タグ

ブックマーク / lifehacking.jp (5)

  • 読まずにはいられない書評に共通する4つのポイント

    シゴタノ!読書塾Vol.1 結果発表 第一回シゴタノ!読書塾の選考委員に参加させていただきました。いやあ、楽しかった! こんなが、こんな書き方があるんだと、選んでいる側として楽しかったです。 選ぶ側にいるのはたいへん恐縮で、自分も参加したいくらいなのですが、今回の「堀」賞は、先日も紹介した Ko’s Style の「仕事がつまらなく感じた時にできる3つのこと」という記事です。おめでとうございます! ところで書評にもいろんなスタイルがあって、急に書けといわれても困ってしまうのではないかと思います。「良い書評って、どんなのだ!」というわけです。 私自身文章修行中の身の上で偉そうなことが言えるものではないのですが、少なくともシゴタノ!読書塾の「堀賞」を狙う上で、ここさえ押さえておけばかなりの確率で選ばれるというポイントが4つほどあります。ここさえ押さえれば私は少なくともコロッとおちます。 今回

    読まずにはいられない書評に共通する4つのポイント
  • 涙が出るまで遠くを見る眼筋トレーニングの効用

    個人差がありすぎますので、なるべく健康ネタはやらないようにしていたのですが、Twitter でのこのつぶやきに対して質問がけっこうあったのでえいやっと書いてみます。 よく、疲れ目や、眼精疲労を改善するために「遠くをみたらいい」などとよく言われますが、私もこれをほとんど毎日繰り返しています。 視力そのものがよくなるというよりは、緊張している眼球の筋肉をあえて普段使わない側に向かって使うことによって、調整をしているのだという理解ですが、私の場合これを極端なレベルにまで追求するという習慣を学生時代に始めました。 たとえば遠くにある建物の表面がタイル状だったりすると、このとき端から端までタイルがいくつあるのか数えたりします。また、遠くに木立があると、ほとんど見えるはずもない木の葉の一枚一枚が見えるようになるまで目を見開いて見つめます。夜なら一目でわかる一等星など無視して、暗い等級の星を探します。

    涙が出るまで遠くを見る眼筋トレーニングの効用
  • 「時間が見える」というのは「時間の物差し」ができること

    今週の火曜、シゴタノ!に「まるで時間が目に見えるようになる Mac のアラーム・アプリ3種」という記事を寄稿したのですが、ここではなぜタイマー・アラームを使うことが仕事の効率化につながるかは自明のこととして触れていませんでした。 でも記事をアップしてから、タイマーを用いた時間効率化を「時間が見えるようになる」と表現したことについては説明が必要だなと再考していました。 ここでいう「時間が見えるようになる」というのは、時間に対する感覚が鋭くなると言い換えてもよいものです。 時計で正確な時間経過を測らずに行動すると、私たちは「あと10分ほど」「あと30分ほど」といった、あいまいで、かつちょっと長めの区切りをもうけるようになります。それは「あと1分」や「あと30秒」というのは、感覚として短すぎて、あっという間に過ぎてしまうような気がしてしまうからです。 こうしたせいもあってか、Google Cal

    「時間が見える」というのは「時間の物差し」ができること
  • 記憶力を底上げする「記憶の宮殿」の作り方 | Lifehacking.jp

    記憶の中で遊んだことがありますか? 簡単なテクニックで記憶を「場所」として理解するようになると、思わぬ楽しみや、発見がまっています。 「羊たちの沈黙」の続編である「ハンニバル」において、天才的な頭脳を持つ殺人者ハンニバル・レクター博士は、記憶の中で千の部屋がある広大な宮殿を構築していました(文庫版下巻 p65 参照)。 小説の中のレクター博士はたとえ体は拘束されていようとも、頭脳の中でこの宮殿の中を自在に歩き回り、その小部屋の一つ一つを訪問するだけで過去のどんな記憶も呼び起こすことができるばかりでなく、過去の記憶の中で生きることさえもできるのです。その描写はとても荘厳で、こんな記憶力をもっていたらどんなに良いだろうとあこがれをかき立てるものでした。 このような膨大な記憶力はさすがにフィクションの産物とはいえ、「記憶の宮殿」とよばれる方法は中世の学者が実際に実践していた古い記憶術の一つです。

    記憶力を底上げする「記憶の宮殿」の作り方 | Lifehacking.jp
  • 私たちの生まれながらの権利。それは失敗することだ | Lifehacking.jp

    Is it worthy? | seth godin’s blog 「勝ち」だとか「負け」といった話が当たり前のようにさまざまなやメディアで語られているのを聞くにつけ、私はいつもこれは「たとえ」なのだと思って読んでいました。 当に「勝つ」のではなくて、「成功しつつある人」のたとえであり、当に「負け」なのではなくて、「今ちょっと調子が悪い人」というたとえの意味での言葉なのだと。でも最近はあまり確信がもてません。当に「勝ち」と「負け」のデジタルで理解するように使われているのだったらどうしようかと心配ですらあります。 定量化、数値化はもちろん大事なのですが、いわゆる「成功」の「成功」を、年収○○円と読み替えて、を読み終える頃に現実とのギャップにため息をついている人が、もしいるのなら、次の Seth Godin の知恵に満ちた言葉が力になるかもしれません。 Seth のこのちょっと異色

    私たちの生まれながらの権利。それは失敗することだ | Lifehacking.jp
    kyompi
    kyompi 2008/06/18
    勝ち負けという考え方は個人差がでかい。俺は勝ち組はそのまま勝ち組、負け組みは倒れて立ち上がろうとしなかったものをさすと思っている。
  • 1