「昔はよかったなあ」というわけではないが、かつて、とくに1940年代から60年代にかけて、核実験は地上あるいは海上で華々しく繰り広げられていた。場所もネバダ州の核実験施設からビキニ環礁まで多岐にわたる。実験場では次々と巨大な火の玉が炸裂し、堂々たるキノコ雲が空高くそびえ立った。最高にビューティフルな大爆発が天を真っ赤に染め上げた。 いや、核兵器の悲惨さはぼくもよくわかっている。なんといっても日本は核戦争を体験した唯一の国だ。広島の原爆資料館でとんでもない残虐記録フィルムも観た。修学旅行のときだ。フィルム上映はそのころ人気がなかったらしく、映写室にはぼくを含めて2人しか客がいなかったが、スクリーンに展開された映像は『ジャンク』も真っ青のたいへんショッキングなものであった(「1フィート運動」で再発見されたフッテージもあったように思う)。核戦争以降も、第五福竜丸にビキニ環礁、いわゆる「アトミック
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