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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (16)

  • 才能がありすぎても美術はうまくいかない - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーを読んで知り合いのNくんのことを思い出した。才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるかNくんは一種の天才で、生まれた時から絵が下手だった瞬間がないらしい。彼はそもそも両親がともに芸大の美術学部出身で、美術にまみれるようにして生まれてきた。彼が絵を描き始めたのは保育園のお絵かきの時間の時なのだけれど、その瞬間からもう上手くて上手くて、両親からは絶賛の嵐を受け、逆に保育園では上手すぎてあまり理解されなかったのだそうだ。Nくんは絵に関しては色も線も形も初めから良かった。味があったし、美とは何であるかということについて、幼児ならではの直感で究極的な正解に肉薄していたらしい。技巧はもちろんまだまだ足りなかったが、線をどのような太さでどのような味わいでどのような色でどのような長さで描けば、面白くなったりあるいは美しくなったりするかというのを感覚的に知っていたのだ。Nくんによ

    mobanama
    mobanama 2010/07/09
    才能とは生涯成長し続けることができる能力のこと(うろ覚え)だと、御厨さと美が『裂けた旅券』の中で書いてたよ。まあそういう側面は結構あるんじゃないかと思うよ。本筋はくだらないからどうでもいい。
  • なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか - ハックルベリーに会いに行く

    プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗の書き方とか、そういうところを見るのである。そして

    mobanama
    mobanama 2008/12/09
    "彼女たちは、本当に食べるものは何でも良いのだ。それよりも重要なのは、そこでぼくがどんなプレゼンテーションをするかということなのである"それによって気持ちの重さや誠意を推し量ろうとしているのだと。
  • 面白いマンガがあったらぜひ教えてほしい - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはマンガが好きだった。それは確かなことで、読んでる量でも誰にも負けない時期があった。それは短い期間(約1年)だったけど、その時期にうちの近くの屋で売られていた少女マンガ以外の全てのマンガ雑誌の全作品を立ち読みしていた。毎日だいたい2時間、日によっては4時間近くかかることもあった。今考えたら書店にとっては迷惑な話だったかも知れない。また今みたいに出版点数も多くなかったからできたことだ。しかしとにもかくにもマンガの知識だけではその時期はおそらく誰にも負けなかった。ヒマだからできたというのもあるだろうけど。 そういうぼくが今ではほとんどマンガを読まなくなったのだけれど、だからと言ってテレビを見ているわけでも音楽を聞いているわけでも映画を見ているわけでもゲームをしているわけでもない。何をしているかというと仕事をしているか人と話しているかネットを見ているかブログを書いているかだ。この4つにほぼ

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    mobanama 2008/11/30
    "週刊少年チャンピオンは1979年頃が素晴らしかった。「ドカベン」「ブラック・ジャック」「月とスッポン」「マカロニほうれん荘」などが好きだった"79年じゃマカロニはもう末期のころじゃね。
  • 英語に圧倒的に一人勝ちする7つの言い回し - ハックルベリーに会いに行く

    英語というのはぼくはほとんど喋れないのだが、ぼくの友人英語に圧倒的に一人勝ちしている人がいる。彼は、なんでも行く先々で「お前はおれが会った日人の中で一番英語が上手いな」といつも言われるのだそうだ。しかし彼の英語は、確かに威勢と度胸は良いのだが、単語をそんなに知っているわけでもないし、発音だって日英語丸出しだ。彼自身もそれを自覚していて、だからなんで自分がそんなに上手い上手いと言われるのか、長いあいだ疑問だったのだそうである。 そんなある時、この日も初めて出会った人に「お前の英語は最高だな」と言われたもので、とうとうなんでそう思うのかを聞いてみた。すると、その答がふるっていた。なんでも、彼の英語は、聞けば一発で日人と分かるたどたどしいものなのに、実に気持ち良くコミュニケーションできるのだそうである。その人に言わせると「日人というのは、英語が分からないとたいていはにかんだような笑顔

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    mobanama 2008/11/12
    "you know"はそんな簡単じゃないと思うよ。/日本人だから殴られそうw⇒"horry Kansas!"
  • 「それとはなしに表現」されたマンガの一コマたち - ハックルベリーに会いに行く

    いまスタニスラフスキーの評伝である「スタニスラフスキー入門(ジーン・ベネディティ著・松永実子訳)」を読んでいるのだけれど、これが面白い。芸術についての興味深い言葉がいくつも出てくる。その中に、こういう言葉があった。もし演劇がゴーゴリのいう「観客を教育するという義務を果たす説教壇」なら,俳優は直接的に説教をしてはならない。観客に考える内容を伝えるのは俳優の機能ではない。戯曲のメッセージは,それとはなしに表現されなければならない。(p.28-29) また、演劇の自然な表現を指す「ナチュラリズム」を、こんなふうに批判している。ナチュラリズムは観客の主要な楽しみと大切な満足感を騙し取る。つまり,俳優と演出家とデザイナーがその技術で暗示したものを、俳優とともに観客が想像力で完璧なものにする楽しみを奪いとるのだ。(p.27)これは演劇について述べられた言葉なのだが、それだけに当てはまるものではない。

  • してはいけない誉め方 - ハックルベリーに会いに行く

    「してはいけない誉め方」のサンプルとして、これ以上はないという格好のエントリーがあった。読まずに舐めるな! - タケルンバ卿日記 この誉め方は当にひどい。主に二つの意味でひどい。一つは、誉められた人がちっとも嬉しくないこと。むしろ不快になる。その意味でひどい。もう一つは、誉めた人も、周りから「あいつはダメなやつだ」と見透かされてしまうこと。舐められてしまう。信用を失ってしまう。その意味でもひどい。いわゆる「誰も得をしない」というやつである。しかしこのままでは誉めた人も誉められた人も浮かばれないので、もって他山の石とすることで、この浮かばれないエントリーをなんとか浮かび上がらせたい。社会の役に立てたい。そういうふうに考えて、ここでは言及することにする。 では、実際にどうしていけないのかというのを、順を追って見ていきたい。 その1「肩書きを誉めてはいけない」 舐めてたよ、ケータイ小説。さすが

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    mobanama 2008/09/27
    その1でめげた。見当違いもいいとこ。呆れた。
  • 渋谷にアムウェイの人たちがよく集まるカフェがある - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは友だちがとても少ないのだが、それでもいないわけではない。ほんの数人、親しい友だちがいて、時々一緒にご飯をべたり、お茶を飲んだりする。 その友だちの一人にMという男がいる。Mはぼくの後輩なのだが、今ではもう友だちのような関係だ。Mもぼくも渋谷の近くに住んでいるので、会う時は渋谷が多い。電話をして、ちょっとお茶でも飲もうよという感じになり、カフェでよくお茶をしたりする。カフェに行く時、ぼくはスターバックスが好きなのだが、Mはタバコを吸いたいので、他の店に行くことになる。スターバックスは禁煙でタバコが吸えないのだ。ぼくはタバコを吸わないのだが、Mと一緒の時は、Mに合わせてタバコの吸える店に行く。ぼくは、近くにタバコを吸う人が多かったので、タバコを吸える店に行ってもそう苦にすることはない。 ある時、それは夜の9時頃だったのだけれど、渋谷で会っていたぼくらは、じゃあお茶でも飲もうかということ

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    mobanama 2008/09/04
    『ケータイの醸し出す孤独』
  • 柳瀬尚紀を読んでからニヤニヤしている国語学者(とその追従者たち)を見るととてもげんなりさせられる - ハックルベリーに会いに行く

    これを読んで、思ったことを書きます。「最近の日語は乱れている!」とか主張すると、なぜ国語学者はニヤニヤするのか。 - 小学校笑いぐさ日記 柳瀬尚紀という人がいるのだけれど、国語学者のあいだではこの人はどういうふうにとらえられているのだろうか? ぼくの知る限り、この人は日語の語彙に関しては一番豊富だ。また語彙以外の、日語の歴史や成り立ちなどについても相当に詳しい。 柳瀬尚紀は、ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳した人だ。そして、このを翻訳するために、自分の中に膨大な量の日語を入れた人だ。英語の巨人であったジョイスに対抗するために、ありとあらゆる手段を使って日語という日語を自分の中に入れ、その語彙の量でもって(それだけではないけれど)ジョイスに立ち向かった。そういう人だ。 この人は、日語だけではなく、日文学のこともよく知っている。夏目漱石も森鴎外も二葉亭四

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    mobanama 2008/09/01
    あたまわりい。レイヤーの切り分けが全然できてない。
  • ドイツ人の女の子から聞いた笑い話 - ハックルベリーに会いに行く

    数年前、ドイツ人の女の子(当時17歳)と知り合って、その子から聞いた笑い話。ドイツ人の、今40代くらいの世代の人たち(彼女の親の世代)は、アニメについて2度びっくりさせられた経験があるのだという。 1度目は、彼らがまだ子供の頃。その世代の人たちは、子供の頃、みんなテレビで「アルプスの少女ハイジ」を見ていたらしい。もちろんドイツ語の吹き替え版で。これはもう、ほとんど全員見てたらしい。そして当時は、これを作ったのはなんの疑いもなくドイツ人だと思っていたのだそうだ。当時は、日人がアニメーションを作るなんていうことは誰も知らなかった。ましてや、「アルプスの少女ハイジ」という彼らにとって馴染み深い国民的な童話を、外国人が(それもアジア人が)作るなんていうのは想像すらつかなかった。だから、だいぶ後になって(もう大人になってから)、それを作ったのが実は日人だったというのを知らされ、たいそう驚いたとい

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    mobanama 2008/08/28
    『今の子供たちにとって、アニメやゲームを作るのが日本人だというのは、もはや周知の事実だったのである』へー。
  • 映画の見方における「正解」について - ハックルベリーに会いに行く

    とある「崖の上のポニョ」に関する記事の中に、こういう記述がありました。「批評」を、算数ドリルの答え合わせのような、どこかに確たる「正解」があって、自分はそれを知っているかのように作品を「採点」することだと思っている人が多すぎやしないでしょうか。みんなが知っているような「正解」とは違う、自分には思いもよらなかったような新しい答え方を、作品の中に発見する営みのことを批評と呼んだ方が、僕はいいと思います。どきどきのような!ふしぎのような!−「崖の上のポニョ」について− - 宮大人のミヤモメモ これについて、ぼくの思っていることを述べます。 まず、映画の見方について、ぼくの考える映画の見方の「正解」というのは、「どう解釈するか?」ということの中にはありません。「崖の上のポニョ」をどう解釈しようと、それは自由だと思います。その映画の解釈に、一つの絶対的な「正解」があるわけではない。ポニョを可愛いと

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    mobanama 2008/08/19
    と学会を「不正解」とするブログ主。
  • 個性は本当に獲得するものなのか? - ハックルベリーに会いに行く

    感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである

    mobanama
    mobanama 2008/07/07
    本筋ではないのかもしれないが、N君の級友たちの「メソッド」を、アプリオリに持っていたものを失った結果と考えるのはあまりにナイーブでないかい?ヒトの「生得的な」抽象の原理を反映したものである可能性は?
  • 嘘つきの子供に対して母の言った一言 - ハックルベリーに会いに行く

    母の教え――うちに遊びに来たA子ちゃんに。「A子ちゃんて、嘘をつく時、必ずまばたきするのね。すぐに分かるわよ」 ――A子ちゃんの帰宅後。「あれ当なの?」「あれって?」「A子ちゃんは、嘘をつく時まばたきしてるの?」「ああ、あれね。子供って面白いのよ。ああいうふうに言っておくと、今度から嘘をつく時必ずまばたきするようになるの」

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    mobanama 2008/06/28
    『子供って面白いのよ。ああいうふうに言っておくと、今度から嘘をつく時必ずまばたきするようになるの』ほんと?
  • ブログの誤字や脱字をどう直すか? - ハックルベリーに会いに行く

    ブログの誤字や脱字って難しいですよね。0012「『ですね、わかります』ジェネレーター」というエントリーでこんなブックマークコメントを頂いたんですが、やってしまった……と思いましたよ。それと同時に、自分のモスでありながらも、そのツッコミの鋭さに、思わずクスリとさせられました。 「くさび」と書くところを「さくび」と書いてしまっていたんですよね。これを書いた時に、「くさび」を漢字で「楔」にするか平仮名で「くさび」にするかでちょっと悩んでいたんで、切ったり貼ったりをくり返していたんです。その過程で、思わずこんな誤字になってしまった。しかし全く、お恥ずかしい限りです。 それで、この誤字を直そうと思ったのですが、その時旗と思いました。 この誤字を直してしまうと、このブックマークコメントの意味が分からなくなってしまうんですよね。後から読んだ人には、一体何を言ってるんだろう? ということになる。しかしなが

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    mobanama 2008/06/04
    関係ないが「火山の石」ってなんか面白いな。まさに軽石。自分を磨くためのものw。そのくだりが微妙にdankogai氏を反面教師扱いでdisっているところも面白い。
  • 0012「『ですね、わかります』ジェネレーター」 - ハックルベリーに会いに行く

    アイデア1000ノックWebコンテンツです。掲示板やブログ、SBMの書き込みを見ていると、時々、会話や議論の流れなどはどうでもよくて、ただ人を「イラっとさせること」や「クスっとさせること」のみを目的とし、それに心血を注いだ書き込みをされている方がいらっしゃるようにお見受けします。そうした方々にとって、「ですね、わかります」話法は格好のメソッド。これをやると、良い感じで話しの流れにさくびくさびを打ち込むことができ、議論の当事者に対しては「イラっと」、傍観者に対しては「クスっと」させることができます。これは、自己の重要感がとても満たされ、すごく気持ちの良いものです。 しかし、そうした方々も、あらゆる場面においてこの「ですね、わかります」話法が使えるわけではありません。時には、話しの流れや文脈がいまいち理解できなかったり、あるいは時間がなくて、理解するのが手間だという場合もあるでしょう。そうし

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    mobanama 2008/06/03
    『自己の重要感がとても満たされ、すごく気持ちの良いものです。』「重要感」?
  • それ1冊読んでおけばSF小説というジャンルそのものを語れるたった1つの作品 - ハックルベリーに会いに行く

    この世界には、それ1冊読んでおけばSF小説というジャンルそのものを語れる作品が―― あるかどうかは分かりません。というのも、残念ながらぼくはSF小説を読んだことがないからです!(これ当) 前のエントリーは、どうやら「SF小説」という部分でみなさんに興味を持ってもらったみたいなのですが、だとしたらちょっと悪いことをしたかも知れません。というのも、ぼくがどんなSF小説を念頭においてこれを書いたのか、気にされている方が多いみたいなんで…… ぼくとしては、たまたまその言説を聞いたのがSF小説を語っている場面においてだったので、それをタイトルにしたまでなんです。いえ、でもこれは、たまたまではなかったのかも知れません。もともとSF小説には、この手の「読むべきか読まざるべきか論争」というのがあって、一方には、「1000冊読んでればSF語ってもいいよ」という勢力がいれば、もう一方には、「読んデレウザい」

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    mobanama 2008/05/27
    逃げを打つエントリを上げるくらいなら本論で述べてた漫画についてそれを提示して欲しい。『「テレビゲーム」「ハリウッド映画」「野球」「お笑い」「世界文学」』でもいいけど個人的には漫画が最もわかりやすそう。
  • SF小説を語るのに全てのSF小説を読む必要はあるか? - ハックルベリーに会いに行く

    ずっと以前、「何かを語るなら、まずは知識がないといけない。少なくとも、そのジャンルを全部読み尽くすくらいでないと……」という言説を聞いたことがある。それは確か、「SF小説を語るなら、古今東西全てのSF小説を読んでからでないと」といった文脈で語られていたように思う。 まだ少年だったぼくにとって、これはなかなか説得力のある言説だった。また、博識な人に強く憧れ、世界の全てを知りたいと思っていたから、ある意味魅力的な挑発でもあった。そのため、これを真に受けて、ありとあらゆるものを読んだり見たりした時期があった。 特に中学3年生の時は、マンガが好きだったから、出版された全ての男性向けマンガ雑誌を読んでいた(少年向けから大人向けまで)。当時の書店は立ち読みができたし、また出版点数も少なかったからそれが可能だった。 しかし、一年間その生活を続けてみると、さすがにバカらしくなった。時間がかかったというのも

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    mobanama 2008/05/26
    一つで語れるのは「ジャンル」じゃないし、ジャンルだと思いこんでいるものはただの「お気に入り」なだけ。手前勝手な一断面に過ぎない。せめてその一つ二つを具体的に提示してみな。納得したら撤回する。ありえんが
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