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ブックマーク / esu-kei.hatenadiary.org (3)

  • 『涼宮ハルヒの驚愕』について、三つの不満点 -  esu-kei_text

    『涼宮ハルヒの驚愕』について、ファンの間では「待望の新刊が発売されたことをまず喜ぶべきで、批判するのは二の次だ」という風潮がある。 しかし、読んだ人の大部分は、この新刊に「物足りなさ」を感じたはずだ。 その理由を僕なりに分析してみよう。 (1)SFの魅力をいかせなかった展開 『涼宮ハルヒの驚愕』、そして、その前編である『涼宮ハルヒの分裂』では、αとβという異なる世界が並行して語られている。その試みは面白いと思う。 しかし、その並行世界の原因については、あまり納得できるものではなく、読者として大いに失望したものだ。 例えば、カート・ヴォネガットという米国作家の代表作に『スローターハウス5』というものがある。その作品では、宇宙人が出てきて、地球人と異なる時間概念が語られるという、奇妙奇天烈な内容ではあるが、同時に「人間がSFという物語を求める理由」を見事に描きだしている。 実は、『スローターハ

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  • 中野梓とコルトレーンとルー・リードと音楽理論 -  esu-kei_text

    「けいおん!」という日常アニメに、蛸壷屋の人といい、その影響を受けた僕といい、異なる方向性を思い描いてしまう理由は、中野梓のキャラ設定にある。 中野梓は小4でギターを始めた。親がジャス・バンドをやっているからである。 そんな彼女が軽音部に入ったとなると、これはもう、一筋縄ではいかなくなる。彼女がバンドに「カッコよさ」だけを求めているはずがないし、「音楽は、音を楽しむものなんだよ〜」と能天気に言うような軽い信念の持ち主ではあるまい。 僕はジャズをやっていた知り合いのことを思いだす。 僕は彼にたずねた。「ジャズとはなにか?」 彼は答えた。「コード理論なしにジャズは語れない」 そして、彼が僕に聴かせた音楽は、J・コルトレーンだった。 そう、彼もまた、世に腐るほどいる、うっとうしいコルトレーン信者の一人だったのだ。 コルトレーンといえば、ある人は天才というが、僕は変態だと思う。 例えば、「ジャイア

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    mosshm
    mosshm 2009/08/31
  • 蛸壷屋の同人誌の面白さを主張する - esu-kei_text

    どうやら、某所で蛸壷屋の「けいおん!」新刊が話題になってるようなので、昨日に続いて便乗記事を。 さて、蛸壷屋の二次創作といえば「やりすぎ」だとか「原作に対する愛がない」と言われているわけですが、僕は声を大にして言いたい。 愛があればいいのか、と。 例えば、ハルヒの同人誌を見て感じるんですが、物分りのいいハルヒなんてハルヒじゃない。 涼宮ハルヒといえば、したたかでワガママで自分勝手で偉そうで憎らしい存在でなければならないんです。 ハルヒを自分好みの女の子に仕立て上げようとする二次創作は、たとえ愛があっても認めるわけにはいかないんですよ。 だって、ハルヒがただのツンデレだったら、三流ラノベになっちゃいます。 ハルヒは傍若無人にふるまってこそ、ハルヒなわけです。 そんなわけで、蛸壷屋のハルヒシリーズ第一作「涼宮ハルヒの服従」(18禁)では、こんなシーンが出てくるわけですが、 そう、いろんなところ

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