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2008年3月22日のブックマーク (3件)

  • 『レミーのおいしいレストラン』の場合/「ゲイな映画」と「クィアな映画」のあいだ - macska dot org

    前々回公開した「子ども向け劇場アニメが描く『マルチチュード的革命』」エントリでは、ジュディス・ハルバースタムの講演を要約するかたちで彼女が言うところの「ピクサーヴォルト」ーークィアで雑多な主体が構成するマルチチュードによる革命を描いた3DCGアニメーション映画ーーについて解説した。その中で、ピクサーヴォルトに当てはまらない映画としてピクサー/ディズニーの『Mr. インクレディブル』は「アイン・ランド的世界観」に基づいた、異性愛中心主義・核家族的なイデオロギーを持つ、復古主義的な映画だという指摘を紹介した。 しかし『Mr. インクレディブル』は十分に魅力的だし、むしろ「来の自分」を隠して生きることを強いられたマイノリティが自分を肯定する映画なのではないかという評価もある。そこで今回はそのあたりをハルバースタムに習って「クィアな映画」と「ゲイな映画」という区分によって再解釈するとともに、ピク

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  • macska dot org » Blog Archive » 子ども向け劇場アニメが描く「マルチチュード的革命」/ジュディス・ハルバースタム講演報告

    前回に引き続き、Lewis & Clark College にて開催されたジェンダー学シンポジウムの報告。今回紹介するのは、クィア理論家として有名な南カリフォルニア大学のジュディス・ハルバースタムさんによる基調講演の内容、すなわち近年多く作られるようになった子ども向け 3DCG アニメーション映画における「革命」的ナラティヴについて。先月5歳になった友人の子どもの「エンターテインメント係」を担当(?)しているわたしはこの種のアニメ映画をほぼ一通り見ていていろいろ思うところがあるので、ハルバースタムの発表は非常に興味深く感じられた。また、一部の映画については、ハルバースタムの批評を参考とすることによってわたしが漠然と感じていた不快観に説明が付いたと感じた。今回のエントリでは、そうした点について紹介したい。対象となるアニメを見ていなくても理解できるような記述は心がけるがネタバレは避けられないの

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  • 「すべてを知っているのでなければ何も理解していないと同じだ」論法 - Apeman’s diary

    館の方で扱ってもよいテーマなのだが、あえてこちらで。 『日経サイエンス』、「英語で読む日経サイエンス — "Should Science Speak to Faith?"「科学と宗教は対立するのか」より抜粋」 ローレンス・クラウス(物理学者)とリチャード・ドーキンスの討論の一部。 クラウス (…) 一例を挙げましょう。私は折に触れ,創造主義者や宇宙人誘拐者説の狂信者と議論してきました。両者とも解釈の質について同様の考え違いをしていて、「すべてを知っているのでなければ何も理解していないと同じだ」と思っているのですね。 議論のなかで、彼らは解しがたい主張,例えば1962年にモンゴルの人たちが教会の上に空飛ぶ円盤が舞っているのを目撃した、という話を取り上げます。そして私にこの話を知っているかと尋ね、私が知らないと答えると、決まってこう言う。「この種の事例を調べ尽くしていないのなら、『宇宙人に

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