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ブックマーク / docseri.hatenablog.jp (18)

  • ローカルルール、規約、法 - 妄想科學倶樂部

    mixiコミュでまたトピごと抹消された。 この某コミュは管理者が「一切の議論を認めない」という姿勢で運用しており、参加者は誰かの発言に意見することを許されず、従って賛同の言葉だけが並んでいる。 今回も、トピ主の趣旨と異なる意見が出て有意義な議論が交され初めた所での、唐突な削除であった。事前に警告もなければ荒れた言葉使いなどの問題発言の削除でもない、「トピ主の意見と異なる書き込みがあったため」というとんでもない理由でのトピ全体削除。 あまりにあまりなので管理トピにて苦情申し立てたが「ここに管理者以外が書いてはならない」と書き込み削除。さすればどこに意見すれば良いというのか。人に直接メッセージを送ってみたが返事はない。 ところでmixiの規約上、各自の発言は各自の責任下に於いて行なわれ、その権利も義務も発言者に帰属している。そして文章には著作権/著作者人格権があり、軽々に改変/削除を行なうべ

    ローカルルール、規約、法 - 妄想科學倶樂部
  • 今度は無断スタイルシートOff禁止ですってよ - 妄想科學倶樂部

    kikulogに乱入してきた「でんすけ」氏。アンチが目的、言動はその手段という末転倒なスタンスでグダグダの議論を展開してくれたわけだが、その中で目を引いたのが「スタイルシートをOFFにするのはインモラル」という主張であった。 無論何もないところからこんなトンデモ発言が出る筈もなく、これは件の記事を掲載した日経Tech-On!の陶しい会員登録要求が「スタイルシートOffにすれば消えますよ」という話から「それは営業妨害だ→そんなことを公開するなんて社会人失格」(意訳)てな流れに。 まあこれが「会員のみ公開のコンテンツを勝手に公開した/ログインパスワード公開した」みたいな話なら確かにインモラルと言える。しかし日経のそれは単に登録を促す半透明のレイヤを被せているだけであり、読めないようにしてあるわけではない。公開されたデータを読み易いように整える方法であって、決して不正アクセスの方法を教示して

    今度は無断スタイルシートOff禁止ですってよ - 妄想科學倶樂部
  • 例えと喩え - 妄想科學倶樂部

    議論における比喩禁止条約 - 最終防衛ライン3 この中で「電車内のマナー」話をしているのを見て「比喩禁止話の中でたとえ話とは」と思ったのだが、考えてみればそれは適切な見方ではない。 「たとえ」には2種類あるのだ。「例え」と「喩え」である。 例えはサンプルの例示である。主題に沿って具体的な事例を紹介するもので、(適切なサンプルでないという可能性はあるにせよ)基的に事象として一致しているため論旨を歪めることがない。 対して、喩えは主旨を感覚的に理解させるための置き換えである。来の事象と置き換えられた事象は、ある一面で一致しているかも知れないがそれ以外の面では共通性がない。にも関らず、比喩の方に対して「いや、その場合はこうなる」などと突っ込みが入ってしまうことで論旨が歪められてしまう。 mixi某所で例示と比喩を区別できない人と議論したことがある*1。変な比喩にこだわって話が逸れるので何度も

    例えと喩え - 妄想科學倶樂部
  • 無断リンク禁止に応える唯一のBlog - 妄想科學倶樂部

    「ブックマークされたくない」という不特定多数の言葉がある。この声ははてなにも多く寄せられている。自分は多くの人に向けて表現しようなんて思っていないし、個人的なことを綴りたいだけだ。だからブックマークされない権利があっても良いはずだ、という声だ。 技術的に可能かどうか、理論的に許されるかどうかといった問題は置くとして、実際のところ「ごく一部の人以外に見られたくない、けれど見知らぬ人にも見てほしい」という要望は存在する。基的には矛盾する要求であるから、「認証制にして一部の人にだけ見せる」か「無制限公開する」のいずれかを選択せざるを得なかったわけだが、ここに来てはてながなぞなぞ認証を実装したことで状況が少し変わってきた。 なぞなぞ認証は「ある事柄について知っている人にだけ閲覧を許可する」機能である。例えば特定作品を読み込んでいる人しか答えられないであろう問題を出すことでコアなファンのみに限定す

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  • なるほど、それでJASRACが嫌われるのか - 妄想科學倶樂部

    線がはっきりわかって誰もニコニコしていないのと、線はおぼろげで見えないけどみんながニコニコしているのとどちらがよいかああ、そうか。ずっとJASRACに対して引っ掛かっていたのは、それだ。 著作権侵害というのは親告罪だから、権利者が訴えなければ罪には問われない。それで、普通は明らかに営利目的での無断利用であるとかあまりに大規模な侵害というような、悪質なケースでなければ黙認される。厳密に言えばパロディ同人誌なんて侵害の塊のようなものだし、MADヴィデオ系だって映像や音楽などを無断使用しているわけだが、これらは実質的に権利者の持つ利益を侵害してはいない(どころか、裾野の広がりはむしろ市場の拡大を伴い、却って利益拡大に繋がるのではないかとの見方もできる)。 だがJASRACは、個人利用まで含め非常に広範囲に侵害を追求する。何故か?それは、そうした行為全般が単純にJASRACの利益を侵害するからだろ

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  • ニコニコ動画の威力 - 妄想科學倶樂部

    週末ずっとニコニコ動画に見入ってしまった。これは恐ろしい。 巷で話題になったVOCALOID「初音ミク」の歌うzabadak「遠い音楽」を聴くためだけにアカウントを取得してみたところ、その界隈の充実ぶりに驚いた。 正直、動画を見るだけならYoutubeでほとんど用が足りている。ストック量は世界一、日語の扱いにも問題はない。それでもニコニコ動画を集中的に見るのは、コメント投稿による意識共有の心地良さ故だ。 例えば音楽を聴くのに、CDの方が演奏は纏まっていて聴き易いしコストパフォーマンスも高い、にも関らずライヴを聴きに行くのは、その場の雰囲気を楽しむためである。ライヴ録音を聴くのでもなく、やはり「その場にいたい」のだ。 ニコニコ動画のコメントはこれに近い。その場にいてリアルタイムに空気を感じているわけではないが、タイムラインに応じたコメントの応酬により時間も場所も離れたユーザとの感覚共有が可

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  • 非対称性 - 妄想科學倶樂部

    無断リンク問題は構造的な非対称性が争いの根原因になっている節がある。 無断リンク禁止を主張することと、それを無視することは等価な権利であるということを述べたが、結果として禁止側が実効性を持てずにいる。従って禁止派はこれを不公平に感じ、強制力のある禁止措置を権利として求める。 しかし事実として強制力はないし、仮に禁止派がそれを認められるならば、自由派もまたその撤回を権利として求めるという堂々巡りな争いになるだろう。 実は禁止派には、技術的手段を用いて絶対無断リンク不可な状態を作る権利が認められているのだが、実際問題として禁止派にそれが可能なだけの技術をもつ人はほとんどいないし、逆に技術を学んだ人は自由派に与している*1。「したいけどできない」対「できるけどしない」の非対称構造がここにも。 これを解消する手段は多分唯一「禁止派が技術を学ぶ」だけじゃないかと思う。 結果として禁止派がいなくなる

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  • いたちごっこ - 妄想科學倶樂部

    何度目かの無断リンク争議。 無断リンク禁止宣言をしたサイトに無断リンクをすると、相手のサイトに対して特に差別的に嫌がらせをしているわけではないことの説明なし嫌がらせをしたことになる(無断リンクをした人の自己責任)要約すると「(無断リンク禁止宣言サイトに対する)無断リンクは明示的な嫌がらせ」ということか。 論旨としては理解する。厭だと表明しているのを知りつつ、その厭なことを行なうのだから意識的に嫌がらせをしているのだと言えなくはない。 ただ、「だから無断リンクは悪」ということにはならない。知ってのとおりリンクは法的に制限される行為ではないし、むしろ表現の自由の元に保護されると言ってもよいわけだが、それ以前の問題として上記の論調には問題がある:つまり「無断リンク禁止宣言の禁止」を主張する人がいた場合、まず無断リンク禁止宣言がそれに対する嫌がらせに相当することになるという点だ。 無論、これは特定

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  • 無断ブクマ対策としてのエントリ入れ替え事例 - 妄想科學倶樂部

    無断リンクの一貫としてソーシャルブックマークを非難したtinycafe氏のような例は過去にもあったし、要約として冒頭の一部が引用されることに抵抗を示す例もあったが、それに対してエントリ削除/Blog移転ではなくURLに対するエントリ内容のみの入れ替えを行なったと思しい事例。 はてなブックマーク - いつまでこんな事。。。 - FC2 BLOG パスワード認証 ブックマークのタイトルは「無断リンク禁止是々非々論争はナンセンス」であるが、実際にブックマーク元記事を見ると「こんな手紙送りつけちゃった。私、ポアされちゃうかな? そん時はどうか骨を拾ってやっておくんなさいまし、、、 」になっており、内容ははてなブックマークというシステムへの怒りを表明したものとなっている。 元の記事は現在http://ahenosakata.blog83.fc2.com/blog-entry-166.htmlに移動し

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  • 不適切なら削除してください - 妄想科學倶樂部

    mixiで新規トピックを作成した人がよく最後にこう記すことがある。このセリフ、確か以前はBBSでよく見かけたものだ。 不適切かも知れないと思うなら書かぬようにするなり不適切ではないかと思う部分を修正するなりすべきだし、また管理権限者が不適切と判断すれば適宜削除なり修正なりされるので、いちいち断りを入れる理由がない。まったく無駄な一文に思えるわけだが、多分書いた方としては気配りのつもりなのだろうと思う。 正直言って、見るたびに少々苛立つ。この苛立ちは何だろうと思ったら、要するに無断リンク問題と同根なのだった。 無断リンク禁止を謳う人の主張は大雑把に言えば「リンクする前に一言断りを入れて下さい」というものだ。微妙にヴァリエーションがあって、事後報告で良しというものや許可制のものなどが存在するが、要は「リンクしたいんですけど、厭だと思ったら断ってかまいません」という態度を見せろという要求。 管理

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  • はてスタ意識過剰 - 妄想科學倶樂部

    なんだかあちこちで「評価されたくない」とか「フレンズを意識させられて窮屈」とかいう意見を目にするのだが、それはちょっと意識過剰なのではないかと。 されたくてもされたくなくても評価は受ける。はてなブックマークだってそうした評価のひとつだし、はてスタと違って避けることもできない。 まあ気にしたくなければ見ないようにすることはできるが、評価を受けないようにすることはできない。 避けようがないなら気にする必要はないんじゃないかと、私は思うのだが仲々そうも行かないのか。 フレンズを意識云々についても意識過剰だ。互いに相手のダイアリを読んでいて、かつ頻繁に注目に値するエントリを投稿している人なら意識せずとも関係は維持されるし、逆に特定個人だけ意識したって巧く行かないものだ。ていうか、そういう書き方はそれ以外の読者を無視することに等しい。 自分の発言に何か反応があることを期待し過ぎる人も、逆に反応を恐れ

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  • 無断リンク禁止CGI - 妄想科學倶樂部

    無断リンクを禁止したいのにその手段を持たない人のために、ちょっとしたCGIを書いてみた。 そんなに難しいものではなくて、単にHTMLファイルを読み込んで表示するだけのものだが、その際リファラをチェックして禁止指定URLからのアクセスを弾いたり直リンクをトップページにリダイレクトしたりする。ついでにパスワード保護も可能。 なにしろ素人が手遊びに作った代物であるから色々と穴もあろうし、スマートでない処理も多い。動作をチェックして頂ける方、改良して頂ける方を絶賛募集中。 尚、可能な限り簡単にしたつもりではあるが、.htaccessを設置しないと(CGIを経由せず保護コンテンツにアクセスできてしまうので)無意味になるし、設定の書き換えとアップロード後のパーミッション変更は必須なので掲示板程度のCGIも設置したことがない人にはちょっとお薦めできない。 以前書いたJavaScript版はこちら。

    無断リンク禁止CGI - 妄想科學倶樂部
  • 意のままになる領域と、そうでない領域 - 妄想科學倶樂部

    たとえば著作物を公開する。画像や文章なら書籍として、音楽や映像ならデータディスクとして流通させるだろうし、オブジェクトや原画ならギャラリーを借りて展示するかもしれない。 これら著作物の権利自体は、勿論著作者である貴方自身が保有しているから、それを勝手に複製したり改変して公開したりするのは差し止められる。けれど流通しているものの購入を禁じたり、展示しているギャラリーの場所の公開を禁じることはできない。それは著作者の権利範囲外だから。 同様に、Webに公開したデータへのリンクを禁じることはできない。リンクさせたくないなら、(例えば会員制のギャラリーへ展示したり会員のみに販売するように)アクセス制限など技術的な手段を講じる必要がある。 「嫌がることはやめろ」とかいう話ではなくて、根的にそれは自分の権利が及ぶ範囲ではなく、禁止即ち他人の権利を侵害するものだということ。感情論に終始してしまうと「じ

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  • なるほど、リンクには価値がある。けれども、 - 妄想科學倶樂部

    リンクの価値というのは「リンクして貰う」ことの価値であり、「リンクさせてやる」ことの価値ではない。 ただし「リンクして貰う」ことの価値は一方的に享受するものではなく、リンクした側にも利点をもたらし、取引的には等価となっている。 昔、wwwに静的HTMLしかなかった頃は、リンクというのはこちらから一方的に張ることはできても向こうからして貰えるかどうかは保証されなかった。だからこそ全てのページを集めたハブとしてYahoo!のようなインデックスが有用だったのだし、またリンクした旨を申し出て「できればこちらにもリンクして欲しい」とお願いする必要があった。この風習はいつの間にか事後の「相互リンク願い」から事前の「リンク許諾申請」という形に変化してゆく。即ち、相手に対し自分へのリンクを請う形から自分からのリンク自体を許可願うように、全く逆の形式になっていることに注意されたい。 そのような誤解がどこから

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  • 投げ銭は死んだか - 妄想科學倶樂部

    はてなブックマークに投げ銭機能が付いて投げ銭界隈がちょっと盛り上がってから2年。ほんの一時期のブームに終わり、送受信ともめっきり落ち込んだ……とか書こうとしていた矢先、お二方からポイントを頂いた。有り難うございます。 それはそれとして、結局投げ銭にはBlogosphereを変えるまでの力はなかったようだ。それは何故だろうか?原因をちょっと考えてみた。 有料だから 結局はこれが一番大きいような気がする。投げ銭は直接的に金額で関心の度合いを示す行為であるから、僅かばかりとは言え身銭を切る必要がある。 Webの情報は基的に無料との認識を持たれていることも大きいだろうが、もう一つの理由として「小銭がない」というのもあるのではないかと思っている。現世の投げ銭は「財布に残った小銭を投げる」意味合いが結構強い。つまり小銭がなければ投げない。そしてネットでは、その小銭に相当するものが存在しないのだ。 例

    投げ銭は死んだか - 妄想科學倶樂部
  • 無断リンク禁止スクリプト - 妄想科學倶樂部

    色々考えた結果、「無断リンク禁止派はWebに於ける引き篭りのようなもの」という結論に達した。つまりリンク自由主義者の活動は彼らにとってみれば無理矢理カウンセリングに連れ出されるようなもので苦痛の極みと言える。こんな状態では双方の幸せは有り得ない。 無断リンクを禁止する手法も持たず闇雲に禁止を叫ぶのも不毛だが、それを全否定するのも矢張り不毛だ。双方が納得するとまではいかずとも、落とし所を見出さねばなるまい。 で。 取り敢えず「無断リンク禁止スクリプト」を作ってみた。 単なるJavaScriptなので、何ら専門知識を持たずともコピー&ペーストだけで利用できる。その代わり、JavaScriptを切ったりURLをコピーして別ウィンドウで開けば簡単に回避できる程度の代物だ。 使い方 以下のソースをHTMLのヘッダ部分にコピー&ペーストし、拒否URL/許可URL/転送先を書き替える。 <script

    無断リンク禁止スクリプト - 妄想科學倶樂部
  • 無断リンクを撃退する人 - 妄想科學倶樂部

    http://d.hatena.ne.jp/tinycafe/20061005/1160099629 まだやってたのかこの人。 無断リンクの主張は無意味だが、主張すること自体を禁じるものでもない。 ただ、アクセス解析のshinobiってはてなでは広告バナー扱いで利用規約に抵触しなかったっけ?あとshinobi側でも、(Javascriptの使えないはてなに貼るにはソースコードの改変が必要なので)規約に抵触するとか聞いたような気が。 確認したわけではないので断定は避けるが、仮にそうであれば人にルールを強要する前に自分がルールを守らなくてはね、と。 それはそうと気になるのが「撃退ツール発動」なのだけれど。一体どうやって撃退するつもりだ。その辺知りたいので是非発動して下さい。 エントリごと抹消。ブックマークの方に内容が残っている。

    無断リンクを撃退する人 - 妄想科學倶樂部
    mosshm
    mosshm 2006/10/06
    撃退ツール発動に期待。
  • TrackBack2.0 - 妄想科學倶樂部

    昨日関心空間の日記でトラックバックの関心空間起源説を書いたが、その関連で考えたこと。 昨今、言及を伴わぬトラックバックのあり方について議論が巻き起こっているようである。 大まかに言って、現在のトラックバック利用法には以下の3種類があろう。 他のエントリに触発されて書かれたエントリからの言及通知 エントリのメインテーマに関連する語で検索した結果に対して為される関連通知 内容とは無関係に閲覧可能性を高めるためだけに無作為に送信されるトラックバックスパム 3は論外として、問題視されているのは2を正当なトラックバックと認めるかどうか、である。(参考:トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか[絵文録ことのは]2006/01/06) これを松永氏は文化的衝突として解説されている。双方の主張についてはもうこれ以上言うべきことも無いし「見解の違い」であ

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