中日の大豊泰昭氏の訃報を聞いた。51歳。あまりにも早すぎる。岩のような肉体に熊のような手。そして尊敬する王貞治氏を追いかけた1本足打法……。無骨で純で、少し台湾訛りが残った名古屋弁でいつもジョークを飛ばしていた。元気だった頃の大豊氏の人懐こい、まん丸な笑顔が目に浮かぶ。 どこまで飛んでいくのかというくらいに打球が飛んだ。 怪童、中西太氏には、ショートライナーと思った打球がグラブをかすめて、そのまま本塁打になったという逸話があるが、大豊の打球も、その伝説に劣らぬものだった。当時、高木守道監督が「中西さんの打球以上だ」と絶賛していたことを忘れられない。 故郷の英雄、王さんに憧れ、日本に渡り、巨人に対抗してチーム補強をしていた星野仙一監督が、1年間、球団職員で囲うという裏技を使って1988年にドラフト2位で獲得した。背番号は「王さんの本塁打記録を超えたい」と、松井秀喜より先に「55」をつけた。