05/08
    金華山沖からミッドウェーへ
  • Fisherman’s Memoir #2 - Fisherman’s Memoir

    幻想の海 お盆休みが明けて、出港して数分後 船頭がブリッジに来るようにと、大河さんが僕に告げた。 「なんだろう?」と思いブリッジに向かった。 ブリッジに入ると、兄である冷凍長と船頭がいた。 兄の左手には、まだ包帯が巻かれてあった。 前の航海の時の怪我が原因だ。 精密検査の結果、障害は出ないであろうが、リハビリは必要らしい。 左手が思うように動かないようだ。 船頭が「慶次、お前この航海冷凍長しろ。飯炊きを兄貴と交代だ」と言われた。 へっ!?僕、まだ乗船半年ですけど…。 マグロ船は、乗船3年で一人前と言われ、3年目に冷凍長になるケースが多い。 早い人でも2年からが普通だろう。 「俺、できないよ!」と言いそうになったが、言うのを辞めた。 船頭と冷凍長が話し合った結果、僕なら出来ると判断したのだ。 断る理由も、ビビる必要もない! 「わかった」と答えた。 兄は、飯炊きを経験しているので、それについて

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    kokumaijp 2011/05/07
    マグロ漁船の冷凍長の仕事
  • 帰郷 - Fisherman’s Memoir

    船には病院がないんです! まだ乗船は歴短いが、とても指導熱心な諸先輩方のおかげで ある程度の仕事は、こなせるほどに成長していたと思う。 2航海目は初航海に比べて、あまり殴られ蹴られ 怒鳴られることも無かった。 3航海目は2航海目よりも、褒められることが多くなったし 頼まれることが多くなった。 その頃には父親の事を「船頭」と呼ぶことにも、兄のことを「冷凍長」と呼ぶことにも 何の違和感も感じなくなっていた。 操業も20回を超え、そろそろ満船に近づいていたある日。 夜を済ませ、揚げ終わりまであと2時間程度という時。 その日は、潮流が悪く、幹縄と枝縄が団子状態になって 巻き上がってくる事が数回あった。 そのため揚げ縄の時間も、通常より押していた。 サイドローラーにいる兄である「冷凍長」が軽快なリズムで 幹縄と枝縄が繋がったスナップを、パシッ!パシッ!と外していた。 僕はその後ろで、枝縄をブランリ

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    kokumaijp 2011/05/07
    海で怪我したときの応急処置。読むだけで痛い。
  • 水揚げ、そして出港。 - Fisherman’s Memoir

    約40日ぶりのお風呂 和歌山県那智勝浦町に入港 水揚げの準備を終えると、船頭から入港金としてお小遣いの 5万円を渡された。 水揚げ開始は翌日の午前2時からだ。それままでは自由時間。 怪物君が「慶次、風呂行くぞ!」と僕に言った。 そうだ!水のお風呂だ!!! 40日以上、真水のお風呂に浸かっていない!! 僕と怪物君と大河さん、三人で市場の近くにある銭湯に行った。 お湯につかる前に、身体を洗うのがこの銭湯の流儀だと 怪物君が教えてくれた。 漁師がよく使う銭湯だ、体に付いた魚の血で湯が汚れてしまうのだ。 まずは頭を洗おうと、蛇口から出たお湯を思いっきり頭から掛けた。 頭から下半身に掛けて、スーーッと体を流れて行くお湯。 なんてサラサラしているんだ!!!! 海水のお湯とは、明らかに違う。 海水のお湯は、体にねっとりとまとわりつくのだ。 体を洗った、お湯に浸かった。 至福の時とは、まさにこの時!! サ

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    kokumaijp 2011/05/06
    真水の風呂と海水の風呂の違い
  • 只今帰港中2 - Fisherman’s Memoir

    を出港して、約1ヶ月。 僕の乗ったマグロ漁船は操業を終え、日に進路をとり マグロを水揚げするための帰港地に向かっていた。 この時点で、マグロを水揚げする市場のある港は決まっているわけではない。 帰港中、船頭が他の船舶の水揚げ高の状況等を無線連絡で 情報を収集し、帰港地を決定する。 国内の帰港地 宮城県県気仙沼市・塩釜市、千葉県銚子市 和歌山県那智勝浦町、鹿児島県鹿児島市 僕の乗っていたマグロ漁船は、上記いずれかの 港にある市場で、マグロを水揚げした。 帰港中の一日は、南下中の一日とほぼ同じだ。 新人で飯炊きの僕は6時半に起床し、7時に船頭に朝を告げる。 船頭の事が終わると、起床のベルのボタンを押す。 そのベルを合図に、全船員が起きて朝を取り 一番最初に朝を終えたボースン(甲板長)が、ブリッジにやってくる。 ボースンは船頭に仕事の指示を仰ぎ、朝を終え船尾に集合している 船員に

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    kokumaijp 2011/05/02
    浮き球ってぶつかったらすげー痛そう
  • 只今帰港中 - Fisherman’s Memoir

    マグロは満タン 船は日に針路を向け走っていた。 全ての魚倉には、キハダマグロ、メバチマグロや カジキマグロが入っている。 太平洋南方海域の魚場で、日マグロと呼ばれる クロマグロは獲れない。 極々稀に、南クロマグロが獲れることはあるが 僕が乗船した10年間で1度だけだった。 マグロ積載総トン数約30〜35t。 操業が終わった翌日は、当直以外は全休。 全船員は、泥のように眠る。 何度も言うようだが・・・・ しつこいのは承知だが・・・ 僕はマグロ漁船一年生の、飯炊きボウズだ。 他の船員が寝ていようとも、事を作らなければならない。 だが、他の一般船員が24時間のうち、2時間の当直を二回 行うのに対して、僕は18〜20時の定時当直の一度だけ。 一日18時間以上の肉体労働が続く操業中は、寝台に入り 歌を聞きながら寝ようと、ウォークマンの再生ボタンを押すと3〜5秒で眠りに落ちる日々だった。 決

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    kokumaijp 2011/04/26
    ”那智勝浦だけは入港したくない”
  • 揚げ終わり帰港中 - Fisherman’s Memoir

    操業は20回を超えた。 操業20回のうち、休日は2日。 ただし飯炊きの僕は、休みの日でも9人分の事を作らなければならない。 操業21回目 マグロを備蓄する魚倉は、船首甲板の4t魚倉が1倉空いている。 それと船尾の2t魚倉が3層空いていた。 揚げ縄が始まった瞬間「商売!」という声が掛かった!! 約40キロのキハダマグロ、生きたまま上がって来た。 長さは約150センチ程度 生きて上がって来たマグロは、絶対に暴れさせてはならない。 固い甲板デッキで暴れると、身まで痛めてしまい マグロの鮮魚を左右するのだ。 生きて上がって来たマグロは、上がった瞬間に目を押さえ視界を奪う。 そうすると暴れない。 マグロの頭の中央には白くなった部分があり、そこに「突き殺し」という マグロの息の根を止めるための漁具を、その部分に対して約25度の角度で差し込むと マグロは痙攣の後に、絶命する。 しかし、このマグロ絞める

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    kokumaijp 2011/04/25
    "北島三郎、鳥羽一郎、八代亜紀等が約70% その当時のヒットソングベストが約29%。僕の好きな、矢沢永吉は1%の比率でしか流れない。"
  • 只今操業中 2 - Fisherman’s Memoir

    操業回数は6回目。2度目の寝ワッチ(投縄休み).。 揚げ縄開始1時間くらい前の14時半位に起きた。 5時に寝て、起きたのは14時半。睡眠時間9時間半。 体には、けだるさが残っている。 歯を磨き、コーヒーを飲もうとインスタントコーヒーコーヒーカップに入れ、電気ポットのお湯を注いだ。 「熱い!!!!」と思った。 コーヒーカップを持っているだけなのに、熱い!! 手の平を見ると、真っ赤だった。 火傷をしたような痛さ。 操業の揚げ縄中は、ゴム手袋をし、その上に軍手をして作業をするのだが ゴム手袋の中の手は汗と海水で、常に濡れてふやけている。 その手で、漁具である“縄”を扱うため、手の平の皮が傷んでくる。 結果、手の平は真っ赤になり火傷と同じような症状になるのだろう。 そのため、微熱でも熱く痛く感じる。 それが過ぎてくると、徐々に手の平の皮は厚く固くなり グローブのような手になる。 どのくらい固く

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    kokumaijp 2011/04/21
    漁師の登竜門をくぐった瞬間
  • 只今操業中 1 - Fisherman’s Memoir

    改めて、マグロはえ縄漁船における操業中の一日を、時系列で紹介しよう。 1、投縄 6時30分〜12時30分 2、漂泊 12時30〜15時30分 ※就寝 3、揚縄 15時30分〜3時30分 4、移動 3時30分〜6時30分 ※就寝 24時間のうち、18時間労働。 船員は、1班〜3班までのグループに分けられ、2日おきに班毎で投縄を休むことができる。 その休みを、「寝ワッチ」と呼ぶ。 翌日の投縄組は、素早くカッパと長を洗い、洗濯機に作業着を投げ込みすぐに寝る。 「寝ワッチ」班は、揚げ縄終了後に、翌日の投縄の準備をする。 重さ20キロのムロアジの冷凍された餌箱を、冷凍倉庫からだし、ラジオブイや浮等の準備をし 全船員の作業着の洗濯をし、風呂に入り就寝。 そのため、2回目以降の投縄は5人で行うことになる。 一人に掛る労働の負担は、必然的に大きくなる。 僕は、2回目の投縄から、先輩船員達と同じローテーシ

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    kokumaijp 2011/04/19
    オフコース!
  • 一回目 操業中 - Fisherman’s Memoir

    朝、6時スタンバイのベルがけたたましく 船員居住区に鳴り響いた。 リィィィィン リィィィィィィン リィィィィィィィィィン 寝台のカーテンが一気に開く音が聞こえ、各船員が寝台から出てくる。 そして、無言で船尾に出て行く。 もちろん全員寝起きなのだが、動きは迅速だ。 僕が船尾出て行くと、既にマグロを釣るための餌であるムロアジが冷凍された 餌箱が30箱程積み上げられてあった。 そのうちの数箱に海水をかけ、冷凍され固まったムロアジの 固まりを、バラバラにしているボースンの姿があった。 マグロはえ縄漁船の操業時における作業は、大きくわけて二つある。 マグロを釣るための縄(仕掛け)をはえる「投縄」(※又は、はえ縄) その仕掛けた縄を揚げる「揚げ縄」だ。 簡単に言えば、縄を流して、それを揚げる。 その縄にマグロが掛かっている。 一回の投縄で仕掛ける枝縄の数は、1200〜1300で、枝縄17にウキ(

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    kokumaijp 2011/04/18
    ダイナミックな世界だなあ・・・