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現代史と社会に関するnagaichiのブックマーク (167)

  • 「死刑執行人の日本史―歴史社会学からの接近」櫻井 悟史 著

    の死刑制度において、死刑執行は刑務官が行っている。刑法十一条一項「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」に基づいて、刑事施設の職員が行うという理屈からだ。しかし、死刑制度を採っている諸外国でも必ずしも刑務官が死刑執行の役割を負う訳ではなく、死刑制度上刑務官が行うべき必然性があるわけでもない。では、なぜ日では刑務官が死刑執行を担っているのか?日において刑務官が死刑執行人としての役割を果たすようになった歴史的経緯を、史料を元に丁寧に辿ったのが書である。 タイトルは「死刑執行人の日史」だが、取り上げられるのは江戸時代後期~現代なので「死刑執行人の日近現代史」という方がしっくりくる。 江戸時代の死刑は身分ごとに斬首、死罪、切腹などその刑罰の内容が違うが、その執行は武士が行うものとされていた。その役割を担うのは牢屋の管理を行う囚獄(牢屋奉行)やその直属の打役同心(看守)ではな

    「死刑執行人の日本史―歴史社会学からの接近」櫻井 悟史 著
  • 中国が靖国参拝を批判し始めた原因は朝日新聞という説について

    ■[デマ][歴史]中国が日の閣僚の靖国神社参拝を批判し出したのは昭和57年から http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150305/1425582362 ■萩生田光一議員「国会決議で戦犯は名誉回復された」の間違い http://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/43377559.html ■衆議院議員野田佳彦君提出「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書 続きを読む

    中国が靖国参拝を批判し始めた原因は朝日新聞という説について
    nagaichi
    nagaichi 2014/01/02
    靖国問題PDFすごい。
  • 報道STATION -特集- 『“A級戦犯”広田弘毅元総理 沈黙破った孫「合祀認めてない」』

    『“A級戦犯”広田弘毅元総理 沈黙破った孫「合祀認めてない」』 「責任ある地位にいた者であるのは確かで、その地位にあった者としての責任を取るという覚悟は当然あったと思うし、私もそれが当然かなと思う」。 戦前戦中の激動期に外務官僚から外務大臣、総理大臣を歴任した第32代内閣総理大臣・広田弘毅は、外務大臣時代に起きた、いわゆる「南京大虐殺」や、総理在任中の「日独防共協定」の締結などを理由にA級戦犯とされ、絞首刑に処せられた。絞首刑となった7人のうち、ただ一人軍人ではなかった広田元総理は「黙して語らず」という姿勢を貫き通し、裁判中、ほとんど弁解をしなかったという。 その広田元総理の孫、広田弘太郎氏が音声のみのインタビューで靖国神社に合祀された遺族の複雑な想いを語った。 A級戦犯が「軍神」として崇めたてられることを懸念したGHQは、遺骨を遺族に渡さなかったが遺族の弁護士に依頼された住職が、遺

  • 首都高を建てたパワー、撤去する叡智:日経ビジネスオンライン

    1914年(大正3 年)建築の東京駅が復元され、1931年(昭和6年)開業の浅草松屋ビル(東武浅草駅)が修復された。東京の古い建造物がかつての姿を取り戻す度に心が弾む。だが一方で、通るたびに暗澹たる気分にさせられるのが日の交通の起点、日橋だ。1603(慶長8年)、徳川家康によって架橋され、現在の石橋も102年の歴史を持つが、1964年の東京オリンピックに合わせ急ピッチで整備された首都高速道路によって上空を塞がれて半世紀が経とうとしている。名橋「日橋」保存会の永森昭紀氏は、50年以上の間、日橋を見つめてきた。「オリンピックで誕生した首都高は、次のオリンピックで役割を終えさせるべき。建設したパワーもすごいが、撤去するのも叡智だ」と説く。 (聞き手は小板橋 太郎) 永森さんは1961年(昭和36年)に三越店に入社されたんですね。50年以上日橋を眺めてこられ、62~63年頃に高速道路に

    首都高を建てたパワー、撤去する叡智:日経ビジネスオンライン
  • 在日の通名使用の歴史は古い: 辻本武 tsujimoto blog

    戦前・戦中に来日した在日朝鮮人は、日の終戦=朝鮮の解放になるまでの間、居住地の警察が組織した「協和会」に加入し、「協和会会員証(いわゆる協和会手帳)」を持つことになっていました。この協和会手帳には「名」「通名」「内地名」の三つの名前を記載する欄がありました。ただし昭和15年(1940)の創氏改名令以降は、「名」と「通名」の二つになります。 「名」とは戸籍に記載される名前です。「通名」とは当時の朝鮮社会では日常生活で戸籍名にはない名前を使うことが多かったためで、これを「通名」としていました。どちらも民族風の名前となります。そして「内地名」とは、来日してから日で名乗る名前で、通常日風の名前になります。つまり戦前の在日朝鮮人は、「名」「通名」「内地名」の三つの名前があることを前提として行政当局に把握されていました。分かりやすく仮名でいうと、名は「崔昌寿」、通名は「崔斗煕」、内地名

  • 昔はすごかった! ありえない昭和の子育て事情 - Ameba News [アメーバニュース]

    どちらかと言えば昔よりも今の方が子育てに過敏になり、過保護になったようなイメージがありますが、果たして昔の子育てとは具体的にどんなものだったのでしょうか? 「抱き癖がつくから抱っこしない」「子どもは泣いて育つ」「ご近所さんに育ててもらう」など今の子育てからすると「そんなのあり?」とギャップがあるように感じますが、実際にはどんな子育てがなされていたのか、トピであげられた驚愕エピソードをそれぞれご紹介します。 タバコ、お酒、外遊び… なんでもござれの昭和育児 昔はよくも悪くも規制の少なかった時代。そんな時代に育った子どもたちは、親たちの推奨する子育てに順応していたはずですが、今考えるとちょっとおそろしい環境だったりもするようです。そんな驚きの子育て事情とはどんなものなのでしょうか? “自分が赤ちゃんの時の写真見ると、机に掴まり立ちしてニコニコしてる私の目の前に吸殻てんこもりの灰皿とか写っちゃっ

    昔はすごかった! ありえない昭和の子育て事情 - Ameba News [アメーバニュース]
  • 阪神大震災「初動まずさ弁明できぬ」元首相後悔 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    阪神大震災当時の政府首脳、自治体トップらの証言をそのまま記録したオーラルヒストリー(口述記録)が、震災の教訓を伝える施設「人と防災未来センター」(神戸市中央区)で順次公開されている。先月までに、村山富市・元首相や後藤田正晴・元副総理(故人)ら54件。初動の遅れや被災者への配慮不足など、危機管理や復興を担った責任者たちの後悔が随所ににじむ。 同センターを運営する公益財団法人「ひょうご震災記念21世紀研究機構」の五百旗頭(いおきべ)真理事長らが、1998年から2010年にかけ、政財界や消防、自衛隊などの約90人をインタビュー、66件の文書ファイルにした。 当初は30年間は公開しない予定だったが、東日大震災後、同機構は、「南海トラフ巨大地震などに備え、教訓は今伝える必要がある」(研究調査課)と、人や遺族らの理解を得られたものから公開を始めた。 震災当時首相だった村山氏は、なかなか情報がつかめ

  • Twitter / @sweets_street: ソ連型社会主義の失敗から学ぶべき最大の教訓は「事前計画と数値 ...

  • オウムを知らない子供たち - Danas je lep dan.

    全国の大学の2割に当たる約150校が加盟する「全国カルト対策大学ネットワーク」は、カルト集団の勧誘から学生を守るための情報交換をしている。発起人の一人、恵泉女学園大学の川島堅二学長(宗教学)は一昨年、首都圏の大学でカルト宗教について講演した後、男子学生から「アレフという団体は知っていましたが、もともとオウム真理教だったことは初めて知りました」と聞かされ、驚いた。「オウムの記憶が薄い大学生以下の世代がターゲットになっている」と警鐘を鳴らす。アレフサークル通じ学生を勧誘 オウム事件知らない世代− 毎日jp%28毎日新聞%29 昭和が終わって僕等は生まれた〜 オウムを知らずに僕等は育った〜 おとなになって歩きはじめる〜 ゆとりの歌をくちずさみながら〜 僕等の名前を覚えてほしい〜 オウムを知らない子供たちさ〜 僕より年下でもオウム事件や阪神大震災のリアルタイムでの記憶がある人はいるらしい。僕は先帝

    nagaichi
    nagaichi 2012/06/25
    こういう話をされると、ひとまわり上のジジイであることを痛感させられる。
  • ついにとどめを刺される「全学連」 東大の自治会が引き起こす社会運動史上の大事件とは | JBpress (ジェイビープレス)

    「全学連(全日学生自治会総連合)」という名前には、2つの見方がある。かつて学生運動に身を投じた、60歳を超える人たちには善かれ悪しかれ大学時代を象徴する、学生運動の拠点。60歳から40歳くらいの人には、時代遅れの連中が左翼ごっこをする舞台程度にしか見ていない人が多いだろう。それより下の世代で知っているのは、いわゆる共産趣味者(左翼を観察する趣味の持ち主のこと)か、今なお残る(政治)活動家くらいではないだろうか。 現在5つある全学連の中で最大の規模を持つとされるのが、「民青系全学連」と呼ばれる全学連である。民青とは、正式名称は日民主青年同盟といい、「日共産党の導きを受ける」青年政治組織である。その民青が執行部で主導権をとるため、民青系と呼ばれる。その民青系全学連が近く解散する可能性が高くなってきた。 引導を渡すのは、「東京大学教養学部自治会」(通称「東C自治会」)だ。代々民青が執行部を

    ついにとどめを刺される「全学連」 東大の自治会が引き起こす社会運動史上の大事件とは | JBpress (ジェイビープレス)
    nagaichi
    nagaichi 2012/05/25
    結論がグダグダだけど、前半は非常に面白い。
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 日本が50以上の原発と大量のプルトニウムを抱え込んでしまった本当の理由

    の原子力の歴史を網羅的に記述した文章が米国のPEC(Public Education Center)により公開された。 United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium 非常に中身が濃いので簡単に要約などできないが、この文章を読むと、日の原子力発電と宇宙開発が「日はいつでも核兵器を作ることができる」という「非核・核カード」を持つために押し進められたことが良く分かる。 私の目を引いた文章は何カ所もある。たとえば、 In October 1964, communist China stunned the world by detonating its first nuclear bomb. The world was caught by surprise, but nowhere wer

  • ポピュリズム・エリーティズム - 経済を良くするって、どうすれば

    (昨日の掲載分) 古代ローマの循環政体論、すなわち、君主政から貴族政へ移り、それが民主政に代わり、更に衆愚政治になってカリスマが望まれるようになり、元へ戻るというもの、これは政治学の教養としては面白くても、現実の日政治で心配するようになるとは、一昔前には思ってもみなかった。 不遜に聞こえるかもしれないが、政治には、エリーティズムは、欠かせない要素である。経済運営でも、社会保障でも、政策立案には専門知識が要求され、その良否を判断するのにも、相応の良識が必要である。平たく言えば、能力ある官僚が政策を作り、経験深い政治家が判断し、国民の理解を広げていくという過程になる。 日で問題になるのは、官僚が政策能力を失った場合である。官僚が誤った政策にはまってしまうと、それに代わる政策を示す者が居なくなってしまう。ここが米英とは異なる。一度踏みはずと、修正は非常に難しいものになる。もしかすると、破綻に

    ポピュリズム・エリーティズム - 経済を良くするって、どうすれば
  • asahi.com(朝日新聞社):靖国戦犯合祀、国が主導 地方の神社から先行 - 社会

    印刷  戦争犯罪に問われた軍人らの靖国神社への合祀(ごうし)について、旧厚生省が日の独立回復翌年の1953年に、公的援護制度の拡充などに応じて順を追って無理なく進める、との方針を決めていたことが同省の内部資料でわかった。方針に沿って、先に地方の護国神社での合祀を目指すとの記述もあり、朝日新聞が調べたところ、6カ所でA級戦犯3人を含む先行合祀の記録が残っていた。  天皇や閣僚の参拝や、戦争責任をめぐる議論を起こしてきたA級戦犯合祀の原点となる方針が、独立回復に際して政府内で練られていたことになる。  政府は従来、国会答弁などで、戦犯合祀は「靖国の判断」とし、宗教行為である合祀には関与しておらず、政教分離を定めた憲法に反しないとの姿勢を強調してきた。だが、今回の文書で、終戦までと同様、政府が合祀という靖国の根幹領域に立ち入って方針を定め、戦犯合祀の環境をつくり上げたことがわかった。 続きは朝

    nagaichi
    nagaichi 2012/01/21
    旧厚生省が靖国に戦犯合祀させたとさ。新憲法下でも靖国国家護持させたかった一群の人々が権力中枢にいたわけさ。こういう文脈抜きに靖国法案なんて出てこない罠。
  • 「左翼=反権力」イメージの形成と再考 : Modest Comments on What I Have Read

    「左翼」のイメージをめぐるインタビュー(新宿BERG店長のブログ)を、興味深く読むと同時に、複雑な気持ちになった。 「左翼=反権力、権力にアカンベー」というイメージは非常に日的だ。それは、肯定点もあるが限界もあろう。左派が国家権力を禁忌し、なぜかそれを自慢さえするようになった。左派的なものが「任せて文句を垂れる文化」(宮台氏)のイメージになってしまった。日でなぜこれほど、デモなるものが多数の人々から嫌悪されるかの遠因とも関係しよう。 やはりその背景には、1968年以降(1960年ではない)の学生運動が示した未熟さや暴力性、無責任さがあり、それをパターン化して繰り返し消費してきた「語り/言説」があろう。また、68年に端を発する学生運動・社会運動の内実が、アングラ的な「ちゃらんぽらんさ」のスタイルの称揚に流れ込み、今はそのような文化左翼の実践としてのみ生き残っている、という点もあろう。 若

    「左翼=反権力」イメージの形成と再考 : Modest Comments on What I Have Read
  • 足尾鉱毒事件と水俣病 - heuristic ways

    石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)の中に数ヵ所、足尾鉱毒事件への言及がある。 昭和三十八年、石牟礼氏は小冊子「現代の記録」を出し、「水俣はじまっていらいのチッソの長期ストライキ、その記録」を書くが、資金難のため「一冊きりで大借金をかかえる」(p 299)。その後に、「それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる」という文がある。 「あとがき」では、足尾鉱毒事件谷中村残留民の高田仙次郎のエピソード*1に触れ、「私はこの章のある「思想の科学」日民主主義の原型特集号(一九六二年九月号)を座右にひきよせ、水俣病にかかわる自己の対話のよすがとしている」と記している。「谷中村の怨念は幽暗の水俣によみがえった」と石牟礼氏は見ていたのである。 第七章「昭和四十三年」の「いのちの契約書」という節には、氏が西日新聞に書いた「まぼろしの村民権

  • 県議として原発建設に反対し双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫の死ー東日本大震災の歴史的位置

    このサイトは、東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くことによって、「現在」に生きる私たちが「歴史」=「過去」とどのようにかかわっているのかということを考えることを目的とする。 2011年7月17日付朝日新聞朝刊に、次のような小さな記事が掲載された。 元福島県双葉町長の岩忠夫さん死去 2011年7月16日20時40分 岩 忠夫さん(いわもと・ただお=元福島県双葉町長)が15日、慢性腎不全で死去、82歳。葬儀は17日午前11時から福島市宮町5の19の福島斎場で。喪主は長男久人さん。 1985年から町長を5期務めた。社会党の県議時代は原発に反対したが、84年に離党後、推進に転じた。全国原子力発電所所在市町村協議会副会長などを歴任。東日大震災後は福島市内に避難していた。 (典拠はhttp://www.asahi.com/obituaries/update/0716/TKY201107

    県議として原発建設に反対し双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫の死ー東日本大震災の歴史的位置
  • 三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960

    文献(Y1964b)他にならい三陸海岸を地形的特徴により4区分しています。各区▶をクリックすると各々の集落一覧ページへ飛びます。 第1区▶ 尻屋崎〜馬淵川(八戸市):砂浜海岸 尻屋/猿々森/田代/小田野沢/老部/白糠/尾鮫浜/平沼浜/天森/砂森/塩釜/織笠/六川目/細谷/淋代/五川目/四川目/鹿中/三川目/ニ川目/一川目/深沢/川口第2区▶ 馬淵川(八戸市)〜閉伊川(宮古市):隆起海岸(海蝕段丘) 市川/橋向/八戸/白浜/種差/追越/小船渡/川尻/戸類家/宿戸/八木/中野/有家/小子内/麦生/白前/侍浜/桑畑/閉伊口/湊/大尻/二子/小袖/久喜/広内/新山/前浜/米田/玉川/下安家/黒崎/白井/力持/堀内/大田名部/普代/切牛/島越/羅賀/平井賀/明戸/机/小成/茂師/中野/小/永沢/小港/樫内/下摂内/乙部/田老第3区▶ 閉伊川(宮古市)〜盛川(大船渡市):沈水海岸(典型的リアス式海岸

    三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960
  • 平和に生きる権利 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「4.10高円寺 原発やめろデモ」に行ってきた。 15000人ものデモに参加するのは初めてで、とにかくその熱気の凄さに圧倒された。 この動画の冒頭で流れている曲は、その他の多くの動画においても象徴的な取り上げ方をされており、ある意味で4.10デモを代表する曲となっている。 この曲は、デモの前段集会で演奏され、またデモの途中やゴール地点でも繰り返し演奏されていたと思う。 曲のタイトルは、チリのフォルクローレ・シンガーであるビクトル・ハラの代表曲のひとつ「平和に生きる権利 (El derecho de vivir en paz)」。このデモに参加した人たちの多くにとってみればかなりメジャーな曲であると思うが、日において一般的に知られているかどうかは疑わしい。 で、ぼくが紹介するのもおこがましいのだが、この曲の背景を共有することは、このデモが何であったのかを共有するために必要なことだと思う。ま

    平和に生きる権利 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • http://han.org/blog/2011/01/post-150.html