宇宙飛行士・若田光一のお母さん タカヨさん:1 我慢教えた「給料日のやりとり」2009年6月9日 3カ月の宇宙長期滞在に出発する若田光一さん=09年3月15日、米ケネディ宇宙センター、飯塚悟撮影 光一(45)は63年、当時の埼玉県大宮市で生まれました。弟の瑞穂(みずほ)(43)がいて、2人兄弟で育ちました。 九州大学に入って家を離れましたが、浦和高校まではずっと親のもとにいて、手のかからない子でしたね。私はいま76歳ですが、光一が20歳になるまではしっかり育てなければと思っていました。 * 裕福な家ではありませんでした。光一は小学校のときに、「貧衆(びんしゅう)」ということばを発明したくらいでした。いまでもときどき思い出すのは給料日の光景です。 98年に63歳で亡くなった父親の暢茂(のぶたか)は当時の建設省に勤める公務員でした。朝早く職場に行き、仕事や飲み会などで帰ってくるのは夜遅く。でも