色々考えたのだけれども、そういうものの中において、もはや男性の欲望は少女の主体の側に同化してるんじゃないかと。少女を殺して食べたMとか、そもそも殺したいとか食べたいとかいうことの中には同化の願望があるんじゃないか。 本田透氏なんかの著作を読んでいても、現実の女はイラン、2次元だけでいいと書いてあるけれども、じゃあどうしてそうやって必死で作り上げるイメージが少女なのか。女でなければならんのか。ということが気になるのですよ。なんで少年同士で、とかいうことには間違ってもならんのか。だって持ってるカラダが違うじゃないですか。なぜ大塚英志氏は少女に異常な執着を持って研究なさるのですか。 ――「少女になりたい人たち」 2ヶ月も前の記事だが、最近見つけたので言及しておく。 さて、どうだろう。ぼく個人にかんしていうなら、少女になりたいという願望はないと思う。 潜在意識の底までさらってみればどうかはわからな
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