シリーズ「亡命指揮者・果てなき旅路」前回までのあらすじ 日本ポップスの生みの親・服部良一。そして世界のマエストロ・朝比奈隆。 ふたりの才能を見出し、育てたのは、ウクライナ人指揮者メッテルでした。 このコラムでは日本音楽界の恩人メッテルと弟子たちの数奇な運命を追います。 ロシア革命からのがれ、「東洋のパリ」とよばれた音楽都市ハルビンに亡命した 巨匠メッテル。ハルビン交響楽団を東洋一のオーケストラに育てあげました。 しかしハルビンにもソ連の支配が浸透。メッテルは神戸に亡命します。 メッテルはBK(NHK大阪放送局)のオーケストラや新響(のちのN響)を指揮。草創期の日本のオーケストラ運動に大きな貢献を果たしました。服部良一や朝比奈隆など、アカデミックな音楽学校とは無縁だった逸材に目をかけ、育てたのも、メッテルの大きな功績です。 ところが、戦争の時代になり、日本がナチスと手を結んだ頃から、外国人へ
![メッテルの魂を胸に、服部良一、朝比奈隆が世界を翔ける](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8330ac5de0b1650784e2f6af86e3aa88041e30ef/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fsteranet.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2Fa%2F1200wm%2Fimg_4ab052336012f1c700b06b652c9f98b1100038.jpg)