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思想と教育に関するnavecinのブックマーク (3)

  • 扇動されやすい人2 - 我が九条

    前回「だまされていたけど、真実を知った私」という扇動されやすい人の話をした。論理的な思考力を鍛える訓練をしたことがないのに、情報に触れた人が陥りがちな過ちであるが、これは何も今の学生に特有の現象ではない、と思う。 思えば私自身も学校では論理的な思考力を養う訓練は一切行なわなかったように思う。大学進学率が50%を切る、いわゆる進学校の出身ではないせいかも知れない。私がそういう訓練を受けたのは、予備校の小論文対策講座だった。 私は私大文系に進学した。もちろん小論文などない。そのせいか、論理的な思考力が欠落した学生が多かったように思う。私自身論理的な思考力がついていたとは胸を張っていうことはできない。そして概ね情報弱者である。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが

    扇動されやすい人2 - 我が九条
  • 教育の失敗という教育神話(再掲) - 今日行く審議会

    広田照幸「<教育知>としての青少年問題 : 「教育の失敗」という教育神話」『日教育社会学会大会発表要旨集録』 第51号 日教育社会学会 1999年 より引用 (広い意味での)「環境対遺伝」ではなく、「教育対遺伝」という対立項でものごとが考えられてきているということ、青少年問題が「教育の失敗」の結果だとして説明されがちであることは、いわば、裏返しの「教育万能主義」という神話が議論の根底に存在しているということを意味している。 青少年の起こす事件をすべて「教育の失敗」とみなす発想は、青少年の生活全体を、大人が管理・コントロールできるし、すべきだという、ある種の社会的な暗黙のコンセンサスがあることを意味しているのではないだろうか。 最初に述べた、監獄と軍隊の話とつなげて、二つの点を指摘しておきたい。 一つは、監獄への批判者が出す論理が、当の監獄が依拠する論理と同一のものであったと同様に、現在

    教育の失敗という教育神話(再掲) - 今日行く審議会
  • 自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd

    国旗・国歌を拒否した教員に対する処分を違法とした判決を批判する声の多さが、ちょっと意外でした。ここまでとはね。もちろん評価する声も多いので、かなり意見の分かれる問題だってことはよくわかります。それにしても、学校の先生も嫌われてるんだなぁ…。 国旗・国歌と「日」の同一視 「国旗・国歌を拒否するのは日を拒否しているのと同じ」「なぜ自分の国を愛せないのか」から、「自分の国の国旗・国歌を敬うのは当り前」までバリエーションがありますが。象徴をその実体と同一視してしまう、という。あるいはそれは自然なことなのかもしれませんけど、「日が嫌いだから拒否する」という主張ではないはずです。にもかかわらず「いや、当は日が嫌いだからだろう」と決めつけてしまう。 こういう人達が、何かあったときに自由を求める人を「非国民!」と呼ぶんだろうなぁ。 自主と強制の区別がつかない 「スポーツの国際試合などでは、歌うの

    自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd
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