戊辰戦争で新政府軍と戦い、集団自刃した会津藩の白虎隊士でただ一人、命を取り留めた飯沼貞吉(1854〜1931年)の孫で、東京都の会社社長飯沼一元さん(67)=仙台市出身=が20日、かつての宿敵・長州(山口県)を訪れる。山口には、貞吉が戊辰戦争後の一時期、長州藩士の屋敷で過ごしたとの説が残る。一元さんは自らの調査などで「長州滞在」がほぼ確実だったと考えており、現地の人たちに感謝の気持ちを伝える。 飯盛山(福島県会津若松市)で白虎隊の隊士が自決したのは、1868(慶応4)年10月。生き残った貞吉は戦争後、新政府軍によって東京に送られたらしい。 1872(明治5)年に当時の逓信省の技師になり、下関を振り出しに神戸、東京などで勤務。日清戦争に従軍後、仙台逓信管理局の工務部長を務めた。長く仙台で暮らしたが、会津にはあまり戻らなかったとされる。 一元さんによると、逓信省に勤めるまで数年間の足跡は